3-1. 空飛ぶ夢のカヌー



「あの人、なんなの!?」

 ドロシーはひどく腹を立てて俺をにらむ。

「王女様だよ。この国のお姫様」

 俺は肩をすくめて答える。

「お、お、王女様!?」

 目を真ん丸くしてビックリするドロシー。

「なんだか武闘会に出て欲しいんだって」

「出るって言っちゃったの!?」

「なりゆきでね……」

「そんな……、出たら殺されちゃうかもしれないのよ!」

「そこは大丈夫なんだ。ただ……、ちょっと揉めちゃうかもなぁ……」

「断れなかったの?」

「ドロシーの安全にもかかわることなんだ、仕方ないんだよ」

 俺はそう言って、諭すようにドロシーの目を見た。

 ハッとするドロシー。

「ご、ごめんなさい……」

 うつむいて、か細い声を出す。

「いやいや、ドロシーが謝るようなことじゃないよ!」

「私……ユータの足引っ張ってばかりだわ……」

「そんなことないよ、俺はドロシーにいっぱい、いっぱい助けられているんだから」

「うぅぅ……どうしよう……」

 ポトリと涙が落ちた。

 俺はゆっくりドロシーをハグする。

「ごめんなさい……うっうっうっ……」

 俺は優しく背中をトントンと叩いた。

 店内にはドロシーのすすり泣く音が響いた。

「ドロシー、あのな……」

 俺は自分のことを少し話そうと思った。

「……。うん……」

「俺、実はすっごく強いんだ」

「……」

「だから、勇者と戦っても、王様が怒っても、死んだりすることはないんだ」

「……」

 いきなりのカミングアウトに、ドロシーは理解できてない感じだった。

「……、本当……?」

 ドロシーは涙でいっぱいにした目で俺を見つめた。

「本当さ、安心してていいよ」

 俺はそう言って優しく髪をなでた。

「でも……、ユータが戦った話なんて聞いたことないわよ、私……」

「この前、勇者にムチ打たれても平気だったろ?」

 俺はニヤッと笑った。

「あれは魔法の服だって……」

「そんな物ないよ。あれは方便だ。勇者の攻撃なんていくら食らっても俺には全く効かないんだ」

「えっ!? それじゃあ勇者様より強い……ってこと?」

「もう圧倒的に強いね」

 俺はドヤ顔で笑った。

 ドロシーは唖然(あぜん)として口を開けたまま言葉を失っている。

「あ、今日はもう店閉めて海にでも行こうか? なんか仕事する気にならないし……」

 俺はニッコリと笑って提案する。

 ドロシーは呆然(ぼうぜん)としたまま、ゆっくりとうなずいた。



       ◇



 俺はランチのセットを準備し、ドロシーは水着に着替えてもらった。

 短パンに黒いTシャツ姿になったドロシーに、俺は日焼け止めを塗る。白いすべすべの素肌はしっとりと手になじむほど柔らかく、温かかった。

「で、どうやって行くの?」

 ドロシーがウキウキしながら聞いてくる。

 俺は、用意しておいた防寒着を渡し、

「裏の空き地から行きまーす」

 そう言って裏口を指さした。



       ◇



 俺は店の裏の空き地のすみに置いてあったカヌーのカバーをはがした。

「この、カヌーで行きまーす!」

 買ってきたばかりのピカピカのカヌー。朱色に塗られた船体はまだ傷一つついていない。

「え? でも、ここから川まで遠いわよ?」

 どういうことか理解できないドロシー。

 俺は荷物をカヌーに積み込み、前方に乗り込むと、

「いいから、いいから、はい乗って!」

 そう言って、後ろの座布団をパンパンと叩いた。

 首をかしげながら乗り込むドロシー。

 俺は怪訝(けげん)そうな顔のドロシーを見ながらCAの口調で言った。

「本日は『星多き空』特別カヌーへご乗船ありがとうございます。これより当カヌーは離陸いたします。しっかりとシートベルトを締め、前の人につかまってくださ~い」

「シートベルトって?」

「あー、そこのヒモのベルトを腰に回してカチッとはめて」

「あ、はいはい」

 器用にベルトを締めるドロシー。

「しっかりとつかまっててよ!」

