「結局、きみの元婚約者がバカでスケベというわけだ。その愚かさが、この国を滅ぼすことになるかもしれない。アヤ、きみはいっさい気に病む必要はない。これまで、きみ一人でがんばってきたんだ。いい機会だと思わないか?なにものにも縛られず、自由にのんびり生きろという啓示かもしれない。だけど、きみの性格ならそう簡単に割り切ることなんて出来ないんだろうな」

 マリオは、ワイルドな美形にやわらかい笑みを浮かべた。

 出会ってまだそんなに経っていないのに、なぜかアヤの、いいえ、わたしの性質(たち)を理解しているみたい。

「ありがとう、マリオ。たぶん、あなたの言う通りだと思う。でも、少しだけ気が晴れたわ。さあ、行きましょう。湖を見てみたいから」

 わたしは、彼をうながした。

 少しだけ気が晴れたわ、というのは社交辞令ではない。

 本心である。


 湖の名はセルヴァ。セルヴァ湖は、プレスティ国と隣国ヴェッキオ皇国にまたがっている。

 丘陵を駆けおりていると、湖面がキラキラ輝いているのが見え、思わず見惚れてしまった。さきほどの小麦畑も壮観で美しい景色だったが、セルヴァ湖の輝きは優美で穏やかである。

 小麦畑の景色と、優劣つけがたいほどの美しさを誇っている。

 セルヴァ湖は、それほど大きいわけではない。壮大というよりかは神秘的な雰囲気を持っている。

 ちょうど国境に位置するこの湖は、昔から暗黙の了解で戦時以外は両国の人々が自由に行き来し、商売や情報の交換を行っているらしい。

 ヴェッキオ皇国には前世のときに暗殺や諜報の仕事で何度か行ったことがあるし、娼婦だったころにはそこの大商人や貴族や官僚を客として取ったことがある。

 人間(ひと)も国そのものもさしてかわらない、というのが正直な感想である。

 丘を下りきり、林の中に入ろうとした。

 湖は、その林の向こう側にある。

 その瞬間、それを感じた。マリオもそれを感じたらしい。

 同時に手綱を引いていた。そして、二人で視線を合わせてから湖まで続いているであろう道からそれ、木々の間に馬を進めた。

 馬から降り、手綱をひっぱって自分の足で進む。

 しばらく進むと低木と茂みがあり、そこに四名の男たちがいるのを発見した。

 それを見、すぐにわかった。

 同業者だわ、と。

 もちろん、アヤの同業者じゃない。マリオと前世のわたしの、である。

 馬たちはつながずその場に待つようマリオが言いつけ、二人でさらに近づいてみた。

 わずかにうしろを見てみると、二頭の馬は寄り添ってじっとしている。

 すごいわね。マリオは、ちゃんと調教しているんだ。

 妙に感心してしまった。

 って、ダメダメ。集中しなくっちゃ。

 気配を完全に消し、男たちとの距離を詰めてゆく。

 そして、これ以上は察知されてもおかしくない距離まで迫ると、大木の蔭に身を潜めた。

 男たちは、いずれも黒いシャツに同色のズボンを着用している。頭にはやはり黒色の帽子を半分ほどかぶっている。それを伸ばせば、目だけだして顔面を隠せるようになっている。

 四人の男たちは、あきらかに何者かの命を狙っている。

『どうする?』

 身を寄せ合うようにしているマリオが、口の形だけで尋ねてきた。

 どうするって言われてもねぇ。

 四人の暗殺者が狙っているって、いったいどういう人物なわけ?

 大物かしら?それとも、依頼者が大金持ちか何かで、大金を使ってでも確実に仕留めたいとか?

 いずれにせよ、いまこの時点では何もわからない。

 もしかすると、暗殺者たちの特訓場にでも迷い込んでしまっただけかもしれないし。
 まぁ、そんなわけはないんでしょうけど。

 だけど、面白そうなのは面白そうね。興味がそそられる。

 王都のくだらないお茶会や舞踏会なんかより、よほど関心があるわ。

『様子をみてみましょうよ』

 だから、口の形だけで彼に答えていた。

『まったく、きみって女性(ひと)は……』

 マリオは、口の形だけでそう言うとワイルドな美形に苦笑を浮かべた。

『人のことを言える?まったく、あなたって人は……』

 やり返してやった。

 どうやら、四人は仕事をはじめる前の最後の打ち合わせをしているらしい。ボソボソと会話を交わしている。

 それから、立ち上がって身をかがめるようにして移動を開始した。四方に散り、ネコ科の動物のように気配を消して湖の方に向かってゆく。

 マリオは、わたしたちが身を隠している大木に音もなくのぼりはじめた。そして、あっという間に生い茂る枝葉の間に消えてしまった。

 しばらくすると、彼は音もなく降りて来た。彼は一番下の枝上に姿を現したかと思うと、そこから飛び降りて音もなく地面に着地した。

「ムチャはしないで。傷口が開いてしまうわ」

 かぎりなく小さな声で注意をすると、彼のワイルドな美形にいたずらっ子のような笑みが浮かんだ。