例えば今日、世界から春が消えても。

いつもは俯瞰的で客観的に物事を捉えているはずが、今回は我慢出来なかった。


飯野さんが言った事が嘘だろうが事実だろうが、僕の心が引き裂かれる事に変わりはない。


彼女の記憶の中にある春について知る手立てがないなんて、なんて世界は残酷なんだろう。


…こんな事を言われるくらいなら、やっぱり早く死ねば良かった。



「申し訳ないけど、君の願いは叶えられない」


信じられない程の劣等感と惨めさと悔しさと怒りと、その他全ての負の感情がせめぎ合って吐きそうになる。


…本当に君が春を盗んだんなら、今すぐ春を返せよ。

こっちはただ、両親との幸せな記憶を取り戻したいだけなのに。


そこでようやく理性が働き、危うく言いかけた言葉をごくりと飲み込む。


はっと顔を上げると、

「……」

何も声に出さないまま、ぽろぽろと涙を流す飯野さんと目が合った。


「っ、」


そこで、ようやく自分が取り返しのつかない事を言ってしまった事に気付き、はっと息を飲む。


でも、もう後戻りは出来なかった。


言ってしまった言葉は元には戻らないし、自分の中に微かに残るプライドがそれを許さない。


全てに興味を無くした僕だって、両親との絆がどれほど深かったかは覚えているのだから。


「…ごめん」


掠れた声でそう吐き出した僕は、彼女の目を見ずに保健室を飛び出した。