「あ……っぶないなぁ。頭を打つところだったよ。女将さん! ちょっとこの方が酔ってしまったようだから、お部屋まで連れていきますね。お勘定は宿代とまとめて払うから!」


 女将さんと呼ばれた女性の威勢のいい返事が遠くで聞こえ、私の体はふわっと浮き上がりました。ユラユラと揺れる景色がだんだんと暗くなり、客室の方に向かっているんだと気付きます。戻らなきゃ。メイはもう寝てしまったかしら。
 部屋の鍵を開ける金属音でハッと意識が戻り、ディラン様の腕を押し返します。


「やめてください!」
「大丈夫だよ、安心してよ。僕は本当に君のことが好きになっちゃったんだよね。初めはリード公爵家の奴らをボロボロにしてやりたかっただけだったけど、君本当に可愛いからさ」
「……あなた、私と初対面って言っていなかった?」


 ディラン様の口元だけが、三日月のようにニヤッと笑います。


「もちろん、初対面だったよ。でも、君の兄のジェレミーの方は同級生だったし、よく知ってるよ。色々とアイツと比べられて嫌な思いをしたんだ。その上こんな可愛い妹は、王太子の婚約者だって? ズルイよ! なんでリード公爵家ばかり! とにかく、部屋に入れよ!」


 酔いの回った体を思い切り押され、私はディラン様の部屋の床に倒れ込みます。明かりのついていない真っ暗な部屋。ここで鍵を締められたら一貫の終わり。

 唯一明かりの入る扉側から、ディランが少しずつ近づいてきます。

 私の方からは顔が見えないのに、三日月の形の口元だけが浮き上がっている気がして、恐ろしさのあまり声も出ない。

 ――誰か、助けて……!