そんな狂愛者のもとに男連れで行こうものなら、それこそどうなるかわからない。

 迷うところではある。しかし、マリオをちゃんとした寝床で休ませたい。村や町だと怪しまれてしまう。旅人や商人を装ったところで、詮索を免れるのは難しい。
 どうせ侯爵とはとは一戦を交え、いえ、淑女として平和的な対処をしなければならない。

 若くて鍛えぬいているマリオだったら、十日とかからずして全快とまではいかなくても、安心出来るまでの回復はするはず。

 その間、どうにかもてばいい。

 したがって、侯爵のもとで厄介になる決断をした。

 マリオがわたしを殺す為に遠まわりしてくれたお蔭で、街道を進めども侯爵の使用人が追いかけてくる気配がまったくない。もしかすると、使用人はもう侯爵のところに戻ってしまっているかもしれない。

 だったら、こちらから訪ねて行こう。

「アヤです。聖女の力で、あなたがわたしを捜していることを知りました。どうか庇護して下さい」

 侯爵の住まいが屋敷なのか城かはわからないけど、直接訪れてそう告げるのだ。

 おそらく、門前払いされるようなことはないだろう。

 よし、決めたわ。

 馬車の速度を上げた。

 ほどなくして、雨脚が弱まって来た。辺境の地に達したのかもしれない。

 それからしばらくして、うしろの方から馬蹄の音が近づいてくるのを感じた。

 やっと追いついてきたのね。

 後ろを振り返るまでもない。

 馬車の前に飛びだしてきたのは、精悍な黒馬に跨る騎士である。

 って騎士?

 空はあいかわらず分厚い雲に覆われているものの、雨は小雨程度である。ただ、風はだんだん強まってきている。

 何十年も前、この国で最後の戦争があった。

 眼前の騎士は、そのときですらまとうことのなかった鎧に身を包み、馬と同色の黒マントを強風にたなびかせ、馬車を通せんぼしている。

 まさか、白馬の騎士ならぬ黒馬の騎士?

 絵本ですら出てきそうにないファンタジーチックな登場の仕方に、正直ひいてしまった。

「聖女様?アヤ・クレメンティ公爵令嬢?」

 黒馬の騎士は、馬首を返すと馬を寄せて来た。

 時代遅れの恰好と奇抜な登場の仕方はともかく、四十代後半くらいの年齢の顔立ちは、渋い美形といえるだろう。
 若くて非の打ち所のない美形よりかは、ずっとマシである。

 戦士として鍛え上げたその体は、鎧をまとっていても筋肉質なことがわかる。

 刈り揃えられた銀髪、ピンと伸びた背筋、いかにも真面目で融通のきかなさそうな表情、ついでに言うと神経質すぎる雰囲気も漂っている。

 間違いない。これが、アヤの六度目の人生に終止符を打った侯爵ロメロ・マルコーニに違いない。

 ということは、使用人ではなく侯爵みずから出迎えに来たというわけ?

「ああ、よかった。舞踏会であの一幕を見、是非ともわが城に迎えたくクレメンティ家を訪れたのだが……」

 わたしが何も言わないでいると、彼は勝手に事情を語り始めた。

 ああ、なるほど。彼は噂をきいたのではなく、あの運命の舞踏会に出席をしていて茶番劇を目撃した一人というわけね。

「あなたはすでにおらず、すぐに追いかけたのだが見つからず。何度も街道を往復し、やっとそれらしき馬車を見かけたしだい」

 って、ほんとうに?

 わたしが遠まわりさせられて、マリオとド派手に闘っている間に、何度も往復したの?

 この黒馬、どれだけタフなの?

 彼の渋い美形ではなく、精悍な黒馬をじっと見つめてしまった。

 黒馬もわたしをじっと見つめている。

 すごいわ。あなたに投げキッスしたいくらいよ。

 心の中で投げキッスを送っておいた。

「ブルルル」

 それを動物特有の感覚でわかったのか、黒馬が短く鼻を鳴らした。

 もしかすると、投げキッスを拒否されたのかもしれないわね。

「あの、失礼ですがどちら様でしょうか?」

 おずおずと尋ねてみた。だって、そうでしょう?一人興奮してペラペラ囀るおじさんなんて、年若い淑女からしたら怪しいってものじゃないんですもの。

「おっと、これは失礼。わたしは、この領地を治めるロメロ・マルコーニ侯爵。アヤ、きみには王都で何度か会ったことがある」

 ああ、見かけただけでも言いようによっては面識がある、ということになるのね。

「はじめまして、マルコーニ侯爵。ずぶ濡れの状態で失礼いたします」
「おっと、そうだった。わが城はすぐ近くだ。歓迎するよ」

 はい?いきなりの大歓迎モード?