──オレは、上手く笑えていただろうか。

 ──いつも通り、彼女の知る『マクベスタ』でいられただろうか。

 そんな不安と恐怖とが毎晩荒波のように押し寄せる。
 何があっても彼女にだけは心配をかけたくない。彼女の笑顔をこれ以上曇らせる訳にもいかない。だから全てを隠し通さなければならない。

「死んでしまえたら楽なんだが……死ぬ訳にはいかない。オレは、一生涯を懸けて償うと決めたから……」

 フォーロイト帝国が王城の一室。かれこれもう三年近くオレはここに滞在していた。
 初めはオセロマイトからの使節として。今は、アミレスへの償いの為。
 ケイリオル卿に無理を言って、フォーロイト帝国とオセロマイト王国の良好な関係の為にとオレは長期間の滞在を許可して貰った。

 その部屋の中、大きな寝台《ベッド》の上で横向きに寝転がりながら、首を絞めるように両手を首に当てていたのだが……跡が残っても面倒だ。だからこの時点でそれをやめた。
 力の入らない瞳でぼーっと机の上に置かれた香水を眺め、生気の無いため息ばかりを吐く。
 焦点の定まらない目が捉えるのは彼女から貰った物か、彼女を示すような青や銀色のものばかり。

 それらを見ては、際限の無い悔恨に襲われる。もう、何もしたくなくなる。多分これは病なのだろう。でも、もはやこれを治す手立てなど無いと思うし、治したいとも思わない。
 だってこれは当然の帰結だったから。愚かなオレに与えられた当然の罰だから……。

 別に、多くは望んでいなかった。
 彼女の傍にいられたらよかった。彼女の為にこの命を使えたらそれでよかった。
 親友になりたいとか、もっと近づきたいとか、そんな欲を出した事が間違いだったんだ。
 オレの過ちへの罰とばかりに……ある日の夜、オレは悪夢を見た。初めてそれ見たのは、アミレスがケイリオル卿と別れた直後に突然倒れたという日の夜。

 それは──……アミレスが死ぬ夢だった。

 事故死のようだった。高い所から落ちたようで、アミレスは頭から血を流し四肢をあらぬ方向に曲げて息絶えていた。

 酷く鮮明で、おぞましい夢。どくどくと流れ出る生温かい血で水溜まりを作る、今よりもずっと大人になった彼女が……涙を流し、光を失った冷たい瞳でこちらを真っ直ぐと見つめていた。
 それと目が合った瞬間。オレは、はち切れんばかりの心臓の痛みと全身を襲った恐怖に頭が真っ白になった。だけどそれから目を逸らす事は出来ず、やがて発狂寸前でその悪夢は幕を閉じた。

 夢とは思えない夢。悪夢に魘されて目が覚めた後も、オレの脳裏からあの虚ろな瞳が消える事はなかった。それでも彼女に迷惑をかけたくなくて、必死に気丈に振舞って。
 そんなオレを嘲笑うように、毎晩、悪夢はオレの精神を冒した。

 ある日は罪人のように断頭台で首を落とされた。
 ある日は黒衣の男に暗殺され静かに息を失った。
 ある日は全身を惨たらしくバラバラに刻まれた。
 ある日は何者かに心臓を刺されて一撃で死んだ。
 ある日は磔にされて誰かの報復の餌食となった。
 ある日は一切抵抗せずに静かに首を落とされた。
 ある日は毒に蝕まれて苦しみもがいて息絶えた。
 ある日は燃え盛る炎の中涙を流しながら死んだ。
 ある日は戦場で敵の攻撃を頭に受けて即死した。
 ある日は深い水の中で溺れて空気を失い死んだ。
 ある日は魔物に襲われ見るも無惨な骸となった。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も。気が狂いそうな程、毎晩悪夢はオレを襲った。
 その悪夢ではいつも、彼女が死んでいた。そして毎度死体となった彼女の冷たい瞳と目が合い、日に日に鮮明さを増してオレの記憶に刻まれてゆく。

 これ以上悪夢を見たくない。そんな恐怖からいつしか眠る事をも恐れるようになり、睡眠時間はどんどん減る一方。だがアミレスに心配や迷惑はかけられないと、化粧と演技の技術ばかりが上達する日々。
 毎朝縋るような思いで彼女の元を訪れて、悪夢とかけ離れた元気な姿を見ては心から安堵する。そんな毎日の繰り返しだった。

 ……いつからだろうか。全てが嫌になる時が増えた気がする。
 毎日悪夢ばかりでろくに眠れず、ただただ彼女への想いを強く酷くするばかりの日々で、オレはいつしか生きる事に疲れていると感じるようになった。

 もう何も出来ない。何もしたくない。こんな風に苦しみたくない。最愛の女性《ひと》が死ぬ悪夢を何度も見るぐらいなら……いっその事、死んでしまいたい。
 そう思って愛剣を心臓に突き立てようとした事もあった。
 だけど、もしここでオレが死んでアミレスに迷惑をかけてしまったら? オレが死ぬ事でアミレスがなんらかの迷惑や不利益を被る事になったら……死んでも死にきれない。
 それに……、

『マクベスタは最強の剣士になる。私が保証するわ!』

 あんなにも、彼女がオレに期待してくれているから。オレの未来を信じてくれているから。
 だからオレは死ねない。彼女の期待を、その信頼を裏切れない。どれだけ生きる事が辛くとも、嫌になろうとも……彼女を裏切るような真似だけは出来ない。
 だからもう、とにかくこんな精神状態である事がバレないようにと気をつけて過ごしていた。まぁ、シュヴァルツとかにはバレてたみたいだが。勘が鋭いんだよなあ、シュヴァルツは。

 本当は何もしたくないし何も出来ないけど、それじゃあ彼女に心配をかける事になる。だから無理をしてでも平静を装い、気を晴らす為にいっそう師匠との特訓にのめり込んだ。
 いつしかアミレスの血や怪我をした姿を見る事がトラウマになっていて、特訓の時なんかに怪我をした彼女を見て、一度過呼吸になった事もあった。
 その時は少し疲れたと何とか誤魔化したが、そんな言い訳そう何度も通用しない。

 更に、オレは彼女に剣を向ける事が出来なくなった。
 模擬戦だろうが特訓だろうが、彼女に刃を向けるなんて事、オレには出来ない。そんな事をした日には錯乱してしまう。勢いのまま自傷してしまうかもしれない。
 だからオレは必死に、あくまでも自然にアミレスとの模擬戦を避けるようになった。それどころか彼女と共に特訓を受ける事も避けるようになった。

 特訓を避ける事自体は案外簡単な事だった。イリオーデやルティに譲れば、彼等が喜んでアミレスの相手をするし……アミレスだって彼等との戦いを楽しんでいるようだった。
 それらの努力が実を結んだのか、アミレスはオレの事を特に怪しんではいないようだ。