4章 引き裂かれた未来



4-1. 初めての夜



 お姫様抱っこのまま夕焼け空を飛び、新居についた頃には御嶽山の山肌も色を失い、宵闇(よいやみ)が迫ってきていた。

「奥様、こちらがスイートホームですよ!」

 俺はそう言いながら木製のデッキにそっと着地した。

「うわぁ! すごい、すごーい!」

 ドロシーはそう言いながら目を輝かせてログハウスをあちこち眺め、そして、池の向こうの御嶽山を見つめ、大きく両手をあげて、

「素敵~!」

 と、うれしそうに叫んだ。

 一人で閉じこもるつもりだった小さなログハウスは、二人の愛の巣になり、俺の目にも輝いて見えた。



 俺はドアを開け、

「ごめんね、まだ何もないんだ」

 と、言いながらベッドとテーブルしかない殺風景な部屋にドロシーを招き、暖炉に魔法で火をともした。

「本当に何もないのね……。私が素敵なお部屋に仕立てちゃってもいい?」

 ドロシーはそう言って、薄暗い部屋を見回す。

「もちろん! じゃあ、明日は遠くの街の雑貨屋へ行こう」

 俺はドロシーの手を取って引き寄せ、つぶらなブラウンの瞳を見つめた。

 そして、暖炉の炎に揺れる美しい(ほほ)のラインをそっとなでる。



 こんなに可愛い娘が俺の奥さんになってくれた……。それは俺にとってまだ信じられないことだった。前世ではあれほどあがいたのに彼女もできなかったことを考えると、まるで夢のようである。

「どうしたの?」

 ドロシーは優しく聞いてくる。

「こんなに可愛いくて優しい娘が奥さんだなんて、本当にいいのかなって……」

「ふふっ、本当言うとね……、昔倉庫で助けてくれたじゃない……。あの時からこうなりたかったの……」

 そう言って、真っ赤になってうつむくドロシー。

「えっ? あの時から好きでいてくれたの?」

「そうよ! この鈍感さん!」

 ジト目で俺をにらむドロシー。

「あ、そ、そうだったんだ……」

「こう見えても、たくさんの人から言い寄られてたんだからね」

 ちょっとすねて言う。

「そうだよね、ドロシーは僕たちのアイドルだもの……」

「ふふっ、でもまだ、純潔ピッカピカよ」

 ドロシーは嬉しそうに笑う。

「それは……、俺のために?」

「あなたにも守られたし……、私もずっと守ってきたわ……、今日のために……」



 見つめ合う二人……。



 ポンッ!

 暖炉の(まき)がはぜた。

 二人はゆっくりとくちびるを重ねる。

 最初は優しく、そして次第にお互いを激しくむさぼった。

 ドロシーの繊細で、そして時に大胆な舌の動きに俺の熱い想いを絡ませていく……。



 俺はウェディングドレスの背中のボタンに手をかけた。

 すると、ドロシーはそっと離れて、恥ずかしそうにしながら後ろを向く。

 俺は丁寧にボタンを外し、するするとドレスを下ろした。

 ドロシーのしっとりとした白い肌があらわになる。

 俺が下着に手をかけると、

「ちょ、ちょっと待って! 水浴びしないと……」

 そう言って恥ずかしがるドロシー。

 俺はそんなドロシーをひょいっと持ち上げると、優しくベッドに横たえた。

「え!? ちょ、ちょっとダメだってばぁ!」

 焦るドロシーに強引にキスをする。

 「ダメ」と言いながらも段々と盛り上がるドロシー……。

 俺は次に耳にキスをして徐々におりていく。

 可愛い声が小さく部屋に響く。

 そして、火照ってボーっとなっているドロシーの下着を優しく外す。

 優美な肢体のラインが芸術品のような(うるわ)しさを(たた)えながら、あらわになった。

 俺も服を脱ぎ、そっと肌を重ねる。

 しっとりと柔らかい肌が熱を持って俺の肌になじんだ。

 可愛い声が徐々に大きくなってくる。

 そして、ドロシーは切なそうなうるんだ目で、

「早く……、来て……」

 そう言って俺の頬を優しくなでた。

「上手く……できなかったらゴメン……」

 俺はちょっと緊張してきた。

「ふふっ、慣れてなくてホッとしたわ」

 二人は見つめ合うと、もう一度熱いキスを交わす。

 俺は覚悟を決め、柔らかなふくらはぎを優しく持ち上げた……。

 その晩、揺れる暖炉の炎の明かりの中で、俺たちは何度も何度も獣のようにお互いを求めあった。

 そして、二人はお互いが一つになり、何かが完全になったのを心の底でしっかりと感じた。









4-2. 最悪のペナルティ



 目が覚めると、窓の外は明るくなり始めていた。隣を見ると愛しい妻がスースーと幸せそうに寝ている。俺は改めてドロシーと結婚したことを実感し、しばらく可愛い顔を眺めていた。