「分かったわ!」

 そう言ってドロシーは俺にギュッとしがみついた。ふくよかな胸がムニュッと押し当てられる。

「あ、そんなに力いっぱいしがみつかなくても大丈夫……だからね?」

「うふふ、いいじゃない、早くいきましょうよ!」

 嬉しそうに微笑むドロシー。

「当カヌーはこれより離陸いたします」

 俺は隠ぺい魔法と飛行魔法をかけ、徐々に魔力を注入していった……。

 ふわりと浮かび上がるカヌー。

「えっ!? えっ!? 本当に飛んだわ!」

 驚くドロシー。

「何だよ、冗談だと思ってたの?」

「こんな魔法なんて聞いたことないもの……」

「まだまだ、驚くのはこれからだよ!」

 俺はそう言って魔力を徐々に上げていった。

 カヌーは加速度的に上空へと浮かび上がり、建物の屋根をこえるとゆっくりと回頭して南西を向いた。

「うわぁ! すごい、すご~い!」

 ドロシーが耳元で歓声を上げる。

 上空からの風景は、いつもの街も全く違う様相を見せる。陽の光を浴びた屋根瓦はキラキラと光り、煙突からは湯気が上がってくる。

「あ、孤児院の屋根、壊れてるわ! あそこから雨漏りしてるのよ!」 

 ドロシーが目ざとく、屋根瓦が欠けているのを見つけて指さす。

「本当だ、後で直しておくよ」

「ふふっ、ユータは頼りになるわ……」

 そう言って俺をぎゅっと抱きしめた。

 ドロシーのしっとりとした(ほほ)が俺の(ほほ)にふれ、俺はドギマギしてしまう。



 高度は徐々に上がり、街が徐々に小さくなっていく。

「うわぁ~、まるで街がオモチャみたいだわ……」

 気持ちよい風に銀色の髪を躍らせながら、ドロシーが嬉しそうに言う。

 石造りの建物が王宮を中心として放射状に建ち並ぶ美しい街は、午前の澄んだ空気をまとって一つの芸術品のように見える。ちょうどポッカリと浮かぶ雲が影を作り、ゆったりと動きながら陰影を素敵に演出していた。

「綺麗だわ……」

 ドロシーはウットリとしながら街を眺める。

 俺はそんなドロシーを見ながら、これから始まる小旅行にワクワクが止まらなかった。















3-2. クジラの挨拶



「これより当カヌーは石垣島目指して加速いたします。危険ですのでしっかりとシートベルトを確認してくださ~い」

「はいはい、シートベルト……ヨシッ!」

 ドロシーは可愛い声で安全確認。

 俺はステータス画面を出し、

「燃料……ヨシッ! パイロットの健康……ヨシッ!」

 そしてドロシーを鑑定して……、

「お客様……あれ? もしかしてお腹すいてる?」

 HPが少し下がっているのを見つけたのだ。

「えへへ……。ちょっとダイエット……してるの……」

 ドロシーは恥ずかしそうに下を向く。

「ダメダメ! 今日はしっかり栄養付けて!」

 俺は足元の荷物からおやつ用のクッキーとお茶を取り出すと、ドロシーに渡した。

「ありがと!」

 ドロシーは照れ笑いをし、クッキーをポリっと一口かじる。

 そよ風になびく銀髪が陽の光を反射してキラキラと輝く。

「うふっ、美味しいわ! 景色がきれいだと何倍も美味しくなるのね」

 ドロシーは幸せそうな顔をしながら街を見回した。

 

 ドロシーがクッキーを食べている間、ゆっくりと街の上を飛び、城壁を越え、麦畑の上に出てきた。

 どこまでも続く金色の麦畑、風が作るウェーブがサーっと走っていく。そして、大きくカーブを描く川に反射する陽の光……、いつか見たゴッホの油絵を思い出し、しばし見入ってしまった。

「美味しかったわ、ありがと! 行きましょ!」

 ドロシーが抱き着いてくる。

 俺は押し当てられる胸に、つい意識がいってしまうのをイカンイカンとふり払い、

「それでは行くよ~!」

 と、言った。

 防御魔法でカヌーに風よけのシールドを張る。この日のために高速飛行にも耐えられるような円(すい)状のシールドを開発したのだ。石垣島までは千数百キロ、ちんたら飛んでたら何時間もかかってしまう。ここは音速を超えて一気に行くのだ。



