「お待たせ! 君がいるその国の名前は分かったよ。名前は──」

 その名前を告げると、彼女は酷く驚いていた。
 精霊と会っても記憶喪失だったとしても冷静だったあの子が、こんなにも動揺するなんて。
 寒色の大きな瞳を丸く見開いて、彼女は俯いた。……そういえば、記憶喪失は強く関わりのある人や場所を見聞きする事でそれが鍵となり記憶が戻る事もある…みたいな事をこの前知り合いが言っていた気がする。
 彼女はこの国のお姫様みたいだし、もしかしたら国の名前を聞いて自分の事を思い出したのかも…。
 とにかく、ボクは彼女が喋り始めるのを待っていた。水を打ったように静寂の独壇場となったこの場において、呑気に紅茶を飲む事なんてボクには出来ない。
 だから、ただずっと待っていた。すると、

「……名前、思い出したよ」

 彼女がこちらを見て柔らかく微笑んだ。……どう表現すればいいのだろうか、これは、子供がする表情じゃあない。まるで大人のような微笑みだった。
 すると彼女はぎこちないお辞儀をして、

「──私の名前は、アミレス・ヘル・フォーロイト。このフォーロイト帝国が第一王女です」

 そう名乗った。こんなの、ボクの勝手な感想でしか無いのだが……今までどこか抜け殻のようだった彼女に、つい今しがた命が吹き込まれたように、そう思えた。
 彼女……ううん、アミレスが記憶を取り戻した事により、この子にはちゃんとした命が芽生えたんだ。
 ちょっぴり夢見がちなボクは、そう考える。
 少ししてアミレスはまた歩き始めた。地図作りを再開したらしい。
 ボクはそれを眺めつつ、たまにだが話しかけてみた。「好きな食べ物は?」「好きな色は?」「今日はいい天気だね」などなど……。
 あまりにも無難な質問ばかりだったのに、アミレスはとてもいい子で毎回返事をしてくれたのだ。それに、いちいち反応が可愛いくて面白くって……とても楽しく会話をし続けていた、その時だった。

「精霊さんの名前は?」

 アミレスがふと思い出したように聞いてきた。
 ここでボクはなんて答えようかと思い悩む。何故ならボクには名前が無いからだ。
 ボクは生まれも育ちも特殊だから、他の精霊達と違って名前が無く、役職でしか呼ばれて来なかったのだけれど……それを突然話して混乱させてしまわないだろうか。
 相手は幼い人間の女の子だよ? そんな相手に簡単に現実を見せてしまってもいいのかな、という不安がボクの足を搦めとる。
 もう少しロマンチックに、夢物語のように伝える方法は……うーんどうしよう本当に何も思いつかない。ガシガシと両手で頭を掻きむしりながらボクは天井を見上げた。

 ……この際、本当の事を言っちゃおうかな。