水の神女と王印を持つ者~婚約破談のために旅に出た幼女は出会った美麗の青年に可愛がられてます~

「取引……と言ったかな?」

 玄関から場所を移して、三人は居間で改めて話をすることにした。

 子供の言うことだから、と馬鹿にしない天功に紅玉は好感を持った。
 天功に促されて机を囲み、茶器にお茶が注がれる。

「私の欲しい情報をくれるのなら、貴方が探している竜神の言伝と竜神の居場所も一緒に教えるわ」

「竜神さまが⁉ い、いや……しかし、竜神様の居場所は分かっているんだよ」

 勢いよく身を乗り出して話に食いついたと思った天功だが、すぐに冷静になって椅子に腰を降ろした。

 子供がこんな風に口を利けば怒り出す者の方が圧倒的に多いはず。
 もしくは子供を甘やかし過ぎてると保護者的な立ち位置の紅玉が怒られる。

 何故、自分が怒られるのだろうか?

 そう思いながらも慣れとは恐ろしいもので、そういった展開になるとその場を収める術も身に着くものだ。

 今回も理不尽に怒られることを覚悟していたが、天功は蒼子を子供ではなく、対等な相手として話をする気があるようで安心した。

 初めて会った時から親切な人だと思っていたが、彼は一人一人にきちんと向き合う優しさを持つ人であるようだ。

 陽だまりのような温かく優しい気を彼から感じる。
 何もかもを包み込むような優しい気の持ち主だ。

 しかし、今は蒼子の言葉で優しい気も不安定になっている。
 本当に、人の気を乱すのが得意な人だ。

 そもそも神女とはそういう者達だからしょうがないのだが。
 紅玉は心の中で項垂れる。

 そんな人達の相手をする自分の苦労を労ってくれる者はいない。
 そんなことを考えているうちに二人の会話は進んでいる。

「竜神は候家の旋夏の元にある」
「貴方はそう思ってるの?」

 蒼子は天功に問い掛ける。

「どういうことだい?」

 蒼子は窓辺に視線を向ける。

 そこには前回この場を訪れた時と同じように不思議なほど形の整った球体の石が布の上に置かれている。

 まるで祀られているかのようだ。

「あの石を見せてもらえませんか?」

 蒼子の言葉に天功は一瞬戸惑ったが蒼子にその石を丁寧な手付きで渡す。
 見た目は何の変哲もないただの石だが、天功はその石がまるで貴重品であるかのように扱う。

「やっぱりな」

 蒼子は頷く。

「その石に何かあるのですか?」
「紅玉、これに触れてみて」

 蒼子はそう言って紅玉に石を渡す。

 両手の平で丁寧に紅玉が受け取ると、紅玉に反応があった。

「微かですが、神力を感じます。俺達と同じ、水の……けど……」
「けど?」

 試すような蒼子の言葉に紅玉は続ける。

「感じると言っても……名残みたいなものです。ここにはもう何もない」

 蒼子は大きく頷く。

「この石はあの社に置かれていた霊玉なのですね」
「……そ、それは……」

 天功が言い澱む。

 現候家の敷地内にある小さな社に祀られていたという霊玉が何故、ここの場所にあるのか。

「それは、霊玉に似ていたからそこの川で拾ったのだよ」

 額に薄らと汗が滲んでいる。

「あり得ない。ここは川の上流でこんなにも角の取れた滑らかな石があるわけない。石がこんな綺麗な球体になることだってほぼない。この川の石じゃない」

 川の石であるという天功の言い訳をバッサリと切り捨てた。

「別に責めてる訳じゃない。正直に話して欲しいだけ」

 蒼子は真っ直ぐに天功を見つめる。

「貴方の知ること、私の知ること。それが状況をひっくり返す鍵になる」

 凛とした声が静かな部屋に響き渡る。
 天功は脱力し、頭を項垂れて語り始めた。

「その通りだよ……この石はあの社から盗んだものだ。私は以前、こっそりとあの社に行ったんだ」

 邸や財産、地主という立場を失っても、この竜神だけは奪われたくなかったと天功は語る。

「私の一族が守ってきた……あの男の手に渡したくなかった。信仰もなく、管理もずさんで、竜神様が気の毒だと思った。見ていられなかったんだ」

 ある日、人目を盗んで社に行った時には霊玉はそこにはなく、あったのは霊玉にそっくりなこの石だったのだと言う。

「霊玉は美しい、藍色をしているのだ。深い色だが透明感が高く、まるで海や川の底のような美しさがある。光にかざせば水面が反射するように眩しく輝く。金に目が眩んだあの男はもしや売り飛ばしたのかもしれない。代わりに置いてあったこの石を見た時は絶望したよ……」

