■君を深く知りたい

 愛とは、その人のことを知りたいと思うことだと、著名な登山家に言われたことがある。
 登山家の人生を歩んでいた当時も、何も目的なく山を登り続けていた俺だけど、その言葉をなぜか今も鮮明に覚えている。
 その人のことを、もっと知りたいと思うこと。
 そんな感情、他人に抱いたことなどなかった。
 だけど、泣いている白石を抱きしめたあの瞬間だけは、彼女の気持ちを理解したいと心から思った。
 慰めの言葉をかけたいとか、そんな気持ちではなくて、ただ分かりたいと。
 他人が自分の人生に入ってくるような、不思議な感覚だった。

 駅から徒歩十五分ほどの、雰囲気のある古民家。
 そこが、今の人生における、俺の家だ。
「修学旅行は楽しかったか?」
 新幹線で自宅まで帰ると、珍しく早く帰宅していた父親が出迎えてくれた。
 俺は「うん」と頷いてから、大きなリュックをドサッと玄関に置いて、スニーカーを脱ぐ。
「そうか、それはよかった」
「もう夕飯食べた?」
「いや、これからだ。一緒に食べよう」
 灰色の髪の毛に、黒縁の眼鏡をかけた父親は、いつも穏やかで落ち着いている。脱サラして始めた古書店の店長、という職種は、本当に彼にぴったりだと思う。
 家にあがった俺は、美味しそうなカレーの匂いが漂うキッチンへと向かった。
 手洗いうがいを済ませてから着席すると、父親がすぐに手作りのカレーを目の前に置いてくれた。
 母親は幼い頃に病で亡くなったため、父親とずっと二人暮らしだ。家事は当番制で担当しているけれど、料理はやはり父親が上手い。
「いただきます」
 本当は秦野とさくっと軽食を食べた後だったけれど、カレーを見たら一気にお腹が空いてしまい、止まらぬスピードでカレーを口に運ぶ。
「修学旅行はどんなところを回ったんだ?」
 カレーに夢中になっている俺に、父親は優しく問いかける。
 俺はもぐもぐと口を動かしながら、斜め先を見上げながら答えた。
「うーん、伏見稲荷大社とか」
「おお、あそこは綺麗だよなあ。父さんも昔行ったことあるよ」
「そうなんだ」
「友達とは交流できたか? 秦野君って子が一緒だったんだよな」
 小学生の頃に、担任教師に交友関係を心配されたことがあり、それを真に受けた父親はその点をいまだに心配している。