ぐっすり眠っているおバカさんのズボンとパンツをずりおろした。

 彼の一物が、持ち主同様ぐでんぐでんになっている。

 容赦など、いっさいしない。ついでに躊躇うこともない。

 軍用ナイフを一閃させた。

 その瞬間、おバカさんの意識が覚醒し、断末魔のような悲鳴があがった。それは当然である。一物(それ)の切断は、女のわたしなんか想像を絶するほどの痛みを伴うらしいから。

 床上に音もなく落ちた一物(それ)を、軍靴の先で蹴ってみた。一瞬、一物(それ)を彼の口にでも詰め込んで悲鳴を止めてやろうかとかんがえた。が、すぐにやめた。

 残念ながら、周囲に一物(それ)をつまめそうな布がない。

 じかに触るなんて出来るものですか。

 汚らわしすぎる。

 大量の血が、みるみる床上にひろがってゆく。ここは二階である。血が床に滲み込み、下の階にポタリポタリと落下するかもしれない。それ以前に、尋常でない悲鳴にすぐにでもだれかがやってくるかもしれない。
 もっとも、こんなところだからきこえていたとしてもだれもがきこえないふりをするかもしれない。

 こういう場所では、だれもが関わりあいになるのを倦厭するはずだから。

 いつ発見されるか知らないけど、このことで憲兵が動くことはまずない。当人を含めて被害を届けることはないからである。
 わたしの身に何かあるとすれば、このおバカさんがだれかを雇って復讐するかなにかだけど、淑女に一物(それ)を切断されただなんて、だれかに話せるはずがない。

 いずれにせよ、さっさと去るべきね。

「あっ、そうそう。くそマズいお酒をありがとう。一物(それ)、お大事にね」

 トランクを持ち上げ、血で乗馬靴を汚さなよう気をつけながら扉へと向かった。
 部屋を出る直前、お礼を言っていなかったことに気がついた。

 淑女ですもの。お礼はちゃんと言わなきゃ、よね?

 それから、廊下に出てそっと扉を閉ざした。


 とりあえず、プレスティ国から出なくてはならない。方法としては、歩くか馬に乗るか馬車に乗るかである。

 当然、歩くという選択肢はない。それから、馬に乗るのも。

 歩くにしろ乗馬にしろ、前世のわたしならともかくアヤにそんな体力があるわけがない。
 もっとも、中身がアヤではないわたしは、ちゃんと鍛えているから乗馬でもまったく問題はないのだけど。

 まぁ体力より、もっと大事な理由がある。彼女の五度目の人生は、ある馬車に乗って終焉を迎えたのである。

 というわけで、実のところは馬車一択になるわけ。

 各国の街道を走る乗合馬車の駅に向かった。

 が、一日に一本しかない乗合馬車は、早朝すでに出発していた。ということは、明日の早朝まで待たなければならない。

「レディ、おれの馬車にどうだい?どこにでも行くし、乗合馬車と同じ位安いよ」

 顔面無精髭の巨漢が近づいて来た。

 乗合馬車に乗れなかった哀れな乗客を目当てに、こういう馬車屋がいるのである。

「いやいや、こいつはヤバいぞ。何をされるかわからんからな。おれだったら、少し高いがちゃんと無事に送り届けるぞ」
「何を言ってやがる?おまえこそヤバいだろうが」
「おいおい、どいつもこいつも同じだろうが」

 美しくって清楚なわたしは、彼らのカモ認定されたみたい。

 ワラワラと小悪党どもがわいて出て来た。

 こいつら全員、馬車を逃して困っている乗客をあの手この手で自分の馬車に乗せ、途中で身ぐるみはいでほっぽりだしてしまうのである。

 それどころか、女は年齢問わず犯すし、男は殺してしまう。

 そして、山や谷、川や湖といった連中だけが知っている場所に遺体を遺棄するのだ。遺体は、獣や魚が食べてしまう。

 証拠が残らないというわけ。

 だから、こんな連中の口車にのってはならない。翌朝の乗合馬車を待つべきなのだ。

 もっとも、乗合馬車を狙う盗賊が多々存在する。乗合馬車専門の泥棒だっている。乗合馬車だからって、けっして安心は出来ないのだけれど。

 まぁ、アヤがこんな市井の常識を知るわけがないわよね。

「おまえたち、彼女をだまそうとしたってそうはいかないぞ」

 そのとき、いかにも女好きしそうな美形で、品のよさが全身からオーラのように出まくっている男が現れた。
 彼の右頬には、刃物による傷痕がある。

 他の連中とは違い、白いシャツにジャケット、ピシッとしたスラックス姿である。

 その姿を見た瞬間、目の奥がチリチリと痛んだ。一瞬だけど、違和感というか既視感というか、得体の知れない何かが頭の中と心の中をよぎった。

 だけど、そんなものはすぐに振り払った。

 こんな「いかにも」な傷のある男前に、アヤにしろ前世のわたしにしろ会ったことなどあろうはずはない。