 なんて幸せなのだろう……。

 俺は心から湧き上がってくる温かいものに思わず涙がにじんだ。



 そっとベッドを抜け出し、優しく毛布をかけて、俺は静かにコーヒーを入れた。

 狭いログハウスにコーヒーの香ばしい香りが広がる。

 俺はマグカップ片手に外へ出て、デッキの椅子に座る。朝のひんやりとした空気が気持ちよく、朝もやがたち込めた静謐(せいひつ)な池をぼんやりと見ていた。

 チチチチッと遠くで小鳥が鳴いている。



 穏やかな時間はいきなり破られた――――。



「旦那様! 逃げてください! ヌチ・ギが来ました!」

 いきなりアバドンから緊急通信が入る。

「えっ!?」

 辺りを見回すと、朝もやの向こうに小さな人影が動くのが見えた。

 俺は心臓が凍った。管理者権限を持つ男、ヌチ・ギ。この世界において彼の権能は無制限、まさに絶対強者が俺を見つけてやってきた。絶体絶命である。

 俺はすかさず飛んで逃げようとしたが……体が動かない。金縛りのようにロックされてしまった。

「ぐぅぅぅ……」

 いろいろと試行錯誤するが魔法も何も使えない、これが管理者権限かと改めて不条理な世界に絶望する。

 ヌチ・ギは音もなく俺の目の前に降り立つと、甲高い声を出した。

「ふーん、君がユータ……。どれどれ……」

 ボサボサの長髪に少し面長の陰気な顔、ダークスーツを身にまとってヒョロッとした小柄な男はしげしげと俺を眺めた。

「い、いきなり……、何の用ですか……」

 金縛り状態の中で俺は必死に声を出した。

 ヌチ・ギはそんな俺を無視して空中を凝視する。どうやら俺には見えない画面を見ているらしい。

 時折何かにうなずきながら淡々と空中を見続けるヌチ・ギ。どうやら俺のステータスや履歴のログを見ているようだ。

「あー、これか! 君、チートはいかんなぁ……」

 そう言いながら、さらに画面を見入った。

「本来なら即刻アカウント抹消だよ……」

 そう言いながら、指先を空中でクリクリと動かし、タップする。

「え? それは死刑……ってことですか?」

「そうさ、チートは重罪、それは君も分かってただろ?」

 ヌチ・ギはそう言いながら画面をにらみ続ける。

「あー、このバグを突いたのか……。良く見つけたな……」

「わ、私はヴィーナ様の縁者です。なにとぞ寛大な措置を……」

 俺は金縛りの中で懇願(こんがん)する。

「ヴィーナ様にも困ったもんだ……。じゃあ、チートで得た分の経験値は全部はく奪、これで許しておいてやろう」

 そう言いながら、指先をシュッシュッと動かした。

「一割くらい……、残しておいてもらえませんか? 結構この世界に貢献したと思うんですが……」

 ダメ元で無理筋のお願いをしてみる。

