城砦に現れた魔物グリフォン襲撃から早くも一か月が経とうとしていた。私の作った魔導具によって、ダリウスは常時発動している魔力の放出を抑えることが可能になった。それによって今まで抱えていた会議やら書類作業を、城砦の中央にある執務室で行うことが可能となった。

 私はダリウスが政務に励んでいる間、寝室で大人しくしている訳もなく城砦の散策を行うのが日課になっていた。
 城砦の中央二階。その部屋は目を疑うほどの本棚が並んでいた。書庫というよりは図書館の雰囲気が近いだろうか。

(ジャンルは歴史書から小説までたくさんあるのね。ダリウスからこの国(イルテア)のことは聞いたけれど、本から得られる知識もあるかもしれないわね)

 片っ端から歴史書を開いて調べてみた。もしかしたらダリウスが何か隠しているかもしれない。地上に残った龍神族は本当に一握りだ。その彼らが国を興し、王族として君臨するだろうか。
 ペラペラとページを捲る。
 だいたいどの本も書かれている最初は似通っているようだ。

 七百八十三年前の世界は絶望と魔物の脅威に襲われていた。それを救ったのが龍神族の長リュー=レン。のちにレン=フォン・カーライルと改名した初代皇帝だという。

(リュー=レン……。やっぱり覚えがない。純粋な龍神族じゃないのかも?)

 龍神族の持つ高度な技術は秘匿され続けたが、国境付近の魔法結界や食糧不足や生活水準の向上などに尽力した。それもあって人々は龍神族を神の御使いであると同時に、為政者として認めていく。
 年に何度も目撃される魔物の出現。そして国境周辺に群がる魔物を抑えはするが、脅威は残したままという記述も記録が残っていた。

(建国して七百年の間、内乱もあったようだけれどダリウスが言っていた十年前のような魔物の侵攻は数百年単位でも見られる。となれば十年前に刀夜が関わっていると考えるのは、早計だったかもしれない)

 パタン、と分厚い歴史書を閉じる。元あった本棚に返そうと思った時、ふとあるタイトルが目に入った。
『西の果てヴァルハラ国の悲劇』
 まるで私が読むのを待っていたかのように、その本はひっそりとあった。緋色の背表紙、重厚な重さなのは本の表紙が凝っている。厚紙を使ったもので、紙そのものも丁寧に作りこまれていた。

(ヴァルハラ……兄様が王として地上に残り、そして死んだ場所)

 指先が震えながらも、私はページを捲った。
 歴史書というよりは伝承に近い内容のようだ。皇国イルテアが建国する以前の物語。高度な魔法文化を持った王国──西のヴァルハラ。そこで金髪の王女と、龍神族の青年が結ばれた。彼は白銀の髪に心優しい人物だった。
 国王となった龍神族の男は、豊かにするため魔法技術をさらに発展させていき、国は豊かになる。時は流れ「龍神族の子どもたちのいずれか」が次の王となる事を人間たちは認めず内乱が起こる。
 女王の親族たちが反旗を翻し、王位継承による骨肉の争いと発展。

(王位継承? ……龍神族の子どもたちって、兄様の子どもは一人だったはず。それとも最後に会ったのがあの事件の五年前だから、兄弟がいたとしても間違いじゃないけれど……)

 次々に争い合う親族たちを見て、王となった龍神族の男は悲しみを断ち切らんと立ち上がった。しかし人知を超えた力を恐れた人間たちは、彼の息子である王子を殺した。憎しみと怒りに身を焦がした王は──。

 そこで私はページを閉じた。
 その後の事は誰よりも知っている。そしてその終幕も。
 血と硝煙。悲痛の怒号。
 紅蓮の炎とむせ返るオレンジ色の夕日。間に合わなかった──。もうずっと昔の事だというのに、涙は枯れやしない。
 思い出すたびに、涙が零れ落ちる。

