「名前……ボクには名前なんて無いよ」

 君に向けて笑顔で名乗れる名前があればどれ程良かったか。
 そんな事を考えても、ボクには名前が無い。名前が無い事こそがボクという存在の証明だったんだ。仕方のない事だ。
 名前が無くて悲しくなるのなんて初めてだった。そんなボクの悲しみに気づいたように、アミレスが言う。

「じゃあ、私が名前をつけてもいいかな」

 えっ。

「君が?」

 食い気味に聞き返してしまった。あまりにも衝撃的な事だったのだ。

「だめ?」

 アミレスがこちらを見上げてこてんと首を傾けた。何とも嬉しい事を言ってくれたせいでだらしなく緩んだ口角を無理やり戻し、ボクは答える。

「…………いいよ」

 よし、変な声は出ていないね。ボクはまだ精霊としての威厳を保たないといけないのだ。
 ……目の前の問題はとても強敵だ。気になった人間の子と仲良くなれて嬉しい上に名前までくれるって言うんだ……気を抜いたら今すぐにでも破顔して情けない声を出してしまいそうなんだよね。
 あーまだかなぁ、どんな名前をつけてくれるのかなぁ。楽しみだなぁ。

 アミレスがボクの名前を決めてくれるその瞬間を待つ事、ほんの数分。
 顎に手を当て真剣に考えてくれていたアミレスがパッと顔を上げて、ボクの名前を、教えてくれた。

「──シルフ、なんてどうかな?」

 シルフ。ボクの、はじめての、名前。生まれて初めて貰った、ボクの……ボク、だけの……。

 途端に、体中が熱くなる。ずっとその立場と役職だけで成り立っていた曖昧なこの体が、ついに『シルフ』という形を得た事で纏まってゆく、バラバラだった魔力が強く結びつく。
 ボクという存在が輪をかけて強く……濃くなった気がした。

「シルフ、シルフ……ボクの……名前……」

 うわ言のようにそう繰り返す。この名を呼べば呼ぶ程…ボクという存在にこれが刻まれてゆく。まさしく、ボクの名前になっていく。
 今まで体のどこかにぽっかりと空いていた空白が、今突然埋められたようだ。アミレスが与えてくれたこの名前が──ボクを形作った。
 ボクという存在を、証明してくれたのだ。

「……ありがとう、すごく嬉しいよ! ボクの事はシルフって呼んでね!」

 今までに無いくらいの感情の荒波がボクを飲み込もうとするが、それを何とか理性と虚勢で堰き止める。
 それでも理性の隙間を流れ出た波が、ボクの瞳を濡らしていく。
 今アミレスと相対しているのが端末で良かった。こんな情けない姿、絶対に見せたくない。
 指の背で目元を拭いながら、ボクはお礼を告げた。
 すると早速、アミレスが名前で呼んでくれた。

「えっと、じゃあ……シルフ」

 名前って凄い。ただそれを呼ばれただけなのに、とても胸が暖かくなる。色とりどりの花が咲いたように感情が溢れ出すなんて。