「この景色も失われてしまうのかな?」

 マリオがつぶやいた。

 彼のそのつぶやきに他意はなかったはず。ましてや、わたしを責めているわけでもない。

 それはわかっている。わかっているけど、胸が痛んだ。

 わたしが加護の力を止めたばかりに、この素晴らしい景色までもが失われようとしている。

 いまさらながら、その現実を思い知らされた気がした。

 力の行使を、自分勝手に止めてしまったのだ。

 聖女としての責務を、放棄してしまったのである。

 いくら偽聖女認定されようと、王太子に婚約を破棄をされようと、聖女として最後まで責任を持ってこの国を護らなければならなかったのかしら。

 自分自身が本物の聖女であるということを、わたしだけが知っているのだから。

 この国を護ることが出来るのは、わたしだけなのである。

 それを知っていながら、わたしはそれを放棄した。そして、逃げだした。

 しかも、それをごまかそうとしている。

 偽聖女認定されたから、婚約を破棄されたから、ということにして。

 だけど、アヤは最初の人生でその責務を果たそうとして殺されてしまった。

 もしかしたら、そこで死を回避出来る方法があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

 いずれにせよ、いまからでも遅くはないのかしら。

 またこの国を護ることを、再開するのである。

「アヤ?ごめん。おれ、何か悪いことを言ったかな」

 よほど思いつめた表情をしていたのかしら。マリオが馬を寄せて来て、わたしの顔をのぞきこんでいた。

「いえ、違うわ。ごめんなさい。わたしが加護をあたえなくなったから、王都や多くの領地で災厄が起っている。ここも、いずれ影響が出てくる。いまさらなんだけど、あなたの言葉でそのことを自覚したの」
「心ないことを言ってしまった。すまない」
「だから、あなたのせいじゃないってば」

 姿勢を正して頭を下げた彼を見ながら、彼は真面目で他人(ひと)にたいして思いやりがあるのだとつくづく感じた。

 こんなにまともで素晴らしい男性にはじめて会ったかもしれない。

 わたし自身の前世の人生の前半に出会った男は、ろくでなしの父親とろくでなしでスケベな娼館の客がほとんどだった。そして、人生の後半に出会った男は、ろくでなしの依頼者や同業者、さらにろくでなしの獲物がほとんどだった。

 生きてきた世界がろくでもないから、そこにいるのもろくでなしばかりであった。だから、それは仕方がないのかもしれない。

 もちろん、一番ろくでもないのはわたし自身だけれども。

 だけど現世、つまりアヤに憑依してからも、ろくでなしにしか会っていない。

 生きている世界は、前世とは真逆の華やかで裕福な貴族社会だというのに。

 アヤの父親であるクレメンティ公爵、アヤの婚約者の王太子をはじめとして、どの男もあらゆる欲にまみれているクソッたればかりである。

 もちろん、それは女性にたいしても言えることである。

 男女ともに、まともな人間(ひと)などいやしない。すくなくとも、アヤとわたしの周囲にはいなかった。

「だから、いいのよ。謝らないで」
「しかし、聖女は二人いるんだろう?きみが加護しなくなったとしても、もう一人が加護しているはずじゃないのかい?」
「マリオ。あなた、忘れてるわ。わたしは偽聖女なのよ。元婚約者の王太子に、そう認定されたの。あなた自身だって、わたしに何度も『アヤ、きみはほんとうに聖女なのかい?』って尋ねているわよね。それなのに、いまのあなたの言い方だと、わたしが聖女だと認めているようにきこえるんだけど」
「おいおい、意地悪を言うなよ。まず、きみの元婚約者の偽聖女認定については、信じてはいない。おれだけじゃない。舞踏会にいた貴族たちも信じちゃいないだろう。侯爵だってそうだろう?それから、おれがきみに聖女なのかって確認したのは、きみがあまりにも聖女とかけ離れている行動を取るからだ。聖女としての力云々じゃない。だいたい、聖女が軍用ナイフを握ったり振り回したりして、か弱い野郎(おとこ)を斬り刻んだり刺したりするかい?バック転をしたりとんぼ返りをしたり、崖から落ちそうになった野郎(おとこ)を軽々とひっぱり上げたりするかい?」
「マリオ、あなたの方がよっぽど意地悪じゃない。わかったわよ。認めるわ。聖女はそんなことしない。フツーの聖女はね。わたしは、そうね。ワイルドな聖女ということにしておいてちょうだい。それと、聖女はたしかに二人いるの。義姉なんだけどね。だけど、じつは彼女にその力はまったくないのよ。彼女の分までわたしがやっていたというわけ。彼女、勘違いしているの。自分にその力があるってね」

 一瞬、彼にほんとうのことを告げようかと思った。だけど、やめておいた。

 元気になったいま、彼はすぐにでもここを去るかもしれない。その彼に告げれば、彼の心の負担になってしまうかもしれない。

 もしもそうなったとしたら、彼に悪いから。