(兄様……)
「皇太后様?」
「!?」

 ふと声を掛けられ、私は慌てて涙を拭って振り返った。そこに居たのは二十代前後の侍女だった。こげ茶色の三つ編み、幼さが残った顔立ちは、困惑した顔で私を見ている。

「……ちょっと眠くてあくびをしていたの」
「そうでしたか! ずっと読書をされていので疲れたのかもしれません。何かお持ちしましょうか?」
「ええ、お願いするわ」
「かしこまりました」

 踵を返して、部屋を去ろうとする彼女を引き留めようと声をかける。

「ああ、それと」
「はい!」
「私一人でお茶を頂くのは申し訳ないから、手の空いている侍女たちも呼んでくれる?」
「え? あの、えっと……それはもしかして」
「貴女たちがよければ、私とお茶の相手をしてくれない?」

 私の言葉に、目を輝かせた侍女は「かしこまりました!」と深々と挨拶をして消えてしまった。彼女の言動に小首を傾げた。
 ダリウスが龍神族の末裔である以上、多少友好的だったらいいと思っていたが──予想以上の好感度ではないだろうか。

(私が知る限りであんな普通に、笑顔を向ける人間なんていなかった。みんな何処か打算と恐れがあった。顔には出さなくても、そう思っている人が殆どだったもの……)

 だからいい機会だ。
 侍女たちがどのように反応するか、私の立ち位置が皇太后だったとしても、人間は簡単に表情を隠すことは難しい。言葉の端々、所作によってボロが出る。そう思っていたのだが──。

「皇太后様! その侍女たちが書庫に入りきらないので、サロンを使用してもいいでしょうか?」
「え、ええ……。構わないけれど?」
「ありがとうございます! 十分、いえ五分で用意します!」

 確かにお茶が飲みたいとは言った。
 手の空いている侍女が居るなら呼んでもいいとも。それが──どうして、サロンでのお茶会になったのだろう。
 しかも私は白のシュミーズドレスに着替えさせられ、髪も綺麗に編み込んで、これから夜会にでも行くかのような装いにさせられたのは、私の注文に問題があったからだろうか。

(どうしてこうなったの!?)
「皇太后様は、どんなスイーツがお好きなのですか?」
「それよりも閣下のどこに惚れたのですか?」
「閣下とはいつもどんなお話を?」
「閣下は不愛想ですけれど、皇太后様のことを本当に想っているんです」

 私が答える暇も与えず、彼女たちは嬉々として話しかけてくる。改めて侍女たちを見回すが、どうにも貴族や良いところの出とは思えないほど自由すぎる。なによりよく考えれば、侍女と皇太后が同じテーブルを囲むなど発想に至ること自体が可笑しい。それともこの時代は、格式や身分などはあまり関係のだろうか。

「皇太后様、閣下──どちらが先に好きになったのですか?」
(ブフッ)

 思わず紅茶を吹き出しそうになった。今も昔も女子はこういった話が好きなようだ。私にとって恋が最も遠い場所にあったというに──。しかしこの問いは慎重に答えなければならない。なにせダリウスの名誉が掛かっているのだから。

「ダリウスとは互いに一目惚れ……に近いかしら」

「キャアー」と黄色い声が上がった。何故、彼女たちのテンションが上がるのか。自分ではない他者の色恋沙汰だと言うのに。

「閣下の溺愛ぶりは愕きましたが、皇太后様を見ていれば惹かれるのもわかります」
「そ、そう?」
「はい! 私たちのような者にもお優しいですもの」
「ヤサシイ?」
「皇太后様、何故カタコトに?」
「私にとっては縁遠い言葉だったから、つい」

 龍神族の私にそんなことを言う人たちは居なかった。利用価値があるうちは違ったけれども。そう考えて自分の感情が沈んでいたことに気づき、明るく振る舞おうと皆に微笑んだ。

「……ほら、お茶が冷めてしまうでしょう。頂きましょう」
「はい!」

 彼女たちの淹れたお茶や焼き菓子は文句なく美味しい。特にマフィンの出来栄えに舌鼓を打つ。そろそろ本題に入ろうと口を開きかけた瞬間、第三者によって私の言葉は遮られる。

「お前たち、何をして──皇太后様!?」