 俺は一気に魔力を高めた。急加速するカヌー。

「きゃあ!」

 後ろから声が上がる。

 カヌーを鑑定すると対地速度が表示されている。ぐんぐんと速度は上がり、十秒程度で時速三百キロを超えた。

 景色が飛ぶように流れていく。

「すごい! すご~い!」

 耳元でドロシーが叫ぶ。

 しばらくこの新幹線レベルの速度で巡行し、観光しながらドロシーに慣れてもらおうと思う。

 俺はコンパスを見ながら川沿いに海を目指す。



      ◇



 しばらく行くと海が見えてきた。

「これが海だよ、広いだろ?」

 俺は後ろを向いて声をかける。

 すると、ドロシーは身を乗り出して俺の肩の上で黄色い声で叫んだ。

「すご~い!!」

 もはや「すごい」しか言えなくなっている。

 俺は、目をキラキラと輝かせながら海を眺めるドロシーを見て、つれてきて良かったと思った。



 それにしても、日本だったらこの辺に中部国際空港の人工島があるはずなのだが……、見えない。単純に地球をコピーしたわけではなさそうだ。



 俺は海面スレスレまで降りてきてカヌーを飛ばした。新幹線の速度でかっ飛んでいく朱色のカヌーは、海面に後方乱気流による航跡を残しながら南西を目指す。



 ドロシーは初めて見る水平線をじーっと眺め、何か物思いにふけっていた。

 どこまでも続く青い水平線……、18年間ずっと城壁の中で暮らしてきたドロシーには、きっと感慨深いものがあるのだろう。



「あ、あれ何かしら?」

 ドロシーが沖を指さす。

 見ると何やら白い煙が上がっている……。

 鑑定をしてみると、



マッコウクジラ  レア度:★★★
ハクジラ類の中で最も大きく、歯のある動物では世界最大



 と、出た。

「クジラだね、海にすむデカい生き物だよ」

「え、そんなのがいるの?」

 ドロシーは聞いたこともなかったらしい。

 俺は速度を落とし、クジラの方に進路をとった。



 近づいていくと、綺麗な海の中に長く巨大なマッコウクジラの巨体が悠然(ゆうぜん)と泳いでいるのが見えた。その長さはゆうに十メートルを超えている。デカい。そばに小型のクジラが寄り添っている。多分、子供だろう。



「うわぁ! 大きい!」

 嬉しそうにクジラを見つめるドロシー。

「歯がある生き物では世界最大なんだって」

「ふぅん……あっ、潜り始めたわよ」

 クジラはゆったりと潜っていく……

「どこまで潜るのかしら?」

「さぁ……、深海でデカいイカを食べてるって聞いたことあるけど……」

 などと話をしていると、急にクジラが急上昇を始めた。

「え? まさか……」

 クジラはものすごい速度で海面を目指してくる。

「え、ちょっと、ヤバいかも!?」

 クジラはその勢いのまま空中に飛び出した。二十トンはあろうかと言う巨体がすぐ目の前で宙を舞う。巨大なヒレを大きく空に伸ばし、水しぶきを陽の光でキラキラと輝かせながらその美しい巨体は華麗なダンスを披露した。

「おぉぉぉ……」「うわぁ……」

 見入る二人……。



 そのまま背中から海面に落ちていくクジラ……。



 ズッバーン!

 ものすごい轟音が響き、多量の海水が巻き上げられた。海水がまともにカヌーを襲って大きく揺れる。

「キャ――――!!」

 俺にしがみついて叫ぶドロシー。

 シールドは激しく海水に洗われ、向こうが見えなくなった。シールドがなかったら危なかったかもしれない。



「はっはっは!」

 俺は思わず笑ってしまう。

「笑いことじゃないわよ!」

 ドロシーは怒るが、俺はなぜかとても楽しかった。

「クジラはもういいわ! バイバイ!」

 ドロシーは驚かされてちょっとご機嫌斜めだ。

「ハイハイ、それでは当カヌーは再度石垣島を目指します!」

 俺はそう言うとコンパスを見て南西を目指し、加速させた。



 ブシュ――――!

