「マリオ、とにかくいまは体を休めて。いいわね?」
「ああ。聖女様の仰せのままに」
「ふざけないで。それで?侯爵は、英雄として崇められているわけね」
「昔は、ね。でも、いまはちがう。これが物語っているだろう?彼は、すいぶんと偏屈で変わり者らしい。それで王族の不興を買い、ここにいるわけだ」
「なるほどね」
「『なるほど』って、きみは彼を知っていてついて来たんだろう?」
「……。知っているような知らないような」
「呆れたな」
「マリオ、安心したわ。それだけ舌がまわるのだったら、死ぬことはなさそうね。とにかく、あなたには休息が必要だから」
「じゃあ、なにかい?わたしの為に、知っているような知らないような男の城に来たというのかい?」
「まぁ、そうであってそうでないわね。わたしの為でもあるし」
「謎めいているな」

 そのとき、彼とわたし同時に気配を感じた。

 わたしたち暗殺者は、他人の気配に敏感なのである。

 侯爵が戻って来た。

 彼は馬たちを馬房に入れ、飼い葉と水をあたえてくれたらしい。

「義兄が目を覚ましました」

 彼にそう告げてから、マリオを紹介した。

「腹違いの兄のマリオ・クレメンティです。お義兄様、この方はロメロ・マルコーニ侯爵よ」
「はじめまして、マルコーニ侯爵」

 マリオが上半身を起こすのを手伝いながら、自分を殺そうとした相手と兄妹のふりをすることになるなんて、と心の中で苦笑してしまった。

「はじめまして、クレメンティ公爵子息。次期、公爵と言った方がいいかな?」

 侯爵は、渋い美形にやわらかい笑みを浮かべた。

 アヤを精神的にも身体的にも追い詰め、殺してしまったような素振りはいまのところいっさい感じられない。

「いえ。残念ながら、わたしは素行がよくありませんでして。父はわたしを跡取りにするよりも、娘たちの婿に跡を継がせるつもりのようです。わたしは、勘当同然です。ですから、国外追放となった彼女をこうして送ることが出来るのです。それが、こんなことになってしまって」

 驚いたわ。

 マリオったら、「上流階級にあるある」の家庭事情をかんがえてくれていたのね。
 完璧すぎる。

「腹違いの兄」、という設定だけ彼におしつけた自分が恥ずかしい。

 そのどこの家にもありそうな筋書きに、侯爵はただ苦笑を浮かべただけだった。

「部屋に案内しよう。傷をゆっくり癒すといい」

 そして、侯爵はマリオに肩を貸してやりながら部屋へと案内してくれた。


 部屋は、客間で続きの間になっている。

 どちらの部屋もそれほど広いというわけではない。だけど、ありがたいことに浴室とトイレがそれぞれついている。

 いつ客があってもいいように、準備を怠っていないのだろうか。驚くべきことに、備品も揃っている。
 何より、清潔である。大きめの寝台の横にサイドテーブルがあり、花が飾られている。

 まるでわたしたち(・・・・・)が二人で訪れることを見越していたみたい。

 わたし一人、ではなく……。

 侯爵は、部屋に案内してくれてから軽い食事を作って持って来てくれた。

 わたしにはサンドイッチと葡萄酒を、マリオにはグリッツを。

「今夜は疲れているだろうから、ゆっくり休むといい。話は、明日しよう」

 彼は、そう言って客間を出て行った。

 アヤはほんとうに彼に長期間監禁され、精神的にも肉体的にも追い詰められ、殺されたの?

 いまのところの侯爵は、完璧な紳士である。

 もしも野獣の皮をかぶっているのなら、恐れ入るわ。

 彼女の人生というのかしら、歴史というのかしら、そういったものが軌道修正されているのかもしれない。

 彼女の五度目の人生とおなじように。

 彼女の五度目の人生は、マリオではない馬車屋に弄ばれて殺された。マリオは暗殺者である。彼女を殺そうとしたのは、暗殺者としてである。

 暗殺者は、わたしのように相手を殺す策の一つとしてそのターゲットに抱かれたりという手段を用いることはある。あるいは、ターゲットを抱いたり。だけど、殺す相手を犯したり弄ぶようなことはしない。

 そんなことをする暗殺者は、玄人の仕事をしていない。その意識に欠けている。

 マリオほどの腕とプライドを持っている暗殺者が、殺す前に獲物を犯すなんてことはまずかんがえにくい。

 その証拠に、彼は最初からナイフで殺しにかかって来た。

 だからこそ、アヤの五度目の人生の終焉がかわってしまったのだと推察している。

 そうすると、六度目の人生の筋書きもかわってしまっている可能性はおおいにある。

 侯爵が怪しげな素振りを見せたら、すぐにでも対処するつもりだった。もちろん、マリオの回復次第で、だけど。

 だけど、この分ならマリオが回復したらそのままここを去ることが出来るかもしれない。

 ムダな血を流すことなく……。