マリオが皇太子殿下になりすますと決まってから、彼は皇太子殿下にぴったりはりついてその一挙手一投足を頭に叩き込んだ。

 マリオは、ただの脳筋バカではなかった。

 頭のキレる脳筋バカである。

 ヴェッキオ皇国の(まつりごと)のシステム、貴族社会の詳細、派閥や人間関係、とにかく気の遠くなるようなもろもろのことを、数日の間で頭に叩き込んだ。

 いまでは、皇太子殿下本人以上に本人に見える。

「宰相はさっそく自分サイドの官僚や貴族に招集をかけ、自分の見聞きした皇太子の豹変ぶりを語るだろう。そして、対策を立てるはずだ」

 本物の皇太子殿下の言葉に、ヴァスコとマリオとともにうなずいた。

「マリオには、これからもうひと暴れしてもらう。もしかすると、そのひと暴れを目の当たりにした連中と同盟を結ぶかもしれない。どう出てくるか、楽しみにするとしよう」

 顔面を包帯に覆われている皇太子殿下の口角が上がった。

「殿下。あなたご自身、強くなりましよ」

 ヴァスコがしみじみといった感じでつぶやいた。

 わたしもそう思う。

 彼は思いもかけず死線を超え、いろいろな現実や秘密をつきつけられた。そして、それらを受け入れなければならなかった。

 病のことはともかく、精神は強くなっているのかもしれない。

「お任せを。聖女様とともに、連中には一生忘れらない晩餐をすごさせてやりますよ」

 マリオもまた、ワイルドな美形に不敵な笑みを浮かべている。

 いまから、皇帝陛下と皇子たちと夕食をともにすることになっている。

 その際、わたしも紹介してもらうことになっている。

「マリオ、誠の父上かどうかはわからない。大丈夫かい?」

 皇太子殿下がふと尋ねた。

 皇太子殿下の父親は、一応皇帝陛下ということになっている。だけど、真実はわからない。彼らの産みの母親でありアヤの義母であるミーナであっても、それはわからないかもしれない。同時に複数の男性といい仲であったからである。

 それはともかく、皇太子殿下は、マリオが実の父親である可能性の高い皇帝陛下に会うことを心配しているのである。

「大丈夫です。感傷に浸るほど、父親の存在を意識しているわけではありません」

 マリオは、その本心は別にしてもそう答えた。

 そして、わたしたちは皇族の夕食会に備えた。


 皇子の多さに驚いてしまった。皇子だけではない。すでに妻帯している者は、当然皇子妃を連れている。それから、皇女もいる。

 上座に皇帝陛下がいて、左右に分かれてそれぞれ座している。

 さらに驚いたことに、皇太子殿下のはずのマリオの席は、末席なのである。

 わたしは、そのマリオの席の隣に座している。

 ヴァスコと本物の皇太子殿下は、わたしたちのうしろの壁ぎわで控えている。

 あとで知ったことであるが、この席次は勢力図そのものらしい。つまり、母親がどれだけの家格と力を持っているかによって、席の順番が決まっている。

 ざっと見たかぎりでは、晩餐会に出席しているのは二十名をすぎたくらいになるかもしれない。

 お盛んなことはいいかもしれないけれど、これだけ多いとトラブルのもとにしかならないのでは?とかんがえてしまう。まぁ、身分卑しいわたしのひがみなのでしょう。

 それにしても、よくぞ皇太子殿下がその地位に就けたということである。

 周囲の皇子たちの態度や会話から察するに、レベルは似たり寄ったりである。

「これはすぐれているのでは?」、というような飛び抜けて優秀そうな皇子はいない。だけど、「愚かすぎてお話にならない」、というようなレベルの皇子もいない。

 皇太子殿下が選ばれたのは、もしかするとなんの後ろ盾がないからではないのか。後ろ盾のある皇子を選べば、選ばれなかった派閥がどう出てくるかわからない。
 とりあえず、無難な皇太子殿下にしておいた。そんな感じなのかもしれない。

 それはそれで、かえって災厄を招きそうなのであるけれど。

 ここでの皇太子殿下の存在は、空気である。つまり、まったく存在感がない。いい意味にでも悪い意味にでも、だれもかれを気にかけたり留めたりする者はいない。

 ありがたいことに、出された料理の数や品は同じだった。

 どうせだれにも相手をされないし、してもらえない。そして、わたしたちは常に飢えている。

 ひたすら黙々と食べた。競うようにして食べてしまった。それこそ、周囲にいる皇子や皇女たちが驚いて二度見、三度見してくるほどがっついた。

 本物の皇太子殿下とヴァスコが止めるかと思ったけど、止めなかったので調子にのって食べ続けた。

 目の前に皿を置かれては食べてゆく。その繰り返しである。

 出された皿の上の料理は、食べかす一つ、汁の一滴すら残さなかった。

 デザートのパイも、ポロポロ落ちる生地をフォークでかき集めてから口に入れた。

 完食した。清々しいほどの食べっぷりだと、自分で自分を褒めたくなった。

「ごちそうさまでした」

 偽皇太子殿下と二人で手を合わせ、作ってくれた料理人や関わったすべての人々に感謝の念をあらわす。

 料理を運んでくれているメイドたちも、わたしたちの食べっぷりにひいているのがわかる。

 上流階級というのは、出された料理は形ばかり口をつけるだけのことが多い。

 みっともないとか不作法とか、そんな理由で。

 わたしとしては、そんな理由の方が作ってくれた人や材料にたいして失礼だし、もったいないと思う。

「聖女アヤ、わが国の皇族の料理はいかがでしたか?」

 ナプキンで口許を拭っていると、偽皇太子殿下が尋ねてきた。それも、静かな食堂に響き渡るほどの大声で。

 いよいよ、である。

 偽皇太子殿下の独り舞台がはじまろうとしている。