 後ろでクジラが潮を吹いた。まるで挨拶をしているみたいだった。











3-3. タコ刺し一丁



 バババババ……

 新幹線並みの速度で海面スレスレを爆走する。シールドのすそから風をばたつかせる音が響いてくる。



 日差しが海面をキラキラと彩り、どこまでも続く水平線が俺たちのホリディを祝福していた。

「ふふふっ、何だか素敵ねっ!」

 ドロシーはすっかり行楽気分だ。

 俺も仕事ばかりでここのところ休みらしい休みはとっていなかった。今日はじっくりと満喫したいと思う。



「あ、あれは何かしら!」

 ドロシーがまた何か見つけた。

 遠くに何かが動いている……。俺はすかさず鑑定をした。





キャラック船 西方商会所属

西洋式帆船 排水量 千トン、全長五十二メートル





「帆船だ! 貨物を運んでいるみたいだ」

「へぇ! 帆船なんて初めて見るわ!」

 ドロシーは嬉しそうに徐々に大きくなってきた帆船を眺める……。

 だが、急に(まゆ)をひそめた。

「あれ……? 何かおかしいわよ」

 ドロシーが帆船を指さす。

 よく見ると、帆船に何か大きなものがくっついているようだ。鑑定をしてみると……、



クラーケン レア度:★★★★★
魔物 レベル280



「うわっ! 魔物に襲われてる!」

「え――――っ!」



 俺は帆船の方にかじを切り、急行する。

 近づいていくと、クラーケンの恐るべき攻撃の全貌が明らかになってきた。二十メートルはあろうかという巨体から伸ばされる太い触手が次々とマストに絡みつき、船を転覆させようと引っ張っている。船は大きく傾き、船員が矢を射ったり、触手に剣で切りつけたり奮闘しているものの、全く効いてなさそうだ。



「ユータ! どうしよう!?」

 ドロシーは自分のことのように胸を痛め、悲痛な声を出す。ドロシーにそう言われちゃうと助けない訳にはいかない。

「イッチョ、助けてやりますか!」

 俺はクラーケンに近づくと、飛行魔法を思いっきりかけてやった。

 クラーケンの巨体は海からズルズルと引き出され、徐々に上空へと引っ張られていく。ヌメヌメとうごめくクラーケンの体表は、陽の光を受けて白くなったり茶色になったり、目まぐるしく色を変えた。

「いやぁ! 気持ち悪い!」

 ドロシーはそう叫んで俺の後ろに隠れる。

 クラーケンは「ぐおぉぉぉ!」と重低音の叫びをあげ、触手をブンブン振り回しながら抵抗するが、俺はお構いなしにどんどん魔力を上げていく……。

 何が起こったのかと呆然(ぼうぜん)とする船員たち……。

 ついにはクラーケンは巨大な熱気球のように完全に宙に浮きあがり、船のマストにつかまっている触手でかろうじて飛ばされずにすんでいた。

 ★5の凶悪な海の魔物もこうなってしまえば形無しである。と、思っていたらクラーケンは辺り一面に(スミ)を吐き始めた。

 まるで雨のように降り注ぐ(スミ)、カヌーにもバシバシ降ってくる。さらに、(スミ)は硫酸のように当たったところを溶かしていく。

 「うわぁ!」「キャ――――!!」

 多くはシールドで防げたものの、カヌーの後ろの方は(スミ)に汚され、あちこち溶けてしまった。



「あぁ! 新品のカヌーが――――!!」

 頭を抱える俺。

 ものすごく頭にきた俺はクラーケンをにらむと、

「くらえ! エアスラッシュ!」

 そう叫んで、全力の風魔法をクラーケンに向けて放ってやった。

 風の刃が空気を切り裂きながら音速でクラーケンの身体に食い込み……、



 バシュッ!



