どうやらオレの演技力はかなりのものらしいのだ。
 シュヴァルツとケイリオル卿以外にはオレの精神状態がまともではない事も気づかれていないようだった。寧ろ何故この二人にはバレてしまったのか、そちらの方が気になるのだが……。
 ある日ケイリオル卿から尋ねられた。『最近、寝られていますか?』と。男だてらに化粧で顔色を偽り、いつの間にか習得していた演技力で周りを欺いていた。
 それなのにケイリオル卿には睡眠不足である事を見破られ、問われるまでに至ったのだ。

『眠りたくないんです。寝たら、死ぬ事よりもずっと怖い悪夢を見るので』
『……悪夢、ですか。それは決まって見るものなのですか?』
『今の所は。初めて見た日から一ヶ月、毎晩悪夢に魘されてからはもう眠る事が怖くなってしまって』
『精神の方もかなり参っているようですが……本当に大丈夫ですか?』
『はい。もう、慣れました。何回か自殺を試みましたけど、こんな所で死ぬ訳にもいかないので。大丈夫ですよ』

 オレらしい笑みを貼り付けて、ケイリオル卿からの問に答える。
 ケイリオル卿は暫く黙り込んだのち、『……少し、ここで待っていて下さい』と残してどこかへ行ってしまった。
 正直なところ、言われた通りにするのも億劫だったが、ケイリオル卿には普段から世話になっているし……と窓枠にもたれ掛かり、何も考えずただぼーっとして待つ。

『お待たせしました。どうぞ、これを使いなさい』
『これ、は……』

 オレは目を丸くした。十分程経って、小走りで戻って来たケイリオル卿が抱えていた箱の中には大量の瓶が入っていたのだ。

『万能薬を半分程に薄めたもの……いわゆる下位万能薬(ジェネリック・ポーション)というものです。どうしても眠れないと言うのであれば、せめてそれで身体的疲労を解消して下さい。足りなくなればまた僕《わたし》に言っていただければ、お渡しします』

 耳を疑った。どうして、この人がそんなものをオレに?

『…………貴方は、王女殿下が心を許せる数少ない御友人ですから。僕《わたし》としても貴方には死んで欲しくないのです』
『そう、ですか。ありがとうございます……』

 オレの心の声に答えるかのように、ケイリオル卿が口を開く。
 ケイリオル卿はエリドル皇帝陛下の側近でありながら、心からアミレスを気にかけている。それも、あまり空気の読めないオレでも分かる程。
 それからというものの、睡眠不足ではあるが身体的疲労は感じられない。ケイリオル卿の配慮のお陰でオレは倒れる事もなく、アミレスに下手な心配や迷惑をかける事もなく日々を過ごす事が出来た。

 そうやって、とにかくアミレスの事ばかりを考えて生きていた。
 こうなった理由の一つもアミレスだし、今オレの命を繋ぐのもアミレスだ。何も考えたくないと思う反面、四六時中アミレスの事を考えていないと生きていられない自分が情けなかった。

 こんなにも苦しみながら、オレはまた彼女への想いを強くする。
 彼女の笑顔を見る度に、堕ちるところまで堕ちたオレの心は彼女への欲望を更に増幅させて暴走しようとする。

 ──いっその事全てを失って死ねばいい。そう、言わんばかりに。

 だがそれは出来ず、虚しさと無気力に襲われながらいつも己の欲を処理していた。あくまでも彼女には一切知られぬように。オレが守るべき一線だけは越えないように。
 それを暫く続けると、ある時ふと心が軽く感じる日があった。その日だけはいつもの陰鬱とした気持ちが嘘のように心が明るくなり、頭もいつもよりスッキリとしていた。

 ようやく病が治ったのかと思われたが……そんな事はなかった。あれは結局一時的なもので、その次の日にはもういつも通り。
 眠れず、心も安らぐ事はなく、ただ彼女が笑って生きてくれている事を確認しては安心するだけ。
 それだけで良い。それだけで満足していれば良かったのに。

 アミレスがイリオーデとルティと共に公務で旅立ってから、一週間。オレは、彼女の安否を確認出来ず強いストレスを感じていた。
 もしもあの悪夢のような事が起きたら。もしも、彼女が死んでしまったら。そんな最悪な妄想ばかりがオレの頭を埋めつくしては気を狂わせようとする。
 それともう一つ……オレは、酷く嫉妬していた。焦燥に駆られていた。

 彼女に頼られ、その傍にいられるイリオーデやルティが羨ましく妬ましかった。
 何度、男となんて。と訴えてもアミレスは何も気づいていないかのように大丈夫と繰り返して……そんなにも無防備だから、オレみたいな男がつけ上がるんだよ。もしもあの二人に襲われでもしたらどうするんだ。

 ……って、そう言えたら良かったのに。オレは、万が一の『彼女に嫌われる可能性』を恐れてそれを口に出来なかった。
 彼女に嫌われたりなんかした日には衝動的に自殺する自信しかない。だってそうだろう、彼女に嫌われ、必要とされないオレに存在価値などないのだから。
 それを恐れ何も出来ないオレを嘲笑うかのように、彼女を取り巻く環境は日々変わってゆく。

 オレの方が早く彼女と出会ったのに。彼女の初めての人間の友達になって、これまで誰よりも長く一緒に切磋琢磨して来たのに。
 なのにどうして、オレよりも後に出会った人達ばかりが彼女と親しくなり頼られるのか。

 オレじゃ駄目なのか? どうしてオレじゃあいけないんだ?
 オレの立場が悪いのか? オレの出自が悪いのか? それともオレが男だから? オレが歳上だから? オレが弱いから?
 彼女が知らないうちに何かを成す度に、オレの中ではそんな醜穢な嫉妬が渦巻いた。
 特に──、オレの知らないアミレスを沢山知っているカイルへのそれは凄まじかった。

 オレと同い年で、性別だって立場だって一緒だ。
 なのにあいつは……最初からアミレスと仲が良くて、アミレスに何度も何度も頼りにされて、何をするにもまずはあいつに相談するぐらい、彼女に信頼されていた。
 過ごした時間の厚みなんて関係無いと言わんばかりに、カイルはあっという間にオレ達を越えて行った。
 オレ達には越えられなかったアミレスの心の壁を、あいつだけは軽々と越えて行った。それが酷く憎らしくて……痛く羨ましかった。