『アヤ?アヤでしょう?』

 心の中で呼びかけてみた。

『カリーナ。そうよ、わたしよ』

 アヤの姿は見えないけど、心の中でたしかにそうきこえた。

『この前はありがとう。まさか、わたしってばまた死にかけているとか?』
『大丈夫よ。あなたはちゃんと生きているし、元気だから。わたしがここにいられるのも、もう間もなくみたい。だから、持てる力をフル稼働しているの』
『ちょっと、どういう意味なの?』
『カリーナ。いまのあなたは完璧な聖女よ。あなたの力が強くなりすぎたわ。一つの体にあなたとわたし、二つの精神が同居することがかなり難しい状態なの』
『そ、そんな。アヤ、いまはまだ無理でも、近いうちに皇宮(ここ)から離れることが出来るようになる。そうしたら、わたしたちが憧れている穏やかで平和な生活が送れるようになる。そのときまで、どうにかがんばれないの?』
「ありがとう、カリーナ。いえ、アヤ・クレメンティ。わたしはもう充分。あなたに心から感謝しているわ。それと、心から愛しているわ。それから、マリオとおしあわせに。わたしも、元婚約者のバカよりもやさしくって思いやりのある彼が大好きよ』
『アヤ、お願い。行かないで。いっしょにいてよ』
『大丈夫。自信を持って。あなたは一人でもしっかりやっていける。あなたはもう本物のアヤ・クレメンティなんかより、ずっとずっと立派にアヤ・クレメンティになっているのだから。あっ、忘れていたわ。あなたたち、生い立ちや出会いはよくはなかったけど、この後はしあわせになるのよ。ふふっ、わたしには見えているの。あなたたち二人は、あたらしい命とともに穏やかで愛にあふれた日々を送っているのを。二人とも、罪悪感を抱く必要もない。その分、あなたの聖女の守りの力で多くの人々に加護を与えてあげてね』

 そんな……。

 あまりにも突然の別れである。

 心の準備がまったく出来ていない。

『カリーナ。いえ、アヤ。あと一つだけお願いがあるの。ここから去る前に、一瞬だけ意識を譲ってくれないかしら。わたしなりにけじめをつけてから去りたいの』
『え、ええ。もちろん』
『そんな顔をしないで。あなたが覚えていてくれているかぎり、わたしはいつでもあなたとマリオとともに、あなたたちの子どもたちのことも見守っているわ』

 わたしに彼女の姿は見えないけれど、彼女にはわたしの表情がわかっているみたい。

 って、マリオとわたしの子どもたち?

 彼女の言葉に驚いた瞬間、現実に引き戻された。

 義母と義姉が、必死にお情けちょうだいを演じている。

 マリオ、というか皇太子殿下の産みの親であることや父違いの姉であることを、必死に訴えている。だから、ヴェッキオ皇国で引き取って養ってくれと懇願している。

「な、なんだと?話が違うじゃないか。血がつながっているから、うまく言いくるめて援助させるという話だっただろう?」

 バカな元婚約者は、狼狽している。

「内輪もめは、自国に戻ってからにしろ。それに、産みの親に父違いの姉?」

 マリオは、わざとらしく溜め息をついた。

 彼と本物の皇太子殿下の内心は、おそらく複雑に違いない。彼女が母親であることは、まず間違いないのだから。

 だけど、認めるわけにはいかない。それを認めてしまえば、せっかくまとまりつつあるこの皇国にまたいらぬ争いを呼んでしまうことになる。

 それだけは避けなければならない。

「よくいるのだ。じつはわたしはあなたの身内だの、秘密を握っているなどという輩が。まるで春の虫のごとくわいて出てくる。そういう連中の末路を知っているか?まぁ、いまのはきかなかったことにしよう。ただし、一度きりだ。これ以上囀るようなら、舌を切り落としてやる」

 彼は、玉座の肘置きを掌でバンと叩いた。

 マリオ……。

 ほんとうの母親なのに、彼の意志の強さには感服してしまう。

「チッ、使えぬ連中だ」
「な、なにを言っているのよ。そもそも、あんたが悪いんじゃない」
「あー、プレスティ国になど行くんじゃなかったわ」
「なんだと?おまえらがおれをそそのかしたんじゃないか」

 元婚約者のつぶやきに、義姉と義母がキーキー声でやり返している。

 こうなったらみっともないとしか表現のしようがないわね。

「とにかくアヤ、早く来い。どうせ聖女として贅沢がしたいだけで、その皇太子のことなど好きでもなんでもないんだろう?ふふんっ。おれのことをまだ想っているんじゃないのか?だったら、いいじゃないか。これまで同様可愛がってやるから、いっしょに来るといい」

 どこまでバカなの?っていうか、このバカはどこか違う世界にいるんじゃないの?

 話にならなさすぎる。

 その瞬間、意識が飛んでしまった。

「くそったれの王太子殿下、おとといきやがれって言わせてもらうわ。尻尾を巻いてさっさと帰るといい。そして、勝手に滅びなさい」

 自分の口からそんな下品でひどすぎる言葉が飛び出しているのを、どこか遠くできいたような気がした。