 派手な音を立てて真っ二つに切り裂いた。

「ざまぁみろ! タコ刺し、一丁!」

 俺は大人げなく叫んだ。

 無残に切り裂かれたクラーケンは徐々に薄くなり……最後は霧になって消えていった。水色に光る魔石がキラキラと輝きながら落ちてくるので、俺はすかさず拾う。



「倒した……の?」

 ドロシーはそっと俺の肩の上に顔を出し、聞いてくる。

「一発だったよ。どう? 強いだろ俺?」

 俺は美しい輝きを放つ魔石を見せながら、ドヤ顔でドロシーを見る。

「うわぁ……、綺麗……。ユータ……もう、言葉にならないわ……」

 ドロシーは圧倒され、軽く首を振った。



「大魔導士様! おられますか? ありがとうございます!」

 船から声がかかる。船長の様だ。

 隠ぺい魔法をかけているから、こちらのことは見えないはずだが、シールドに浴びた(スミ)は誤算だった。(スミ)は見えてしまっているかもしれない。

「あー、無事で何よりじゃったのう……」

 俺は頑張って低い声を出し、答えた。

「このご恩は忘れません。何かお礼の品をお贈りしたいのですが……」

 俺は浮かれてドロシーに聞く。

「お礼だって、何欲しい? 宝石とかもらう?」

 ドロシーは少し考えると、

「私は……特に欲しい物なんてないわ。それより、孤児院の子供たちに美味しい物をお腹いっぱい食べさせてあげたいわ……」

 と、俺を見つめて言った。俺は欲にまみれた俺の発想を反省し、

「そうだよ、そうだよな……」

 と、言いながら目をつぶってうなずく。

 パサパサでカチカチのパンしか無く、それでも大切に食べていた孤児院時代を思い出す。後輩にはもうちょっといいものを食べさせてあげる……それが先輩の責務だと思った。

 俺は軽く咳払いし、言った。

「あー、クラーケンの魔石はもらったので、ワシはこれで十分。ただ、良ければアンジューの孤児院の子供たちに、美味しい物をお腹いっぱい食べさせてあげてくれんかの?」

 船長はそれを聞くと、

「アンジューの孤児院! なるほど……、分かりました! さすが大魔導士様! 私、感服いたしました。美味しい料理、ドーンと届けさせていただきます!」

 そう言って、嬉しそうにほほ笑んだ。

 やはり、恵まれない子供たちに対する支援というのは人の心を動かすらしい。

 孤児のみんなが大騒ぎする食堂を思い浮かべながら、俺も今度、何か持って行こうと思った。















3-4. 右手の薬指



「では、頼んだぞ!」

 俺はそう言うと、カヌーに魔力を込めた。



 カヌーはするすると加速し、また、バタバタと風を巻き込む音を立てながら海上を滑走した。

「ありがとうございました――――!」

 後ろで船員たちが手を振っている。

「ボンボヤージ!」

 ドロシーも手を振って応える。まぁ、向こうからは見えないんだが。



「人助けすると気持ちいいね!」

 俺はドロシーに笑いかける。

「助かってよかったわ。ユータって凄いのね!」

 ドロシーも嬉しそうに笑う。

「いやいや、ドロシーが見つけてくれたからだよ、俺一人だったら素通りだったもん」

「そう? 良かった……」

 ドロシーは少し照れて下を向いた。

「さて、そろそろ本格的に飛ぶからこの魔法の指輪つけて」

 俺は懐のポケットから『水中でもおぼれない魔法の指輪』を出した。

「ゆ、指輪!?」

 驚くドロシー。

「はい、受け取って!」

 俺が差し出すとドロシーは

「ユータがつけて!」

 そう言って両手を俺の前に出した。

「え? 俺が?」

「早くつけて!」

 ドロシーは両手のひらを開き、嬉しそうに催促する。

 俺は悩んでしまった。どの指につけていいかわからないのだ。

「え? どの指?」

「いいから早く!」

 ドロシーは教えてくれない……。

 中指にはちょっと入らないかもだから薬指?

 でも、確か……左手の薬指は結婚指輪だからつけちゃマズいはず?