「ダメダメ! 何を言ってるんだ。チートは犯罪だ!」

 そう言ってヌチ・ギは指先で空中をタップした

 直後、俺の身体は青く光り、激痛が俺の身体を貫いた。

「ぐわぁぁぁ!」

「急激なレベルダウンは痛みを伴うものだ。まぁ自業自得だな」

 俺は身体からどんどんと力が抜けていくような虚脱感の中、刺すような痛みに(もだ)えた。



 ガチャ

 ドアが開き、毛布を羽織ったドロシーが顔を出す。

「あなた、どうしたの……?」

 マズい! ドロシーをヌチ・ギに見せてはならない。俺は痛みの中必死に叫んだ。

「ドロシー! ダメだ! 早く戻って!」

 しかし、ヌチ・ギは振りむいてしまう。

「ほぅ……、これはこれは……、美しい……」

 ヌチ・ギは(いや)らしい笑みを浮かべて言った。

 ドロシーは急いでドアを閉めようとするが、金縛りにあい動けなくなった。

「えっ!? 何? い、いやぁぁ!!」

 ヌチ・ギは指先をクリクリッと動かし、ドロシーを操作した。

 固まったまま浮き上がってヌチ・ギの前に連れてこられるドロシー。

 ヌチ・ギは毛布をはぎとる。朝の光の中でドロシーの白い裸体があらわになった。

「ほほう……、これは、これは……」

 下卑(げび)た笑みを浮かべながら、ヌチ・ギはドロシーの柔らかい肌をなでた。

「や、やめてぇ!」

 ドロシーの悲痛な叫びが響く。

「止めろ! 彼女は関係ないだろ!」

 俺は必死に吠える。

 しかし、ヌチ・ギは気にすることもなくドロシーの(あご)をつかむと、

「チートのペナルティとして、彼女は私のコレクションに加えてあげましょう……」

 そう言ってドロシーの瞳をじっと見つめた。

「い、いやぁぁ……」

 泣きながら震える声を漏らすドロシー。

 最悪だ、俺は躊躇(ちゅうちょ)なく最後のカードを切った。

「ヴィーナ様に報告するぞ!」

 だが……、

「はっはっは! 好きにすればいい。私はどっちみち未来の無い身。華々しく散ってやるまでだよ」

 ヌチ・ギは自暴自棄になっているようだ。きわめて厄介だ。

 俺は何とか必死に道を探す。

「俺がヴィーナ様に口添えしてやる。前向きに……」

「バーカ、お前はあのお方を分かってない。地球人の口添えになど何の意味もない。それに……、余計な事をしてこの世界ごと消去されたら……お前、責任とれるのか?」

 ヌチ・ギはゾッとするような冷たい目で俺を見る。

 レヴィアもヌチ・ギも美奈先輩を異様に恐れている。大学のサークルで一緒に楽しくダンスしていた俺からしたら、なぜそこまで恐れるのか理解ができなかった。確かにちょっと気の強いところがあったが、気さくで楽しくて美人で人気者のサークルの姫、そんな人が世界を容赦なく滅ぼす大魔王だなんて、全然実感がわかない。

