彼の飼い猫になる直前の夕暮れ。

 私は、呆然と立ち尽くしていた。

 目の前で、轟々と音を立てて、赤黒い火柱が上がっている。空には黒々とした煙が立ち昇り、物が焼ける匂いが辺りに充満していく。圧倒的な火の勢いに、なす術はない。
 野次馬も大勢いて、燃え盛る建物を見つめている。消防士さん達だけが慌ただしく活動していた。

 私のアパートが、燃えている。

「……嘘でしょ……」

 よりによって、なんで今日、私の家が燃えるのか。
 今日はとても良い日になるはずだったのに。勇気を振り絞って、やっと逃げることが出来たのに。なんで──。

「あぁよかった! ここにいたのね! 珠希ちゃん!」

 大家さんと消防士さん住人の安否を確認していたようで、声を掛けられた。

「住人の方ですか?!」
「あ、はい。二〇四号室の三上珠希(みかみたまき)です」
「ご無事でよかった! ……住人全員の安否確認完了!」

 消防士さんが上司に向かって報告した。どうやら私が最後だったようだ。夕方のこの時間、単身アパートに住む人々は、まだ仕事中だったのかもしれない。数人はアパート内にいたようだが、怪我人はいないそうだ。

「珠希ちゃんごめんね、こんなことになって……」

 いつも優しい大家さんは、火事で憔悴しているようだった。年配の女性で、旦那様は早くに亡くしたと聞いている。この賃貸アパートは、旦那様がご存命の頃から営んでいたそうだから、思い出の建物が燃えてしまって辛いのだろう。