「神殿都市の外壁には強力な結界が半円状に張られているけれど、精霊である師匠には結界の影響は及ばない筈。あの結界は対人・対魔の効果しかないから、神の使徒たる精霊の師匠にはなんの影響も無いかと。聖人の私室は大聖堂の霊廟の更に奥で、きっと侵入するのは困難だろうけど……信じても、いいですか」

 ただの皇族が知り得る筈もない神殿都市の事情をペラペラと話してはそう頼む。ファンブックで語られた神殿都市の情報にも目を通していて本当に良かった。
 まさかこんな所で役立つなんて。
 ──師匠には、世界最高峰のセキュリティを誇る国ならざる都市に堂々と侵入して貰うのだ。そして誰よりも会うのが難しい男に手紙を届けて貰う……なんてめちゃくちゃな頼みなんだろうか。
 これが無茶なものだと言う事は、誰よりも発案者の私がよく分かっている。だがそれでも、一刻を争う今……正規の手順を踏んでる暇なんて無いし、やはりこれしか方法が無いのだ。
 マクベスタの顔が疑念と驚愕、そのどちらとも取れる表情に染まる。師匠もまた神の使徒という言葉に少し反応を見せた。

「……神の使徒ってのはちょっと不本意だが……ま、姫さんがそこまで言うなら俺はやりますよ。なんてったって面白そうだし」
「っ! ありがとうございます師匠! 早速今から手紙を書くので、終わったらそれを!!」
「はいよー」

 師匠は笑って二つ返事で承諾してくれた。
 そうと決まればと、私は少し大きめの声である人の名前を呼んだ。

「ハイラ、今すぐ来なさい!」

 今日一日シュヴァルツへの教育やら侍女の仕事やらで忙しいらしいハイラの更に仕事を増やすのは気が引けるが、そうも言ってられないのだ。
 そしてハイラを呼び出した数十秒後。コンコン、と扉が叩かれ開かれる。
 そこには僅かに肩を上下させつつも完璧に平静を装う侍女の姿があった。

「お呼びでしょうか姫様」
「えぇ、手紙を書きたいから便箋と封筒の用意をお願い。後……急を要する事だからと、シャンパー商会に食材……特にパンを大量に発注して頂戴。この際値段は気にしないでいいわ」
「畏まりました。手紙の方を先にご用意致します……しかし、何故急な発注を?」

 そりゃあ気になるよね。ハイラの美しい顔には、こう言う時はいつも戸惑いが浮かんでいた。
 ハイラは言われた事をとりあえずやってくれるが、多分そのほとんどが訳も分からずやって居たことだろう。
 流石に今回はお金が凄く動く事だし、多くの人命がかかっている。何も話さずと言うのは無理だろう。
 なので私は今回ばかりはちゃんと話す事にした。

「今オセロマイト王国が未知の病という未曾有の危機に晒されているの。だから私はそれを何とかしたい。その為に国教会へと大司教の派遣要請をして、少しでもオセロマイトの人達に栄養のあるものを安心して食べて貰いたいから、食べ物を大量に発注するの。食べ物が感染方法の可能性だってある訳だし、きっとオセロマイトの人達は満足に安心して食事も出来ていないだろうから」

 前世では人類は病に打ち克って来た。人類の積み重ねて来た歴史と言う力で、多くの病に打ち克った。
 この世界には科学の力は無いけれど、その代わりに魔法がある。科学よりもよっぽど万能で夢のような魔法という力がある。
 なればこそ! 科学に出来て魔法に出来ない事がある筈が無い!
 僅かにでもその両者の知識がある私が何もしないでどうする。こうして奇跡的に持つ物を使わずしてどうする!

 何かの専門家って訳でも趣味が最早プロの域なんて訳でも無い、本当に平凡なオタクだった私だけど……こんな事ぐらいでしか転生者としてのアドバンテージを発揮出来ない平凡な『私』だけど!
 それでもこの世界ではこの知識は貴重で、この知識で誰かを……大勢の命と目の前の少年の帰る場所を救えるのなら。
 人類が病に打ち克つ足がかりにでも何にでもなってやる! 私はどうなってもいい、皇帝に目を付けられようがもう仕方の無い事だ。

 そりゃあ、勿論全く死にたくなんて無いけど──私一人の命と大勢の命を天秤にかけたら……当然大勢の命に傾くわよ。
 いくらアミレスになったと言えども、私なんてどこまで行っても小心者なんだから。