 なら右手の薬指にでもつけておこう。

 俺は白くて細いドロシーの薬指にそっと指輪を通した。



「え?」

 ちょっと驚くドロシー。

「あれ? 何かマズかった?」

「うふふ……、ありがと……」

 そう言って真っ赤になってうつむいた。

「このサイズなら、薬指にピッタリだと思ったんだ」

「……、もしかして……指の太さで選んだの?」

「そうだけど……マズかった?」

 ドロシーは俺の背中をバシバシと叩き、

「知らない!」

 そう言ってふくれた。

「あれ? 結婚指輪って左手の薬指だよね?」

 俺が聞くと、ドロシーは俺の背中に顔をうずめ、

「ユータはね、ちょっと『常識』というものを学んだ方がいいわ……」

 と、すねた。

「ゴメン、ゴメン、じゃぁ外すよ……」

 そう言ったらまた背中をバシバシと叩き、

「ユータのバカ! もう、信じらんない!」

 と言って怒った。女性と付き合った経験のない俺に乙女心は難しい……。

 俺は何だか良く分からないまま平謝りに謝った。

 どこまでも続く水平線を見ながら、

『帰ったら誰かに教えてもらおう。こんな時スマホがあればなぁ……』

 と、情けないことを考えた。



        ◇



 さらにしばらく海面をすべるように行くと、断崖絶壁の上に立つ灯台が見えてきた。本州最南端、潮岬だ。灯台は石造りの立派な建築で、吹き付ける潮風の中、威風堂々と海の安全を守っている。

 潮岬を超えたら少し右に進路を変え、四国の南をかすめながら宮崎を目指そう。



「うわー! あれ、灯台よね?」

 ドロシーは初めて見る灯台に興奮気味だ。機嫌が直ってきたようでホッとする。

「よし、灯台見物だ!」

 俺は灯台の方向にかじを切る。徐々に近づいてくる灯台……。

「しっかりつかまっててよ!」

「えっ!? ちょっと待って!」

 ギリギリまで近づくと俺は高度を一気に上げ、断崖絶壁をスレスレにかすめる。生えていた草がパシパシっとシールドを叩く。

 そして、ぐっと大きく迫ってくる灯台のすぐ横を飛んだ。

 視野を大きく灯台の石壁が横切る。

「きゃぁ!」

 俺にしがみつくドロシー。



 ドン!



 カヌーが引き起こす後方乱気流が灯台にぶつかって鈍い音を放つ。



「ははは、大丈夫だよ」

「もぉ……」

 ドロシーは俺の背中をパンと叩き、振りむいて、ぐんぐんと小さくなっていく灯台を眺めた。

「なんだかすごいわ……。ユータは大魔導士なの?」

「大魔導士であり、剣聖であり、格闘家……かな?」

 俺はニヤッと笑う。

「何よそれ、全部じゃない……」

「すごいだろ?」

 俺がドヤ顔でそう言うと……

「すごすぎるのも……何だか怖いわ……」

 そう言って、俺の背中に顔をうずめた。

 確かに『大いなる力は大いなる責任を伴う』という言葉もある。武闘会で勇者叩きのめしちゃったらもう街には居られないだろう。

 リリアンの騎士にでもなれば居場所はできるだろうけど、そんな生き方も嫌だしなぁ……。

 俺はぽっかりと浮かんだ雲たちをスレスレでよけながら高度を上げ、遠くに見えてきた四国を見つめた。



















3-5. マッハを超えるカヌー



 俺はグングンと速度を上げ、さらに高い空を目指す。

「これより、当カヌーは超音速飛行に入りま~す。ご注意くださ~い!」

「え? 超音速って……何?」

 ドロシーがバタつく銀色の髪を押さえながら、不安そうに聞いてくる。

「音が伝わる速さを超えるってことだよ、とんでもない速度で飛ぶってこと」

「もっと速くなるの!? 音より速い!? なんなのそれ!?」

 ドロシーがまん丸い目をして俺を見る。

「しっかりつかまっててよ!」

 俺はそう言うと注入魔力をグンと増やした。

 カヌーはビリビリと震えながら速度を上げていく。表示速度もガンガン上がっていく。



対地速度 500km/h

  :

対地速度 600km/h

  :

対地速度 700km/h



 どんどんと上がっていく速度。さらに高度を上げていく。

 雲のすき間をぬって飛んでいくが、大きな雲が立ちふさがった。



「雲を抜けるよ、気を付けて!」

「く、雲!?」



 ボシュ!

