「それで元気になったと思ったら離縁をしたいというのはどういう事なのかな?」

 侍女を呼んで支度を手伝ってもらった後、すぐにヘニング様の元に向かう。
 結婚式の翌日だけあってヘニング様は騎士団の仕事をお休みした様で、自室で本を読んでいたらしい。話したい事があるというと、すぐに部屋に通してくれた。

「俺に気に入らないところがあったのなら教えて欲しい。屋敷や使用人達に問題がある時も。改善してみるから」
「いいえ。そうではありません。私にも心に決めた相手がいるからです」
「心に決めた相手? それは妬いちゃうな。どんな相手か教えてくれる?」

 向かいの席で探る様な目を向けてくるヘニング様に縮み上がりそうになるも、私は覚悟を決めると真っ直ぐにその目を見返す。

「騎士です。国に忠義を尽くし、私を守ってくれた」
「俺も騎士だけど……。その言い方だと、俺じゃないんだね?」
「え、ええ……」

 あからさまに落ち込んでしまったヘニング様に私は内心で焦ってしまう。ヘニング様は仕方がなく私と結婚してくれた訳ではないのだろうか。
 ヘニング様は片手で顔を押さえると、怒気を含んだ低い声で呟く。

「俺と同じ騎士なのにエレンの心を射止めたのはどんな人なんだい……? 俺が決闘を申し込んでやる……」

 温厚なヘニング様の変わり様に怖気立つと同時に無関係な騎士達の身を案じる。このままではヘニング様は私と関係がありそうな騎士に手当たり次第に決闘を申し込みそうであった。
 どうにかしてヘニング様を止めなければと口を開く。

「誰という訳ではないんです! 夢で見たと言えばいいのか……」
「夢?」

 しまったと内心で呟く。咄嗟に「夢」と言ってしまったが、さすがに無理があったかもしれない。すると、ヘニング様は「どんな夢か教えてくれないか」と低い声で尋ねてきたので、引くに引けなくなった私はグラナック卿について簡潔に話す。

「幼い頃から私を守ってくれた騎士で、私と国に忠義を果たして……死んだんです。来世では必ず結ばれようと約束して……」

 そこまで言った時、ヘニング様が奇妙なものを見る様な目でじっと私を見つめている事に気付く。さすがに夢で見たというのは無理があったのだろうか。

「夢か……確かに夢かもしれないね。だって、エレンが幼い頃は身近に騎士はいなかっただろう」

 ヘニング様の言葉に頷く。今の私は身体が弱く、幼少期のほとんどはベッドで過ごしていた。当然、国の行事にもほとんど参加しておらず、騎士どころか貴族にもほとんど存在を知られていなかった。ようやく元気になったのは成人を迎える直前であり、その頃に催された姉の結婚式に出席したのが王族として最初の仕事でもあった。
 その時に式の参列者や招待客、王族を護衛する騎士と出会ったが、その中の護衛騎士の一人がヘニング様であった。

「そうです。でも私は夢だと思いません。それにもし相手も待っているなら見つけたいのです。何日、何年掛かってでも……」
「そっか……」
「それにヘニング様にもずっと心に決めた方がいますよね? 結婚前に噂で聞きました」
「あれは……」
「ヘニング様も心に決めた方がいるのなら、その方と結ばれた方が良いです。私で力になれる事でしたら手伝います。誰なのですか。その方は……」

 もし噂されていた様に、身分や家柄に問題がある人なら、王族だった私が力になれるかもしれない。父や兄に口利きをして、貴族の後継人を付ける事も出来るだろう。そう思っての言葉だった。
 けれども、ヘニング様はわずかに困った様な顔をしたかと思うと、隣に座ってきた。

「俺が心に決めた相手……それはエレン。君の事だよ」
「私……ですか? でも私達も出会ってからほとんど接点なんてありません……」
「接点なんて関係ないよ。でもそうか……エレンにはもう俺以外に心に決めた人がいるんだね。それなら俺が入り込める余地はないのかな……」
「それなら!」
「でも離縁は出来ない。伽もする。白い結婚で終わらせるつもりはない」
「関係を持ってしまったら、離縁は出来ません。どちらかが死ぬまで……」
「あくまで法律上はね。でも心までは縛れないだろう。エレンの心が他の男を想うのは構わない。でも君自身は俺が欲しい。ようやく手に入れたのだから……」

 腰を抱かれたかと思うと、私の肩にヘニング様が顔を埋める。またヘニング様から懐かしい匂いがしてきた。私を包み込んでくれる様な優しい香り。どこで嗅いだか考えていると、不意に頭の中にグラナック卿の言葉が思い出された。

『これは姫様からいただいた花と同じ香りです。侍女に頼んで香水にして貰ったのです――』

 その言葉で私は目を見開く。そうだこのヘニング様から漂ってくるこの香りはグラナック卿が常に振りかけていた香水を同じ香りだった。
 前世の私がまだ子供だった頃、騎士見習いでもあったグラナック卿に花をプレゼントした事があった。

 前世の私とグラナック卿は幼少の頃からずっと一緒にいた。グラナック卿の家は代々ソウェル王国に仕えていた騎士の家系であり、私が生まれた時に世話係と護衛を兼ねて、歳が近いグラナック卿が選ばれたのであった。
 年齢と共にグラナック卿は騎士、私は王女としての責務を担う様になり、会う機会は減ったが、それまではどこで何をする時も共にいた。
 そんなある時、私が何気なくグラナック卿に王宮の温室に咲く花をプレゼントしたのだ。グラナック卿に花を贈った時は何も考えずに渡してしまったが、成長と共に男性に花を贈るものではないと知った。
 それでもグラナック卿はその花を喜んでくれただけではなく、同じ花から抽出した香水を身に付けていた。最期の時も血に混ざって、グラナック卿から漂っていた。

(まさか、ヘニング様の前世って……)

 ヘニング様の前世はグラナック卿では無いかと考えかけるが、そんな訳はないと否定する。
 男の人でも香水を身に付ける人はいる。ヘニング様はたまたまグラナック卿と同じ香りの香水を気に入って身に付けているだけ。
 幸いにして前世の私であるヘンリエッタとエレンは髪色も目の色、声もそっくりだったが、ヘニング様とグラナック卿は違う。
 比較的温厚なヘニング様に対して、グラナック卿は誠実で堅物だった。性格だけではなく、見た目や声、話し方や性格など何もかも異なっていた。

(ううん、ヘニング様がグラナック卿な訳がない。だってグラナック卿ならこうやって抱き締めたりしないから……)

 そう自分に言い聞かせたのであった。