アントニーは帰宅してからすぐ、パウエル公爵家の料理人モーリスにベリー摘みの成果を得々と語った。

 名料理人のモーリスは、性格も素敵である。温和な表情でアントニーが語るのをきき、それが終るとにっこりとやさしい笑みを浮かべた。

「奥様、旦那様。ようございました。お二人ともベリーの食べ過ぎで口の中や衣服が黒くなっていますが、それがしあわせのあらわれというわけですな。見るからにおしあわせそうで、わたしもうれしいです」

 モーリスの言葉にドキッとしてしまった。

「しあわせのあらわれ」、「見るからにおしあわせそう」……。

「ああ、とてもしあわせだよ」

 そのモーリスの言葉に、アントニーが穏やかに応じた。

 思わず、彼の横顔を見つめてしまった。

「どれどれ。これはうまい」

 モーリスがカゴにたくさん入っているブルーベリーとブラックベリーをつまんだ。

「奥様。明日、いろいろ作りましょう。手伝っていただけますか?」
「もちろんよ。でも、おたがいにつまみ食いは控えましょうね」

 冗談を言うと、モーリスは豪快に笑った。

 料理人らしく、ちょっと小太りの彼は、味見という大義名分でよくつまみ食いをしている。

「だったら、おれも参加しようかな」

 アントニーがそんなことを言いだしたので驚いてしまった。

「アントニー様、まさかつまみ食いに参加されるというわけではないですよね?」
「バレたかな?」

 冗談に冗談を返されてしまったけど、いまのって冗談でよかったのよね?

「明日は特に予定がないからね」
「では、三人でつまみ食いということにしましょう」

 モーリスも冗談っぽく言ったけど、いまのも冗談でよかったのよね?

 結局、翌日は三人でつまみ食いをしながらジャムやシロップ漬け、ベリー酒、ドライフルーツ作りに精をだした。

 冗談を言い合い、つまみ食いをし、モーリスの指示されな作っていくのもまた楽しい。

 ほんとうにしあわせである。

 こんな毎日が続いて欲しい。

 自分がどんどん貪欲になっていくのを自覚してしまう。

 このままだと、一人になってしまったときにどうなってしまうんだろう。

 そんなことをふとかんがえると、不安と恐怖に襲われてしまう。

 いま、このときを楽しむのよ。将来(さき)のことなどかんがえずに、いまを楽しんでしあわせを噛みしめるの。

 もうこれで何十回とかんがえ、結論にいたっていることである。自分でもしつこいと思っているけれど、それでもウジウジとかんがえてしまう。


 そんなわたしの心の内とは別に、あれだけあった二種類のベリーは、つまみ食いと加工ですべて消費してしまった。

 お腹の中に消えてしまった分は別にして、ジャムもシロップ漬けもお酒もドライフルーツもしばらくは市販品を購入しなくても賄えるだけの量はある。

 もっとも、ジャム以外は厳密にはまだ出来上がっていない。完成するには日にちがかかる。

 残念ながら、わたしは食べたり飲んだりすることは出来ない。

 来月の今頃は、ここにいないから。

 それから二日間は、二人して屋敷にこもって読書三昧と会話を楽しんだ。

 アントニーもわたしも、子どもの頃から本を読むことが大好きである。だから、王立図書館から借りてきた大量の本を集中して読むのもまたしあわせなひとときである。

 だけど、集中出来なかった。いつもだったら、周囲が気にならない。たとえ火事になろうと泥棒が入ろうと、気がつかないほど集中してしまう。

 アントニーの執務室にはローテーブルをはさんで長椅子が二脚ある。どちらもパウエル公爵家とおなじだけの歴史のあるアンティークの長椅子で、座面と背もたれのビロードは座りこまれていてテカテカに光っている。

 行儀が悪いけれど、その長椅子にうつ伏せになって読むのが大好きなのである。

 子どもの頃からアントニーとそうやって読んでいる。

 当時の執務室の主はアントニーの亡くなったお父様、わたしにとっては義父にあたる人だった。

 お義父(とう)様のいらっしゃらないときや使用されていないとき、執務室にクッキーやビスケット、それからミルクを持ち込み、食べたり飲んだりしながら読みふけっていた。

 当然、クッキーやビスケットの食べクズを長椅子の上や絨毯の上に落としてしまうし、ミルクもこぼしてしまう。

 たいてい大目玉を食らった。

 だけど、二、三日後には、二人ともケロッとしてまた同じことを繰り返してしまう。

 かんがえてみれば、彼もわたしもある意味成長していないのね。

 だって、今日もまたブルーベリージャムを煉りこんだマフィンとミルクを持ち込んでいるから。ミルクなんて、おかわりをしに厨房に行かなくてすむようポットに入れて持ち込んでいる。

 読書三昧出来る万全の態勢を整え、読書に臨んでいるわけである。

 それなのに、集中出来ないでいる。