「ヴィーナ様は俺が説得してみせる!」

 俺はそう叫んだ。しかし……、

「この世界の存続を願うなら、余計な事は慎みたまえ」

 ヌチ・ギはそう言って空間を割き、切れ目を広げた。

「ま、待ってくれ! 妻は、妻は許してくれ!」

 俺は必死に頼む。

「こんな上玉、手放すわけがないだろ」

 ヌチ・ギはそう言っていやらしい笑みを浮かべると、ドロシーの柔らかい肌を揉んだ。

「いやぁぁぁ!」

 泣き叫ぶドロシー。

「たっぷり可愛がった後、美しく飾ってやる」

 そう言って、ヌチ・ギはドロシーの腕をつかむと無造作に空間の切れ目に放り込んだ。

 俺は叫ぶ。

「お前! ふざけんな! ドロシーに触れていいのは俺だけだ!」

 ヌチ・ギは勝ち誇った顔で、

「余計な事したら真っ先にこの女から殺す。分かったな?」

 そう言い放つと、切れ目の中へと入っていった。

「止めろ――――!」

 必死の叫びもむなしく、空間の切れ目がツーっと閉じていく。

「助けて! あなたぁ!」

 ドロシーの悲痛な叫び声がプツッと無慈悲に途切れた。



「ドロシー! うわぁぁぁ! ドロシー――――!!」

 俺の泣き叫ぶ声が朝もやの池にむなしく響き続けた……。













4-3. ドロシーの残り香



 最愛の妻が奪われてしまった。

 だから結婚なんかしちゃダメだったんだ……。

「うぉぉぉぉ」

 慟哭(どうこく)が喉を引き裂く。金縛りの解けた俺は狂ったかのように泣き叫んだ。

 無様な泣き声が森に響き渡る……。

 俺は毛布を拾うと、ぎゅっと抱きしめた。まだ温かい毛布にはドロシーの匂いが残り、俺を包む。

「ドロシー……。うぅぅぅぅ……」

 俺はドロシーの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。



 御嶽山に朝日が当たり、オレンジ色に輝くのが見える。

 泣いてる場合じゃない、なんとかしないと……。

 しかし、相手はこの世界の管理者権限を持つ男、直接やりあっても全く勝負にならない。どうしたら……。



 俺は恐る恐る現状分析を行う。ステータス画面を開いて見ると、千を超えていたレベルは三十にまで落ちていた。もはやアルより弱くなってしまっている。

 アバドンを呼ぼうとしたが、アバドンとの通信回線も開かない。魔力が落ちたので奴隷契約がキャンセルされてしまっていた。

 もはや飛ぶこともできないし、そもそも生きてこの山奥から出る事すらできそうにない。妻を奪い返しに行くどころか、自分の命も危ない情勢に俺は絶句した。

 誰かに助けてもらいたいが……、相手は無制限の権能をほこる絶対者。まさに死にに行くような話であり、誰にも頼めない。八方ふさがりである。

 妻を失い、仲間を失い、力を失い、俺は全てを失い、もはや抜け殻だった。

 俺は頭を抱え……、そしてそのままテーブルに頭をゴンとぶつけ、突っ伏した。

「もう誰か、殺してくれないかな……」

 俺はダラダラと湧いてくる涙をぬぐう事もせず、ただ、虚脱してこの理不尽な運命を呪った。



       ◇



「グフフフ……、無様だな」

 いつの間にかアバドンが来ていた。

 俺は身体を起こしたが……、何も言う事が出来ず、ただ軽く首を振った。

「もう、俺は奴隷じゃない、悪を愛する魔人に戻れた……グフフフ」

 嬉しそうに笑うアバドン。

「そうだ、もう、お前は自由だ。いろいろありがとう……」

 俺は力なく言った。

「強い者が支配する……、立場逆転だな。これからお前は俺の言う事を聞け」

 アバドンが正体を現す。

「ははは、こんな俺にもう何の価値なんて無いだろ。そうだ、お前が殺してくれよ……それがいい……」

 俺はガックリとうなだれた。

 アバドンはそんな俺を無表情でジッと見つめる……。

「死にたいなら望み通り殺してやる……。だが……、死ぬ前に一つ悪事を手伝え」

「悪事? こんな俺に何が手伝えるんだい?」

 俺は両手をヒラヒラさせながら首を振った。

「女を奪いに王都へ行く、ちょっと相手が厄介なんで、お前手伝え」

 アバドンは俺をジッと見据えて言う。

「女……、えっ!?」

 俺は驚いてアバドンを見た。

「急がないと(あね)さんが危ない」

 アバドンの目は真剣だった。

 自由になった魔人が、まさか何のメリットもない命がけのドロシー奪還を提案するとは……。それは、全くの想定外だった。俺は唖然(あぜん)としてアバドンを見つめた。

「手伝うのか? 手伝わないのか?」

 アバドンはニヤッと笑って言う。

「アバドーン!!」

 俺は思わずアバドンに抱き着く。男くさい筋肉質のアバドンの温かさが心から嬉しかった。

「グフフフ……、(あね)さんは私にとっても大切な方……、旦那様、行きましょう」

 俺は一筋の光明が見えた気がしてオイオイと泣いた。





















4-4. 決死の奪還作戦



 俺たちは部屋に入り、作戦を練る。

 しかし、ドロシー奪還計画はそう簡単には決まらない。何しろ相手は無制限の権能を持つ男。普通に近づいたら瞬殺されて終わりだ。だから『見つからないこと』は徹底しないとならない。見つかった時点で計画失敗なのだ。

 アバドンによるとヌチ・ギの屋敷は王都の高級住宅地にあって小さなものらしい。しかし、今までに連れ込まれた女の子の数は何百人にものぼる。到底入りきらない。つまり、屋敷は単なる玄関にすぎず、本体はどこか別の空間にあると考えた方が自然だ。そんなところに忍び込む……、あまりの難易度の高さに考えるだけでクラクラする。

