「ああ、これは胃にやさしいな」

 アントニーは、夕食前には戻ってきた。

 ミルク粥と桃のゼリーを出した。

 まるで朝食のメニューだけど、胃に負担をかけない為にはこういうものの方がいい。

 彼は、機嫌よく食べてくれた。

 わたしも同様のメニューである。

 二人でおかわりした。

 胃にやさしいとはいえ、食べすぎかしら?

「今日、伯父上のところに行ったんだろう?」

 食後の紅茶を飲んでいると、彼が尋ねてきた。

「ええ。ということは、あなたも?」
「ああ。よってきた」

 一瞬、ドキッとした。

 彼がわたしの診察のことを知っているということは、もしかして伯父が彼に告げたかもしれないと思ったのである。

 わたしがアントニーの病状を尋ねたということを、である。

「すまない。また彼女たちに何か言われただろう?」
「え?」
「いけ好かない母娘だよな。伯父上も婿養子とはいえ、よくガマン出来ているものだ」
「もしかして、わたしのことは二人から?」
「ああ、たまたまサロンで会ってしまってね。メイベルがやたらと色目を使ってくる。正直、迷惑だ。言葉は悪いが気色が悪い」

 居間の照明は、わざと抑えめにしている。

 二人の昔からの習慣である。

 昔、わたしが両親を亡くした直後、アルフォード家の屋敷に叔父たちが乗り込んできた。わたしは、それ以降居場所を失ってしまった。
 
 そのとき、アントニーが泊りに来ればと誘ってくれてお言葉に甘えることがあった。

 その際、夕食後に「冒険者ごっこ」なるものをやった。

 居間に毛布を持ち込み、ロウソク一本を灯すだけにしてうす暗くする。夜の森を想定してのことである。ロウソクは、焚き火がわりというわけ。
 大理石の床にマットを敷いてその上に二人並んで寝転び、毛布をかぶってお話をしたり本を読んですごした。

 冒険者パーティーの夜のひととき。

 わたしたちは、その遊びをおおいに楽しんだ。

 そのときの習慣で、彼とわたしが契約結婚した後も、夕食後に居間ですごすときには暗めにするのである。

 さすがにマットを敷いて、ということはないけれど。

 それはともかく、彼がメイベルのことを「気色が悪い」と表現したことに、すくなからず驚いてしまった。

 彼が他人(ひと)のことをそこまでひどく言うことはめったにない。

 ということは、よほど思うところがあるのかもしれない。

「それで、診察はどうでしたか?」

 わたしの診察のことを告げたのは、伯父ではなかった。だけど、念のため確認しておきたい。

「ああ、大したことはなかった。それなのに、薬の量を増やすそうだ。例えば、一錠飲む薬は二錠というようにね」
「しばらくの間、お食事も公式の場以外は胃にやさしい物を召し上がった方がいいかもしれませんね」
「そうだね。ちょうどいい機会かもしれない。じつは、モーリスが休みを増やして欲しいって言っているんだ」
「モーリスさんが?」

 モーリスは、わたしたちがまだ子どもの頃からパウエル公爵家の料理を一手に引き受けている名料理人である。

「もう年も年だからね。ここ数年は、こちらから無理を言って厨房に立ってもらっているから」
「それでしたら、彼がお休みのときにはわたしが調理いたします。彼からいろいろ教えてもらっていますし、調理は大好きですから」
「あれ?調理をするより、調理した料理を食う方がもっと好きだろう?」
「意地悪ですね。ええ、ええ、どうせわたしは食いしん坊ですよ。あ、そうでした。今日、マークが「アーチャーの休憩所」のパウンドケーキを買ってきてくれたのです。アントニー様の分もちゃんと残していますので、召し上がりませんか?」
「ほら、やっぱり食う方が好きなんだ」
「もうっ!」

 プリプリと怒っているふりをしながら、厨房に行ってパウンドケーキを持って来た。

「あれ?きみの分は?」

 スライスしたパウンドケーキののったお皿を彼の前に置くと、彼が尋ねてきた。

「どうせまた『やっぱり、食う方が好きだ』って仰るんでしょうけど、夕方にベッキーとマークと三人でいただいたのです」

 案の定、彼の美貌にニヤリと笑みが浮かんだ。

「ユイ、横に座って」

 彼はニヤニヤ笑いを浮かべつつ、長椅子の座面をポンポンと叩いた。

 言われるまま横に座ると、彼はフォークでパウンドケーキを一口大の大きさに切り分けた。

「はい、アーンして」

 そして、フォークでさしたそれを、わたしの口許へと運んできた。

 これもまた、子どもの頃によくやりあった所作である。

 子どもの頃は羞恥心がない。だから、いまでは恥ずかしすぎてぜったいに出来ないことでも平気でやっていた。

 この「はい、アーンして」は、その最もたるものである、

 彼の突然の行いに、戸惑いを禁じ得ない。

 だけど、彼の表情は冗談とかからかっているという類のものではない。照れ臭さの中に、なぜか真剣さがうかがえる。

 こんなこと、子どものとき以来……。

 恥ずかしすぎるけど、嫌な気分ではない。

 だから、何も言わずにアーンした。

 そして、つぎはわたしが彼に「はい、アーンして」をする番である。

 この静かな夜のひとときを、思いもよらない複雑な気分ですごしてしまった。