ヴェッキオ皇国は、まとまって平和で豊かになりつつある。だけどその一方で、故国であるプレスティ王国は、破滅の道をたどっている。

 わたしがヴェッキオ皇国の聖女としてヴェッキオ皇国を守護しているのをききつけたらしい。大分前から、元婚約者であるプレスティ国の王太子の使者がいれかわりたちかわりやって来ては、戻って来いだの助けろだのとふざけた内容のことを告げた。

 当然、ムシである。一応は、「お断りします」との返事は持たせて帰らせる。が、さほどときを置かずしてまた別の使者がやって来る。

 その繰り返しである。

 何度目かに、マリオが意地悪なことを言った。

「アヤは、わがヴェッキオ皇国の聖女だ。しかも、貴様らが彼女を偽聖女として追放したのではないか。いまさら、ではないか。せめて追放した当人がやって来て、土下座して頼むくらいの誠意を見せるべきではないのか?」

 そんな意地悪きわまりないことを言われた使者は、死者(・・)のごとき顔色で帰って行った。

 それが功を奏したのか、しばらくは音沙汰がなくなった。

 マリオや本物の皇太子殿下と、諦めたのかと話をしていた。が、甘かった。

 なんと、ほんとうにやって来たのである。

 アヤの元婚約者であるプレスティ国の王太子アルド・パッティが。

 しかも、彼は一人で来たわけではなかった。

 アヤを罠にはめ、彼女にかわって王太子の婚約者になった義姉のミーナ。それから、ミーナの実母、つまりアヤの義母であるマリカを伴っていたのである。

 義母マリカは、マリオと皇太子殿下の実母でもある。そして、義姉のミーナは彼らの同腹の姉にあたる。

 ここにきて、ややこしくなりそうだわ。

 そんな厄介者たちが来ることは、皇太子殿下にしか告げなかった。

 まさか皇帝陛下に告げるわけにはいかない。

 何せ、マリカは皇帝陛下がお手つきをした女性で、彼女は他の複数の男性と付き合っていることがバレてヴェッキオ皇国を追放されたのである。

 それこそ、昔のことで罵り合いになるかもしれない。

 それとも、意外と懐かしがって旧交でもあたためあうのかしら。

 というわけで、皇太子殿下が謁見することになった。

 謁見の間で、堂々と玉座に座しているのはマリオである。わたしは、その隣で聖女っぽくしおらしい感じで佇んでいる。

 皇太子殿下とヴァスコも謁見の間にいる。

 側近のふりをして、壁際に佇んでいる。

 人払いはしている。

 元婚約者一行は、内密に訪れている。この極秘の謁見が終われば、彼らはすぐに帰国の途につく。

 武器の類はいっさい持っていない。謁見の間に到着するまでに、何度もチェックされているからである。

 もっとも、武器の類を持っていても問題はない。

 この国に来てから、マリオとわたしの暗殺者としてのスキルが役に立っている。数は減ってはきているものの、狙われることが少なくないからである。

 マリオと二人、どれだけの敵を撃退したことか。

 お蔭で、二人とも腕が上がった。

 というわけで、元婚約者たちがどれだけ武器や毒の類を持っていようと、わたしたちにかなうわけはないのである。

「アヤ・クレメンティ、戻って来ることを許す。ともに、このまま来るのだ」

 バカだわ、あいつ。そうとしか言いようがない。

 すぐ隣の玉座上で、マリオが眉をひそめた。

「バカじゃないの?」

 まさしく言いかけたとき、彼が手を上げてそれを制した。

「貴様か?貴様がアヤに言いがかりをつけて追放をしたのか?」

 玉座上の彼は、キュンとくるほどかっこいい。

 マリオが冷ややかな声音で問うと、バカ王太子はハッと気がついたようだ。

 わたしからマリオへ視線が移った。

「礼儀知らずのバカ者め。彼女にそれ相応の謝罪をし、乞うならば考慮せぬでもなかったが、開口一番それならば考慮する価値もない」
「い、いや、すまない。彼女の顔を見たからつい」
「無礼者がっ!どちらの立場が上か、貴様は自覚しておるのか」

 マリオは容赦がない。

 本物の皇太子殿下なら、まだとりつくしまがあったかもしれない。だけど、彼はそうではない。

「とにかく、時間がないんだ。アヤ、はやくしろ」

 バカがバカを言っている。

 話にならなさすぎて付き合いきれない。

「アヤは、わたしの婚約者だ。もう間もなく、皇太子妃になる。貴様は、このヴェッキオ皇国の皇太子妃をさらうつもりか?」

 マリオが先程とはうってかわってやさしい声で言った。

 なんですって?

 こんな台詞、打ち合わせになかった。

 もしかしてマリオ、いまのはアドリブなの?

 ドキドキがおさまらない。同時に、心の中にジワジワとうれしさがひろがってゆく。それは、心を飛び出して全身に広がり浸透してゆく。

「ならば、わが国の状態が落ち着いたらすぐに返す。それでいいだろう?もちろん、国の経済状態が落ち着いたら、それ相応の礼はするつもりだ」

 バカ王太子は、ヘラヘラと笑いながら玉座を見上げている。

 アヤったら、よくもあんなバカと婚約者でいれたものよね。

 心からそう思わずにはいられない。

 そのとき、心の中に違和感があることに気がついた。

 これは、偽侯爵の古城で死にそうになったときに起こった感覚に似ている。