 しかし、今この瞬間もドロシーは俺の助けを待っている。『命がけで守る』と言い切ったのだ、たとえ死のうとも助けに行くことは決めている。

 幸い俺にはレヴィアからもらったバタフライナイフがある。これで壁をすり抜けて忍び込み、何とか屋敷本体へのアプローチの方法を探そう。

 そして、忍び込んだら見つからないように秘かにドロシーを救出し、連れ出す……。出来るのかそんなこと……。

 俺は無理筋の綱渡りの計画に胃が痛くなり、思わずうなだれてしまう。

「旦那様、あきらめるんですか?」

 アバドンは淡々という。

 どう考えてもうまくいくとは思えない。成功確率なんて良くて数パーセント……。

 でも……、成功の可能性がほんの少しでもあるのならやるのだ。上手くいきそうかどうかなんてどうでもいい、成功のために全力を尽くす。ただ前だけ向いて突き進むのだ。俺は覚悟を決める。

「いや、どんなに困難でも俺は行くよ」

 俺は顔を上げ、しっかりとした目でアバドンを見た。

「グフフフ、成功させましょう」

 アバドンは諦観(ていかん)した笑顔を見せた。



 ただ、単に連れ出すだけならすぐに見つかって連れ戻されてしまう。相手は管理者なのだ。どこに隠れたって必ず見つかってしまうだろう。これを回避するにはもう一人の管理者、レヴィアに頼る以外ない。彼女にかくまってもらうこと、これも必須条件だ。

 俺は早速レヴィアを呼んだ。



「レヴィア様、レヴィア様~!」

 しばらく待つと返事が来た。

『なんじゃ、朝っぱらから……。我は朝が弱いのじゃ!』

「お休みのところ申し訳ありません。緊急事態なのです」

『なんじゃ? 何があったんじゃ?』

「ドロシーがヌチ・ギに(さら)われました」

 俺は淡々と言う。

『んん――――? なんじゃと?』

「俺も無力化されてしまいました」

 絶句するレヴィア……。

 俺は神妙な面持ちでレヴィアの返事を待った。

 部屋の静けさのせいか、やけに時間が長く感じる……。



 ためらいがちな声でレヴィアは言う。

『それは……、んー……、申し訳ないが、どうもならん』

 管理者同士は相互不可侵。ヌチ・ギがやる事にレヴィアは干渉できないのだ。だがそれは想定内。

「わかってます。ドロシーの救出は我々でやります。ただ、救出した後、かくまって欲しいんです」

『いやいやいや、そんなのバレたら、我とヌチ・ギは戦争になるぞ! この世界火の海じゃぞ!』

 管理者権限持っている者同士の戦争……それは確かに想像を絶する凄惨な事態になりそうだ。最悪この星が壊れかねない。しかし、引くわけにはいかない。

「そもそもドロシーはレヴィア様の知人じゃないですか、相互不可侵と言うなら非はレヴィア様の知人を(さら)ったヌチ・ギ側にありますよね?」

『うーん、まぁそうじゃが……』

「バレなきゃいい話ですし、バレても筋は我々側にあります!」

 俺は渾身(こんしん)の説得をする。

『むぅ……。それはそうなんじゃが……』

 あと一歩である。

「かくまってくれたら、なんでも言うこと聞きますから!」

 もう、大盤振る舞いである。

 するとレヴィアは、

『なんでも? 昨晩彼女にやってた、あのすごいこともか? キャハッ!』

 と、うれしそうに笑った。

「レ、レヴィア様! のぞいたんですか!?」

 真っ赤になってしまう俺。

『あれあれ、カマかけたら引っかかりおったわ。一体どんなことやったんじゃ? このスケベ。 キャハハハ!』

「……。」

 引っかかった俺は返す言葉がなかった。

『まぁええじゃろう。ただし、見つからずに連れ出された時だけじゃぞ!』

「……、ありがとうございます……」

 これでドロシー奪還計画の懸案は解決した。そして、こんなバカ話ができることの幸せに改めてみんなに感謝した。



     ◇



 宮崎の火口のだだっ広い神殿でレヴィアはゴロンと冷たい床に転がって考えていた。ユータたちがヌチ・ギの屋敷からこっそりドロシーを奪還する? どう考えても無謀で滑稽な挑戦だった。管理者をなめ過ぎではないだろうか……?

