自分がこの世界のどの位置付けにいるかなんて、考えることに意味なんてあるんだろうか。
 たしかに私はクラスに友達がいない。
 それどころかいじめられて、みんなからその存在を疎まれてる。
 でも、何人の人に好かれるかで人の価値が決まるわけじゃない。
 たくさんの人に好かれてはじめて、自分の価値が上がるわけじゃない。
 生徒たちによって見えないピラミッドが作られようとも、私はどこにいたって私でしかないないし、他の人も同じ。
 ただ、それだけのことで。
 植村くんまでクズ呼ばわりされるのは許せない。

「……植村くんは誰にも好かれてないわけじゃないよ。少なくとも、私は好き。中学の頃はやんちゃだったのかもしれないけど、今は落ち着いてるし、やさしい人だから。向こうの学校でどれだけ友達がいるのかは知らないけど……たとえ誰一人植村くんのことを好きじゃなかったとしても、植村くんはクズなんかじゃない。私はそう思う」

 その言葉を言い終わらないうちに、多田さんが私の目の前まで近寄ってきた。
 鼻先が触れるくらいの距離。
 マスカラで延長されたまつ毛が目に刺さりそうで、思わず体が硬直する。

「そんなの知らねーよ。私に意見すんな」

 まるで三日も寝ていないような、血走った目が私を睨んでいた。
 少なくとも記憶の中では一度も反抗してこなかった私が、はじめて口答えをしたから。
 その怒りがあっという間に沸点を超えて、爆発していた。

「私、は……自分の考えを言っただけだよ。それは多田さんも同じじゃない」

 瞬間、多田さんの腕が伸びてきて私の髪を掴んだ。
 右頭部の毛束を思い切り引っ張られて、倒れる。床に手をつくと、生徒に踏まれて固まった埃が目の前に迫っていて、見覚えのある景色になぜか笑いそうになってしまった。
 前と同じパターン。
 多田さんは覚えていないかもしれないけれど。

「調子乗んな!」

 頭上から甲高い声が降ってきた。
 それがスイッチだったかのように、私の体に電気が走った。
 感じたことのない、体中を巡る感情。脳が痺れて制御できない。
 あぁ、これが、本当の〝怒り〟なんだ。
 今まで見ないようにしていた、隠そうと必死になっていた、私の中の怒り。
 気づくと、私は四つん這いになった情けない体勢のまま、自分でも驚くくらいの声を張り上げていた。

「——そっちこそ、もう、いい加減にして!」

 倒れたまま、目に入った多田さんのふわふわの髪を掴んで引っ張った。
 ゆるいウェーブを巻く髪が、きゅっと一直線に伸びる。それを阻止したいがためか、多田さんも床に倒れ込んだ。

「何すんのよ!」

 ……あぁ。
 これで私も同じだ。
 多田さんと同じ土俵に立ってしまった。いじめをする側の人と、同じことをしてしまった。
 でも、もうそんなことはどうでもよかった。
 本当は、人の暴力に暴力で対抗するようなことはしたくない。大事になって、お母さんに連絡が入って、心配をかけることもしたくない、のに。
 でも、その気持ちも今は消し飛んでいた。
 はじめて、多田さんの前で本音を出すことができたから。
 ずっと閉じ込めてきた気持ちをさらけ出すことができたから。
 自分や周りの人を守りたくて、見ないようにしていた私の気持ち。
 それは消えることなく、たしかにここにあったんだ。

「やめろ!」
「そっちこそ、やめてよ!」

 二人で床を転がるようにしながら髪を引っ張り合っていると、視界の隅に生徒たちの狼狽えている足元が見えた。
 でも近づいてはこない。私たちを見てこそこそと何かを言っているようだけれど、遠巻きに見ているだけで何もしてこない。
 小さな子どもというわけでもない女子高生二人が、公衆の面前で罵倒し合っているこの光景。こんな現場を見てしまったら、私だって同じようにしただろう。
 それでも、いい。
 一人でも立ち向かってやる。
 絶対に、引かない。髪を引きちぎられて、自分なりにケアしてきたキューティクルがボロボロになっても。どうだっていい。
 植村くんをバカにするのだけは、許さないから。

「……なにしてるの⁉︎」

 馬乗りになっていた多田さんの手が、突然誰かに取り押さえられた。
 顔を上げると、真っ青な顔をして身を乗り出している佐倉さんがいた。
 いつもは割って入ってきたりしないのに。佐倉さんは誰よりも焦ったような表情で、多田さんを見つめている。
 どうしたんだろう、という冷静な気持ちと、来ちゃだめ、という焦る気持ちが交差する。

「ちょっと、二人とも、やめなよ! 先生来ちゃうよ!」
「うるさい、お前には関係ないだろ!」

 突き飛ばされて、佐倉さんが尻餅をつく。後ろでおどおどと見ていた佐倉さんの友達が、慌てて佐倉さんに駆け寄った。

「多田ちゃ……」
「優等生ぶってんじゃねーよ!」

 結局、騒ぎを聞きつけて担任の先生が来るまで、私たちは子どもみたいな乱闘を続けていた。
 お互いに喧嘩をするような生徒だと思われていなかった私たちは、先生にひどく驚かれた。
 かたや、クラスの明るいムードメーカー。かたや、クラスで一番空気に近い無味乾燥な女。
 はなから生徒のいざこざに首を突っ込みたくなかった先生は、大きな怪我もなかった私たちに形式的な事情聴取を行うと、簡単な注意だけをしてすぐ解散させた。
 それ以上のお咎めはなく、喧嘩両成敗。
 ただ、先に多田さんと話をしていた先生は、その話しぶりから多田さんの方に肩を持っていたようにも感じたけれど。
 それでも……。
 帰りのホームルームが終わって、みんなが帰るまで、ぼんやりと席に座っていた。
 人を傷つけてしまった後悔と、どこからともなくやってくる解放感を、じっと目をつむって感じていた。