あー、ぜったいに乗馬服に血臭や死臭が移っちゃったわよね。

 夜空を見上げると、いまはもう雲がなくなっている。

 月と星々の明かりの下、街の宿屋まで歩くことを思うと気が滅入ってしまう。


 そこが宿屋兼飲み屋であることは、アヤからきいて事前に調べている。

 アヤったら、もう。
 こんな怪しげな宿屋、そもそも泊ろうって思う方がおかしいわ。

 まぁ公爵令嬢であり聖女である彼女に、街の汚いところやマズいところの見分けなんてつくわけないわよね。それどころか、街では日常茶飯事に汚いことやマズいことが起っていることなんか、知るわけないわよね。

 こんな時間に清楚な感じの女性がたった一人で泊まりたいといっても、宿屋の女主人は特に気にも留めなかった。

 この宿は、そんないわくありげな宿泊客ばかりなのである。いちいち気にしていたら、キリがないわけ。

 お腹が減っている。

 寝る前に食べるのはよくないけど、このままでは眠ることも出来ない。
 あ、そうか。いまからまたひと悶着ありそうだから、いずれにせよ眠れないか。だったら、いいわよね。

 女主人に食事をさせて欲しいとお願いしたら、「サンドイッチだったら作ってやるよ」と言われた。だから、お願いした。

 そこは「作ってやるよ」ではなく、「サンドイッチでもよろしいでしょうか」じゃないの?という接客マナーについては触れないでおいた。

 カウンター席があるので、一番目立たない壁側の端のスツールに腰をかけた。トランクは、安っぽい木材の床の上に置いておく。

 ここの床もまた、正体不明の汚れやゴミに支配されている。

 まぁ、ゲロがないだけまだマシかしら。

 ということにしておく。

 ほどなくして、欠けた平皿の上にのったサンドイッチらしきものがカウンターの上に置かれた。

「これは何?」

 皿の上には、サンドイッチとは程遠い紙みたいに薄っぺらいものが何枚か重なっている。それを見ながら、口の中で尋ねた。

 女主人に尋ねたところで、「サンドイッチさ」って答えるに違いない。きくだけムダってやつ。

 仕方がない。こんな物でもないよりかはマシかもしれない。

 指先でつまんで出来るだけ見ず、においも嗅がずにかじりついた。

 先程のブルーノの屋敷の悪臭が、まだ鼻に強烈に残っている。

 そんな味が口中にひろがった。

「うわっ、まずすぎ!」

 思わず、つぶやいてしまった。

 訂正。つぶやきどころか、フツーに声に出して言ってしまった。

 よかった。女主人は、カウンターの他の客と話をしている。

「そうだよな。こんな靴の底みたいな味のするサンドイッチ、食えないよな?」

 そのとき、真後ろからそんな非難が発せられた。

 さすがに、いまのは女主人にきこえたみたい。

 めちゃくちゃにらまれた。

「横に座ってもいいかい?」

 わたしが拒否をする暇もなく、隣に勝手に座って来た。

 さっと視線を走らせ、ひとりよがり野郎の(つら)を拝んでやった。

 典型的なイケイケ野郎ね。男でも女でも、言葉巧みにひっかけるのよ。男は金を巻き上げたり、殴って憂さ晴らしをしたり、あるいは殴った上で金を巻き上げたりするわけ。それから、女は誘惑してヤリまくるの。

 たしかに、見た目はそこそこイケてる顔ね。ブルーノなどのように貴族の美形と違うのは、醸し出す雰囲気ね。

 いかにも暴力をふるいそうだし、小賢しさがにじみでている。

 こんなおバカさんに引っ掛かる方が悪いわ。

 残念ながら、アヤもその一人なのよね。

 これが、アヤの四度目の人生の最期に登場する人物。

 アヤは、このおバカさんに引っ掛けられ、この宿屋の自分の部屋に連れこんじゃってそこでヤラレそうになったところを激しく抵抗した。そして、四度目の「ジ・エンド」を迎えた。

 まずこの宿屋を選んだこと、こんないかにもなイケイケのおバカさんに言葉巧みな誘いにのっちゃったこと、これがアヤのミスね。というよりかは、彼女はもっと世間を知っておいた方がよかったのよね。

 まっ、それは彼女の場合のことであって、わたしにはあてはまらないんだけどね。

 さっそくひっかかってくれたから、じっくりお手並み拝見といきましょうか、色男さん?

 夜はじまったばかり。まだたっぷり時間はあるんだから。

 舌なめずりをしそうになって、自分が淑女のアヤであることを思い出してやめておいた。