手を伸ばせば、瑠璃色の月

「…ここ、ボタン無くなってる」


しゃがんだままの彼は、母に聞こえないくらいの小さな声で私の胸元を指さした。


彼に指摘されて、はっと口を噤む。


そうだ、昨晩の例の騒動でパジャマのボタンが飛んでしまったんだ。

今朝、頭痛に気を取られてそこまで注意を向けていなかった。


「ああ、これはね、」

「また“あいつ”に何かされたの」


言い訳をしようと口を開いたら、見計らっていたかのように遮られた。

そっと視線を下に流せば、心配そうに姉を見つめる純粋無垢な弟の瞳と視線がかち合う。

でも、彼の紡いだ“あいつ”という言葉の中には、言葉では形容しきれない程の憎しみが込められていた。


「…ううん、着替えの時に弾け飛んじゃった。お母さんに気付かれる前に縫い直すから」


これもまた、嘘。

岳の口調に込められた感情に気付かないふりをして、私はやんわりと会話を終わらせる。


「…そっか」


でもきっと、彼には全て見透かされているのだろう。

可哀想に、彼はまだ12歳なのにこの家の秩序の全てを知り尽くしてしまったんだ。


「…俺、着替えてくるわ!」


ふっと小さく息を吐いた彼は、母に聞こえるように声を張り上げて立ち上がった。


「時間割もしっかり揃えなさいねー!」


私達のお弁当を作っているのか、エプロン姿の母がキッチンから顔を覗かせて微笑む。


はいはい、分かってるって。

私との間に流れた不穏な空気を感じさせる事もなく、岳は鼻歌を歌いながら食器をシンクの中に置いて水を溜めた。


それを見届けた私も、食事を再開する。



こんなごく普通の家庭らしい風景が見られるのも、平日の朝のうちだけだと分かっていた。