 自分達一族が大事にしてきたものを奪われた挙句、蔑ろにされたのだ。

 口惜しくて仕方がないはずだ。

「怒りと悔しさと自分の至らなさで押し潰されそうだったよ。霊玉の代わりにされてしまったこの石も何だか気の毒に思えてしまってね」

「それで持って来てしまったんですね」

 紅玉の言葉に天功は項垂れた。

 窃盗には違いないが、細かいことはどうでもいい。
 蒼子は口元に笑みを浮かべた。

 これではっきりした。

「物を盗むなんて人として恥ずべき行いだ」
「天功殿、我々は警吏でも役人でもありませんから」

 天功は思いつめたように頭を横に振る。

 そして大きな溜め息をついた後にゆっくりと顔を上げた。
 顔を上げた天功は何か吹っ切れた表情をしていた。

 罪悪感を抱えていたのだろう。

「これから悔い改めるとしよう」

 机の上で手を組み、姿勢を正した天功に紅玉は小さく頷く。
 蒼子も紅玉もその件に関して追及する気はない。
 まぁ、話してくれたことで大分見えてきた。

「もう一つ訊きたいことがあるの」
「何だい? 私に答えられることであれば」
「貴方の娘、詠貴殿について」
「詠貴ですか……」

 蒼子の問いに天功は複雑そうな顔をする。

「詠貴殿はもしかして候旋夏から竜神を取り戻そうとしているの?」

 蒼子の言葉に天功は俯く。

「おそらく……そうでしょう。私が追い出された時、あの子は旋夏にここに残ると自分から言いました。私は詠貴を置いて行きたくはなかった。その後に何度もあの子を説得しに会いましたが……頑固なもので……」

『嫌よ! あの家も、この町の人の信頼も、竜神様もお父様が守ってきたのに!』

 涙ながらに叫ぶ詠貴を思い出し、天功は目元が熱くなるのを感じた。

「何を失っても詠貴がいてくれればそれで良かったのに」

 ぽつりと零れた一言は哀愁に満ちている。

 愛娘が側にいない寂しさを霊玉や竜神で埋めようとしていたのだろうか。
 少なくとも詠貴が側にいれば衝動的な盗難はしなかっただろう。

 盗難に関しては反省しているようだし、蒼子や紅玉が黙っていれば大きな問題にはならない。

 見た目は何の変哲もないただの石なのだ。
 盗難品として騒ぎ立てるにはこの石では役不足だろう。

「詠貴殿は竜神を見たことがあるの?」
「あぁ、彼女が幼い頃に。社で祈りを捧げている時にお会いしたと聞いた」
「それ以降は?」
「幼い頃にお会いしたきりだと言っていたよ。そもそもお会いできること自体が奇跡だ。人生でそう何度も体験できることではない」
「天功殿が竜神に会ったのはいつ?」
「私がまだ幼い頃と、その次は詠貴が生まれた時だね。あの子は竜神様の祝福と加護を受けて生まれてきたんだよ」

 ふふと、目元に寄ったシワが天功の父親としての幸福を現していた。

「あと、これは私から質問なのですが。町の水不足についてはどうお考えですか?」
「竜神様の怒りはあるだろうね」

 今までは天功一族が甲斐甲斐しく竜神の世話と厚い信仰を捧げてきた。
 地主の信仰心が強ければ、民の信仰も強くなる。

 しかし、今の地主に信仰心はなく、民が社に祈りを捧げることも許していない。

「水が不足して枯れ井戸も増えた。水の使用制限や過度な税金の取り立ては民を苦しめている。商団から買い付ける水は高価で誰でも買えるものではない」

 この川の水は町中は通らず、海に向かう。

 今までは枯れ井戸が出ることなどなかったので水路の整備はほとんど行われてない。

 この川の豊な水が町に届くことはない。

 今のままでは生活水が不足し、大きな諍いが起きてしまうと天功は言う。

「そして旋夏の娘である凜抄は一部地域の水の使用を理由に鳳殿に強く言い寄っていてね……」

 天功は言いにくそうに述べた。

「そうでしたか」
「子供の前でする話ではないのだが……」

 天功が申し訳なさそうに蒼子に視線を向ける。

「別に構わない」

 蒼子は言う。

 やはり、卑怯な手段で言い寄られていたのね。
 蒼子は小さく息をつく。

 そんなことになる前にさっさと逃げれば良かったのに。
 しかしそれが出来ないのが彼の優しさと甘さなのだろう。

 蒼子を連れ出し、町の景色を見せてくれた鳳。

 本や話でしか聞いたことのない食べ物や生き物、景色を教えてくれた鳳はとても優しかった。

 蒼子の狭かった世界を広げ、楽しい時間をくれた人だ。

 蒼子の中で決意は固まる。

「今度は私が話す番」

 その一言に緊張が走る。

「貴方の探す竜神について話しましょうか」