まもなく離縁予定ですが、冷徹御曹司の跡継ぎを授かりました

「一応仕事柄、人の顔を覚えるのは得意な方でね」

 やっと手に力が入り、気持ちを落ち着かせるように水を一気に飲み干す。そんな私を見て立ち上がる彼はソファの背にもたれかかり腕を組んでこちらを見下ろした。

「そんなことはどうでもよくて。いいの? このままで」

 意味深に問いかけられる。

「このままでって」
「君は仕事も結婚相手も失った。実家の呉服屋だって時間の問題だろう。でもあいつは何も変わらずのうのうと暮らしてるぞ。むしろ政略結婚から解き放たれて遊び放題だ」

 わざわざ言われなくとも分かっている。改めて言葉にされるとチクチク心に突き刺さり、唇をぎゅっと噛んでこらえた。

「俺の妻にならないか」
「……え?」

 聞き間違いだろうか。俯いていたら耳を疑う言葉が降ってきて、しばらくパクパク口を動かしながら声にならなかった。

「今、なんて?」

 この人はこの状況で〝妻〟と言ったように聞こえた。

 どこをどう間違えたらそんなワードが飛び出すのか分からない。平然とした変わらない態度を見せる彼を見上げながら、一周回って笑ってみるけれどなんとなくそれも違うようだ。

「だから俺の妻にならないかと言ったんだ。ちょっとこちらも訳ありでね。もちろんただでとは言わない。もし受け入れてくれたら――」
「け、結構です!」

急に怖くなりそう叫ぶと、急いでベッドルームから鞄を取って全速力で部屋を後にした。