「……で、も…………俺は、半端者で……何一つ、取り柄の無い男、で。貴女みたいな努力も、何も出来ない出来損ない、で…………っ」

 心に響いた王女殿下の言葉に共鳴するように、俺の声は震えていた。感情の抑制がきかなくて、震える口からは俺の本音が漏れ出ていた。

「そんな事ないですよ。貴方は立派な人です。まだその才能に気がついていないだけで、出来損ないなんかじゃないんです」

 すると、まるで幼子をあやすかのように、王女殿下は俺の事を優しく抱き締めた。
 優しさそのものと錯覚する温もりに抱かれて、驚くのも束の間。耳元には彼女の迷い人を導く聖女のごとき声が漂う。

「俺、俺に……本当に、そんな才能が、あるん……ですか」

 もう一度。もう一度言ってほしかった。
 貴女にもう一度言って貰えたならば、きっと卑屈な俺の心でもそうだと思えるから。
 だからお願い……もう一度だけ言って下さい。
 俺にも貴女みたいな才能があると、出来損ないの俺にも人に誇れるものがあるのだと、貴女の口から聞きたいんです。

「ありますとも。私が断言します、貴方は本当に才能に満ちた方ですよ。私の言葉が信じられませんか?」

 彼女の優しい吐息が耳にかかる。
 くすぐったいと思う反面、それがとても心地よかった。
 王女殿下の言葉で、俺の心はこれでもかと言う程に満たされた。俺という不完全な人間にあった無数のひびを、一つ一つ、彼女の言葉達が塞ぎ補ってくれたかのよう。

「…………いえ。貴女に、そう言われたら……本当にそうなのかも、って思えてきました」

 救われたような気分だった。
 初めてローズに『おにーしゃま』って呼ばれた時以来、初めて、生きてて良かったと心から思えた。
 本当は自分自身が一番嫌い疎んでいた、俺という存在を……今ようやく、受け入れられた気がした。好きになれた気がした。

 それと同時に俺は再確認する。
 ……──ああ、やっぱり彼女の事が好きだ。

 絶対に忘れられない初恋。この初恋だけは……きっと、永遠に俺の中に残り続けるだろう。
 途端に苦しくなる胸。耳まで届く自分の心音が、恋の熱で緊張している事実を突きつけてくる。頭の中が彼女の事で埋め尽くされてゆく感覚……俺はどうやら、二度目の初恋に酔っているようだった。

「ローズと過ごしていると、自然と公子の話になりまして……ローズから聞きましたよ。幼少期から大公の手伝いをして、ディジェル領の発展に貢献して来たと」
「えっ? 俺の話……?!」

 王女殿下の言葉に、俺は慌てて顔を上げた。
 ねぇローズ! 何でそんな事話したんだよ! 恥ずかしいじゃないか!!
 次々と王女殿下の口から飛び出す賛辞に、俺の頭は簡単にオーバーヒート。パニック状態になっていた。

「ぁあ〜〜〜〜〜〜〜〜っ! こんな風に褒められたの、初めてだってぇ……しかも王女殿下からとか…………!!」

 足をじたばたと暴れさせ、俺は恥ずかしさと嬉しさから、頬をでろでろに緩めていた。
 好きな人から褒められるとこんなにも嬉しいものなのか……幸せすぎて、これは夢なのではと疑ってしまう。
 ええいままよ! 夢とか現実とか関係無いっ、この際だから勢いで王女殿下に嘆願してしまえ!

「あ、あの……王女殿下。実は、お願いしたい事があるんですが……よろしいですか?」
「内容にもよりますが、構いませんよ」

 暴走し始めた俺の言葉にも、王女殿下は真摯に対応してくれた。
 その事に感激しつつ、深呼吸をして心を少し落ち着かせてから、俺は真剣な表情を作って口を開いた。

「俺にも、ローズと同じように接してくれませんか? いつまでも王女殿下に敬語を使わせる訳にもいかないな……とここ数日間思っていたんです」

 なんてもっともらしい理由を並び立てたものの、実際はただローズにヤキモチ妬いてただけである。
 ローズばっかりずるい。俺だって王女殿下に名前で呼ばれたいし、もっと仲良くなりたい。
 あわよくば知り合い……いや友達になりたい! 何事もまずは友達からだし。恋人とかそういうのはまだ考えられないけど、兎にも角にも友達にならない事には何も始まらないし!

「……オーケイ分かったわ! それならレオって呼んでもいいかしら?」

 まさかの愛称呼び。ギュンっと心臓が締め付けられた。

「ありがとう……ございます。嬉しいです」

 自然と口角が上がる。王女殿下の声で『レオ』と呼ばれてしまった。それを強く噛み締めては、多幸感に満たされる。
 そこで、王女殿下が何かを思いついたように表情を明るくして、

「じゃあ私の事も名前で……」

 何とも畏れ多い事を提案しようとした。俺はそれに気づいた瞬間、食い気味にお断りの言葉を口にした。

「あ、それはちょっと無理です。急に名前呼びとか難易度高いし……俺みたいなヘタレには無理…………!」
「何でぇ?!」

 刺があるような言い方になってしまったが、後半が俺の本心である。
 いや無理! 俺みたいなヘタレ卑屈陰気男に、初恋の相手の名前を呼ぶとか絶ッッッッッ対に無理!!
 俺にはまだ早すぎるんだよ……ローズみたいに同性ならまだ難易度も低かったのかもしれないけど、実際問題俺は男だし人生十六年目とかでの初恋だ。

 恋愛小説は沢山読んできたから知識はあるけど、実際にどう動けばいいかとか全然分からない。
 だからごめんなさい、王女殿下。
 大変ありがたい申し出ではございますが、俺にはまだその資格がございません。だから、貴女が仰ってくれた才能が無事開花されたその時には、改めて俺の方から御名前を口にする許可が欲しいとお願い申し上げる事をお許し下さい。

「…………あーあ。まさかローズと本気で彼女を取り合う事になるとはなぁ……どうしても、勝ちを譲る気にはならないけど」

 王女殿下が侍女に連れられ寝室に戻り、俺は談話室に一人残される。
 そこで天井を仰ぎ、人生初の兄妹喧嘩になるかもしれないと悲観する。だがどうしてだろう……これでいいのだと思えてくるのだ。
 それは多分、相手が王女殿下だからだろう。お互いに、本気で好きになってしまっても納得がいく人だから。

 ……──あぁ、本当に。あの女性《ひと》が初恋で良かった。