 何か策があるか……、特別な情報を持っているのか……、いろいろなケースを想定してみた。

「いや、違う!」

 レヴィアはガバっと起き上がった。

 そして、つぶやいた。

「あやつら、死ぬつもりじゃ……」

 レヴィアは唖然(あぜん)とした。

 晴れ晴れとした口調だったから気づかなかったが、成功できるなんて本人たちも思ってないに違いなかった。たとえ死んでも成し遂げねばならぬことがある、その覚悟にレヴィアは思わず震えた。

 レヴィアは大きく息をつき、金髪のおかっぱ頭をぐしゃぐしゃとかきむしると、

「我も覚悟を決める時が来たようじゃ……。お主らに教えられるとはな……」

 レヴィアは今まで事なかれ主義で、現状維持さえできれば多少の事は目をつぶってきた。でも、それがヌチ・ギの増長を呼び、世界がゆっくりと壊れてきてしまっていることを認めざるを得なかった。

 スクッと立ち上がるとレヴィアは、空間の裂け目からイスとテーブルを出して座り、大きな情報表示モニタを三つ出現させた。青白い画面の光がレヴィアの幼い顔を照らす。

 レヴィアは画面を両手でクリクリといじりながら情報画面を操作し、何かを必死に追い求めていた。

「ふーん、暗号系列を変えたか……、じゃが、我にそんな小細工は効かぬわ、キャハッ!」

 レヴィアはそう言って笑うと、画面を両手で激しくタップし続けた……。















4-5. ヘックショイ!



 早速奪還作戦開始だ。俺は救出に使えそうな物をリュックに詰めていく、工具、ロープ、文房具……そして、ドロシーの服に手を伸ばした。麻でできた質素なワンピース……。

 俺は思わず広げて、そしてぎゅっと抱きしめた。ほのかにドロシーの匂いが立ち上ってくる……。

「待っててね……」

 俺はそうつぶやき、ゆっくりと大きくドロシーの香りを吸い込んだ。

 

 それから、動きやすそうな服に着替え、革靴を履き、靴紐をキュッと結んだ。

「よし! 行こう!」

 俺は立ち上がり、アバドンを見る。

「では王都まで参りますよ。ついてきてください」

 そう言うとアバドンは壁に金色に光る魔法陣を浮かべ、その中へ入っていく。

 俺も恐る恐る魔法陣の中に潜った。

 魔法陣の中は真っ暗闇で、上下もない無重力空間だった。アバドンは何か呪文をつぶやくと、向こうの方でピンク色に魔法陣が浮かび上がる。そして、俺の手を取ってそこまでスーッと移動した。



 アバドンはそっと魔法陣の向こうに顔を出し、辺りをうかがい……、言った。

「大丈夫です。行きましょう!」

 魔法陣を抜けるとそこは人気(ひとけ)のない(すさ)んだダウンタウンだった。

「旦那様こっちです」

 そう言いながらスタスタと歩き出すアバドン。

「これ、凄いね。いきなりヌチ・ギの屋敷に繋げないの?」

 追いかけながら聞いた。

「ヌチ・ギの作った魔法ですから、セキュリティかかってて使えないですね」

 アバドンは首を振る。

「そりゃそうか……」

「ヌチ・ギの屋敷まで二十分くらいです」

 アバドンの説明に俺は静かにうなずいた。

 憧れの王都に着いたが、治安はアンジューの街よりは悪そうだ。俺たちはチンピラなどの目に留まらないよう、静かに歩いた。



        ◇



 高級住宅地に入ってくると、豪奢な石造りの邸宅が続く。

「左側三軒目がターゲットです」

 アバドンは前を向いたまま静かに言う。

「了解、まずは一旦通り過ぎよう」

 見えてきたヌチ・ギの屋敷の玄関には警備兵が二名、槍を持って前を向いている。石造り三階建てで、入り口には黒い巨大な金属製のドアがついており、固く閉ざされている。この辺りの邸宅は隣家とのすき間がなく、通りに沿ってまるで一つの建物のようにピタリと並んでいる。

