会社で、「みんな、おつかれちゃーーん」と一番に声を上げたのはいつも通り、宇賀山だった。

小日向は相変わらずだなと思い、部屋越しに手を上げた。そして自分も急がねばと思った。今日はひなことご飯に行くので、会社の近くで待ち合わせをしている。

残業を見越してもちろん、遅めの時間を設定したが、この調子で間に合うだろうかと微妙なところだった。

すると、「成瀬係長」とその日に限って、仕事を増やす部下が三人ほどいた。

小日向はいつも残業をしているが、決して彼が仕事が遅くて残っているわけではない。小日向の元には優秀でない部下のサポートなどが度々舞い込んで来るので、結果として、それを手伝っていると小日向が一番最後となる。

アドバイスを適当に切り上げる宇賀山とは違って、小日向は丁寧すぎるので時間がかかった。もちろん部下からすればそれが嬉しくて、評判が広がり、ちょこちょこ持ってくる人が最近増えていたのだった。

「最近成瀬係長丸くなったよね」という声も増えた。しかしそれはきっと、最近出会ったひなこの影響だった。

皆が残業を終え、一人二人と会社から人が消えていった。

そしてフロアに残るのはいよいよこころだけとなった。こころは空っぽのパソコンのカーソルを動かしながら、小日向の様子を見ていた。

相変わらずせかせかと最後まで残り仕事をこなしている。途中でやめとけばいいのに。こころはその真面目さに逆に嫌気が差した。

仕事なんか適当にやって、あとは自分の方を向いてくれたらいいのに。こころは何もない画面にキーボードを意味もなく叩いた。

小日向はようやく終わり、すぐにひなこに電話をかけた。ひなこはすぐに「はい」と電話に出た。

小日向が遅れたことを謝るとひなこは「さっき来たばかりですから」ときっと違う見え透いた嘘をついていた。

小日向はそんなところが少し愛しく思え、早く会いたいと思い、「待ってろ」と言うと、電話を切り、バックを持った。

部屋から出ると、フロアに残ってた帰り支度をしているこころと目が合い、こころが「下までご一緒します」と言って、二人でエレベーターで降りることになった。

こころはエレベーターに乗っている間、小日向の横顔を見ていた。

なんだか弾んだ顔をしており、早く下に行きたいという風だった。

もちろんさっきの電話も見ていたので、またひなこかと思った。もう二人は付き合ってるのか?こころは嫌な妄想をしては打ち消した。

エントランスに着き、小日向は「では」とこころと別れようとした時、こころはひなこの姿を見つけた。

ひなこはまだこちらに気づいていなかった。

こころは行ってしまう小日向を呼び止めた。「どうした、山田」と小日向が振り返った時、こころはひなこと目が合った。

そしてこころはそれがタイミングとばかりに、振り返った小日向のネクタイを引き、無理矢理キスをした。

時間が止まったようなひとときだった。

唇を離すと、「お疲れ様です」とこころは言い、家路についた。

小日向はポカンとしていた。そして、それをひなこはばっちり見てしまい、すぐにその場を立ち去ろうとした。

その音が小日向に聞こえ、小日向は「ひなこ」とすぐにひなこを呼び止めた。

小日向はひなこの手を引き、「いや、俺も何が何だか分からないんだ」と言うと、ひなこは「今日は帰ります」と言って、掴まれた手を振り払った。

そしてその目には涙が溢れていた。

ひなこは別に自分は小日向さんの彼女でも何でもないが、最近は距離が縮まり、良い感じと思っていた。

だけど、自分はきっと遊びに過ぎず、あの人が本当の彼女さんなんだと勘違いをした。

かなりの美人で自分なんか足元にも及ばない。やはりイケメンには美女の彼女がいるのか。だから自分はペットなんだと泣いた。

夏がそろそろ終わりを迎え、秋が到来しようとしていた。夜になると、昼のような暖かさはもうどこにもない。

冷え静まった闇夜にひとり、小日向は取り残されたのだった。