 いきなり視界がグレー一色になる。



「きゃぁ!」

 俺にしがみつくドロシー。

 雲の中に突っ込んだのだ。

 俺は構わずさらに速度と高度を上げていく。



対地速度 800km/h

  :

対地速度 900km/h



 ジェット旅客機の速度に達し、船体がグォングォンとこもった音を響かせ始める。

 すると急に視界が開けた。

 真っ青な青空に燦燦(さんさん)と照り付ける太陽、雲の上に出たのだ。

「ヒャッハー!」

 俺は思わず叫んだ。

「すごーい……」

 ドロシーは初めて見る雲の上の景色に圧倒される。

「ここが雲の上だよ」

「なんて神秘的なのかしら……」

 ドロシーは雲と空しかない風景にしばし絶句していた。



 その間にも速度はぐんぐんと上がる。



対地速度 1000km/h

  :

対地速度 1100km/h

  :

対地速度 1200km/h

  :



 カヌーの周りにドーナツ状の霧がまとわりつく。亜音速に達したのだ、いよいよ来るぞ……。



 ドゥン!



 激しい衝撃音が響き、カヌーが大きく揺れる。ついに音速を超えたのだ。

「キャ――――!!」

 ドロシーが叫ぶ。



 俺は

「Yeah――――!!」

 と、叫び、さらに魔力を上げた。



対地速度 M1.1

  :

対地速度 M1.2

  :

対地速度 M1.3

  :



 速度表示がマッハ(M)に変わり、どんどん増えていく。

 音速を超えるとシールドにぶつかってくる空気は逃げられない。()がったシールドの先端では圧縮された空気が衝撃波を作り、周りに広がっていく。この衝撃波は強力で、遠く離れていても窓ガラスを割ることがあるらしいので、なるべく海上を飛んでいく。



 ギュゥゥゥ――――!

 カヌーからきしむ音が響く。ピカピカの朱色のカヌーは今、超音速飛行船となって空の上高く爆走しているのだ。カヌーを作ったおじさんにこの光景を見せたら、きっとぶったまげるだろうな……。俺はそんなことを思いながらニヤッと笑った。



 雲の合間に四国の先端、室戸岬を確認できる頃にはマッハ3に達していた。そこから宮崎まで約5分、さらに南下して種子島・屋久島を抜け、奄美大島まで5分。戦闘機レベルの高速巡行は気持ちいいくらいに風景を塗り替えていく。

 空から見る奄美大島はサンゴ礁に囲まれ、淡い青緑色の蛍光色に縁どられて浮いて見える。この世界は文明があまり発達していないから環境汚染もないだろう。まさに手付かずの美しい自然、ありのままの姿なのだ。

 ドロシーにも見てもらおうと後ろを見たら……、俺にしがみついたまま動かなくなっている。

「ドロシー?」

「う~ん、ちょっと気分が……」

 どうやら船酔いのようだ。これはまずい。

「ヒール!」

 俺は治癒魔法をかけた。ボワッと淡い光に包まれるドロシー。

「これでどう?」

「うん……、良くなったわ」

 力のない笑顔を見せるドロシー。

「ごめん、もう少しで着くからね」

 俺は優しくそう声をかけた。



 沖縄列島の島々を次々と見ながら南西に飛び、10分程度するとヒョロッと長い半島が突き出た独特の島、石垣島が見えてきた。俺は学生時代、一か月ほど石垣島で民宿のアルバイトをやったことがあった。石垣島の人たちは温かく、優しく、ちょっとひねくれていた学生時代の俺をまるで自分の子供のように扱ってくれた。暇なときは海に潜って遊び、夜は満天の星々を見ながら、オリオンビールでいつまでも乾杯を繰り返した。それは今でも大切な記憶として俺の中では宝になっている。

 はるばるやってきた懐かしの島が徐々に大きくなっていく。



 俺は速度と高度を落としながら石垣島の様子を観察する。サンゴ礁に囲まれた美しい楽園、石垣島。その澄みとおる海、真っ白なサンゴ礁の砂浜の美しさは俺が訪れていた時よりもずっと輝いて見えた。

 一通り島を回ってみたが、誰も住んでいないし魔物がいる気配もない。手つかずの無人島の様だ。

「ドロシー、着いたよ!」

 俺は半ば寝ていたドロシーを起こす。

「う?」

 ドロシーは目をこすりながら周りを見回し……

「うわぁ!」

 と、歓声を上げた。

「ようこそ石垣島へ」

 俺はドヤ顔でドロシーを見つめる。

「すごい! すごーい!」

 エメラルド色に輝く海、それはドロシーが想像もしたこともない、まさに南国の楽園だった。