 向こうの方から荷馬車がやってきてヌチ・ギの屋敷前に止まった。どうやら荷物の配達らしい。これはチャンスである。

 俺たちは素知らぬ顔で屋敷の玄関を通り過ぎ、衛兵と配達員が話し始めたタイミングで隣家の玄関の金属ドアを素早くナイフで切って中に忍び込んだ。

 玄関はホールになっており、左右に廊下が続いている。俺たちはヌチ・ギの屋敷側へと早足で進む。すると、ガチャッと前の方でドアが開き、メイドが出てきた。

 大ピンチではあるが、命すら惜しくない奪還計画においてこの手の障害はむしろ楽しくすら感じる。

 俺は何食わぬ顔で、

「ご苦労様です!」

 そう言ってニコッと笑った。

 メイドは怪訝(けげん)そうな顔をしながら会釈する。

 廊下の突き当りまでくると、俺は壁をナイフで素早く切り、アバドンとすぐに潜り込む。後ろの方で悲鳴が聞こえたが気にせずに進んでいく。



 壁の向こうはもうヌチ・ギの屋敷で、薄暗いガランとした部屋だった。ほこりをかぶった椅子や箱が並んでおり、長く使われていない様子である。

 ドアの方へ近づくと声がしてくる。どうやら警備兵と配達員らしい。俺はナイフでドアに切れ目を入れ、そっと開いて向こうをのぞいた。

 ドアの向こうはエレベーターホールのようになっており、配達員が世間話をしながら大きなエレベーターのような装置に台車の荷物を載せている所だった。鑑定をしてみると、このエレベーターは『空間転移装置』つまり本当の屋敷への転送装置という事らしい。

「あと一個です」

 そう言って配達員が台車を押して玄関へと移動し、警備兵も後をついて行った。



 俺たちはアバドンに隠ぺい魔法をかけてもらって、部屋を抜け出し、エレベーターの奥に座って息を殺した。

 戻ってきた警備兵が最後のひと箱を積む。目の前でドサッと乗せられた箱からほこりが舞った。

 俺は不覚にもほこりを吸い込んでしまい、(せき)が出そうになる。

「これで完了です」

 配達員が言う。

 俺は真っ赤になりながら咳をこらえる。

 隠ぺい魔法は、光学迷彩のように姿は消せるが音は筒抜けである。咳などしようものならバレてしまう。

 そして、バレたらもうドロシーの奪還どころか俺たちの命はない。ヌチ・ギは万能の権能を持つ男。俺たちが奪還に動いていることを知ったら、権能を使って探し出し、確実に俺たちを殺すだろう。だから絶対にバレてはならなかった。

 俺はこみ上げてくる咳の衝動を必死に抑え込み、扉が閉まるのを待った。



「じゃぁ閉めるぞ」

 警備兵がそう言った瞬間だった。



 ヘックショイ!

 アバドンの盛大なくしゃみがホール中に響いた。

 俺は凄い目をしてアバドンをにらむ。

 固まる警備兵……。

「お前、くしゃみ……した?」

 配達員に聞く。

「いえ? 私じゃないですよ」

 警備兵から異常が報告されてしまうとそこでアウトだ。俺は必死に息を殺し、祈った。

「誰か……、いるのか?」

 警備兵はなめるようにエレベーターの中を見ていく。

 俺は必死に考える。倒してしまうか? いや、もう一人警備兵がいるからダメだ。では釈明……出来る訳がない。まさに絶体絶命である。冷や汗がタラりと流れる。

「ちょっと報告するから待て」

 警備兵がそう言いながら何やら魔道具を取り出す。万事休すだ。



 俺はいきなりのピンチに絶望して気が遠くなった。

 飛び出さねばなるまい、しかし、どのタイミングで……?

 冷や汗がタラリと流れてくる。



 と、その時、



 ボン!



 アバドンが小柄な男に変身して飛び出した。

 この姿は……ヌチ・ギだ!



「お見事! それだよ!」

 そう言いながらアバドンは警備兵の肩を叩いた。

 アバドンの変装は完ぺきで、甲高い声までヌチ・ギそっくりだった。



「ヌ、ヌチ・ギ様……」

「今、屋敷の警備体制を抜き打ちチェックしてるのだよ。君の今の動き、良かったよ!」

 そう言ってアバドンはニッコリと笑いかけた。

「きょ、恐縮です……」

 うれしそうな警備兵。

「君の査定は高くしておこう。抜き打ちなので、他の人には話さないように!」

「は、はい!」

「では、私は屋敷に戻る。引き続き頼んだよ!」

 そう言いながらツカツカとエレベーターに乗り、くるっと振り向いて警備兵ににこやかに笑った。

「では、扉閉めますね」

 警備兵はそう言ってボタンを押した。閉じていく扉……。

 俺はアバドンをジト目でにらむ。

 アバドンはバツが悪そうな様子で頭をかいた。