「すまない、ほんとうにすまない」

 彼はわたしの頬から手を離すと、その手の甲で荒っぽく両目をこすった。

「情けない暗殺者だし、さらに情けない男だし、その上泣いたりなんかして。そういう話に弱いんだ」
「はい?」

 驚きである。って、自分だってたいがい「そういう話」だと思うんだけど……。

 だけど、彼はやはりやさしいし、他人を人一倍思いやることの出来る人である。

「あなたの話の方が、よほど「そういう話」だと思うんだけど。だから、泣かないで。わたしなんて、自分の意志でやっていたのよ。つまり、成り上がってみせるみたいな?金貨をたくさん稼いでやるっていうふうな感じよね。その為なら、なんでもやっていたの。だから、あなたが泣くような、「そういう話」ではないわ。どちらかといえば、愉しんでいたしね」
「それにしたって……。つらいことも多かっただろう?嫌になったり逃げだしたくなったりもしただろう?」
「まぁ、そういうことがなかったといえば嘘よね。だけど、それはおたがい様よ。あなただってそうだったでしょう?」

 どうやら、彼の涙は止まったみたい。

 ほんと、マリオったら一面も二面も三面も意外なところを見せつけてくれるわよね。

「おたがいそういうことはあったけど、過去の話でしょう?おたがいの「そういう話」が、現在(いま)やこれから将来(さき)に影響をあたえたり、ましてや命取りになるなんてことはない。だから、気にする必要はない。でもね、マリオ。あなたが「そういう話」を告げてくれたことはうれしかった」

 本音である。嘘偽りなどではけっしてない。

 微笑みかけると、彼は照れ笑いを浮かべた。

 それはそうよね。近隣諸国だけでなく、遠い国までアヤの美しさは鳴り響いている。

 そんな美しい顔で微笑みかけられたら、どんな堅物でもとろけてしまうわよね。

「マリオ、じつはまだあるの。もしかしたら、このことが一番大切かもしれない」

 そう告げた瞬間、彼のワイルドな美形に一瞬だけうんざりしたような表情が浮かんだような気がした。

 もしかすると、気のせいかもしれない。わたしの被害妄想が激しいのかもしれない。

「それで、アヤが憑依させた魂と精神について、なの。はやい話が、いまあなたに話している本人のことなんだけど……」

 そこでいったん口を閉じた。

 怖くなったからである。

 マリオは、きょとんとしている。

「ごめんなさい。わかりにくかったわよね。アヤに憑依させられたわたし、のことを話したいの。わたしが、だれかということを」
「ああ、なるほど。聖女が見込んだ女性なんだ。きっと素晴らしい女性なんだろうね。って女性、だよね?まさかの男性とか?ええっ?ま、まさか爺さんとか?」

 彼は上半身をのけぞらせた。

「おれは、爺さんをお姫様抱っこしたり抱きしめたりしたとか?」

 彼の妄想はとどまるところをしらない。

 って、どうしてわたしのことを爺さんだなんて想像するのよ。

 わたしが爺さんなのだったら、わたしだって野郎にお姫様抱っこをされたり抱きしめられたりだなんて冗談じゃないわ。

「ちょっと、失礼ね。わたしが爺さんですって?そんなんじゃないわ。それに、アヤだって自分の体の中に爺さんを招き入れると思う?」
「ああ、よかった。たしかに、それはそうだな。ということは、すくなくとも同性なわけだ」
「あなたの妄想が独り歩きする前に言っておくけど、婆さんじゃないわよ」

 また失礼なことを妄想されたくない。だから、先手をうっておいた。

「だったらきっと、聖女レベルの女性なんだろうね。清楚で従順でやさしくって気遣いが出来て、豊満な胸にキュートなお尻の形をした……、うわっ!何をするんだ」

 思わず、愛用の軍用ナイフを鞘から抜いて彼の首筋にあてていた。

「マリオ。あなた、やっぱり一回死んだ方がいいかもしれないわね。いまの、あなたの好みのタイプでしょう?何が豊満な胸にキュートなお尻よ。それに、清楚で従順でやさしくって気遣いが出来てって、つまりはあなたの思いどおりになる女ってこと?それが、あなたにとっての聖女の姿なわけ?」
「だ、だってほら、聖女ってそういうイメージがあるだろう?」
「呆れた。それは、あなただけよ」
「そんなことない。おれだけじゃなく、世の男性の好みのタイプ……、ひえっ!このナイフ、どけてくれないかな?」
「不純だわ。アヤは、あなたのいう聖女のイメージじゃまったくないでしょう?」

 って言いながら、いまのアヤはわたしだってことを思い出した。

 彼は、本物のアヤを知らない。だから、本物の聖女がどういうものかわからないはずよね。

 なにせ、この国にいるもう一人の聖女は偽物だし。

 そういえば、本物(・・)の偽聖女のアヤの義姉とマリオは、母親が同じよね。ということは、義姉はマリオの同腹の妹にあたるのね。