まもなく離縁予定ですが、冷徹御曹司の跡継ぎを授かりました

「少し挨拶をしてくる。ウェルカムドリンクでも飲んで待っているといい」
「あ、ちょっ」

 端っこに並んだ椅子の前で掴んでいた手を解き放たれると、彼はそのままどこかに消えようとする。私は咄嗟に着物の袖を掴んで引き止めていて不思議そうに振り返る彼と視線が交わる。

「いったい、あなたは誰なんですか」

 私はこの人について何も知らない。

 一哉さんという名前だけで何をしている人なのかも、どういう人なのかもわからない。彼がどうして私なんかを気にかけてくるのかもさっぱりだ。

「この前は〝妻にならないか〟とか笑えない冗談言うし、突然うちに押しかけてきたかと思えば高い着物を着せて。なんでよりによってこんなところに」

 溢れる疑問がどんどん湧きだしていく。

 いつも突然で説明もなければ強引な彼はまるで何を考えているか分からない。私はいつも振り回されてばかりだ。

「それに私はあなたについてだって何も――」
「説明はする。ただ今はそのときじゃない」

 触れるか触れないかの距離で彼の指がそっと私の口元に近づく。意味深な言葉を残しじっとこちらを見下ろす綺麗な瞳に吸い込まれそうになった。

 ぼんやり立ち尽くしているうちに一哉さんの姿はなくなっていた。

 ひとりになるとこちらに向いていた視線もなくなり、綺麗にしてもらったからか誰も私が鷹宮結だとは気づいていないようだ。