私はあの後呆然とした足取りで図工室を後にしたわ。
ヨハンはもういない。
そして今、私は最初にいた部屋の真下に位置する更衣室のある場所で息を殺して隠れている。
あの腐乱死体のような水ぶくれの青紫の鬼が、ビチャビチャと近付いてくる音がする。
あの姿と異臭を思い出すと、何度目であっても体を竦めずにはいられない。
ガタッ····ガタッ····ガタタ····キィ。
少し離れた用具入れを開く音。
「いーなーいー」
くぐもった、ダミ声が暗闇に響く。
ガタッ····ガタッ····ガタタ····シャッ。
シャワーカーテンをめくる音。
「いーなーいー」
くぐもった、ダミ声が暗闇に響く。
ガタッ····ガタッ····ガタタ····ガタッ····パタン。
更衣室から出たのかしら?
耳をすます。
········。
音がしなくなったわ。
大きく静かに深呼吸する。
頬を汗が伝う。
ドアを開こうとして震える指に気づいて、1度胸の前でギュッと握って目を瞑る。
(ママ、信じてる)
亡くなったママの優しい笑顔が瞼の裏に浮かんで勇気づけてくれた。
(絶対、大丈夫!)
ドアをゆっくりと開けて····。
「みぃ~つけ····」
「今宵は朔なり、我朔月なり!
我らを隠せし者、見つけたり!」
ママの言った通り、彼はすぐそこにいた!
頭上で天井からぶら下がって生臭い大きな口を開ける鬼に振り向きたくなる恐怖。
それをどうにか無視して私は彼を指差す。
その先には50代の白髪の男が驚愕してこちらをみていた。
「な····どうし····ヒッ、来るな!
くる····」
グシャリ。
「ぎぁやぁぁぁぁぁ!!」
鬼が一瞬で彼の近くに移動して、彼の右肩を食らいつき、肉を引きちぎりながら押し倒す。
断末魔の叫び声をあげる男の容赦のないグロテスクな光景に腰が抜けそう。
ヤバイ、過呼吸になりそうなんだけど!
と、不意に腰の飾りが場にそぐわない優しげな光を放った。
残虐な光景が白く霞む。
それと同時に意識が途切れた。
次に目を覚ました時にはいつもの自分のベッドの上。
嫌な汗で部屋着のシャツがぐっしょりと濡れていたわ。
ーーーー
「ハイ、シーカ!
夢でぶりっていうのかな」
パソコンのモニターからヨハンが爽やかな笑顔を浮かべる。
久々にヨハンとリモートで話しているの。
「早速だけど、あの時もあの後もどうなったのか詳しく教えてよ」
パチンとウインクする。
中身乙女のくせに相変わらずのイケメンなんだから!
私は乙女な親友にママとのあの一時を話し始めた。
ーーーー
「いい、詩香。
かくしおにはね、満月の夜に12人の魂をあの世の鬼に餌として捧げる為に、事前にマーキングした12人を1つの建物に隠すんだ。
人を使った蟲毒を作る呪いの儀式なんだよ」
「こどく?」
初めて聞いた言葉に首をかしげる。
「呪いの毒の事。
強力な毒を作る為にかくしおにをするんだ。
作り手は11人が鬼に食べられるまで隠れておいて、最後の1人が食べられるところを必ず近くで見る。
鬼が食べ終わったら、その鬼を封じ用の入れ物に閉じ込めるんだよ。
かくしおには加苦死御贄とも書くんだ」
ママがメモ帳に日本の漢字をさらさらと書いてくれる。
「1度作られるとなかなか浄化····えっと、無毒化できないんだ。
あ、でも全く出来ない訳じゃないから安心していいよ。
そんな顔しなくていいんだ。
でも一番ベストなのは鬼に捕まらないこと」
「どうやったらつかまらないの?」
「それはね····」
そしてママは怖がる私の頭をよしよしと撫でながら教えてくれたの。
満月の夜に集められた12人は必ずバラバラで各方角に隠れるようになる。
鬼は必ず1時間に1人のペースで最初にいた所を起点にして、12の方位の北北西から南を通って北に向かって生け贄を見つけていくようにできている。
儀式が終わるまでは空間は夜に支配されている。
これは儀式のルールとなっていて、その場の全員が無意識に従うようになるらしいわ。
月と星の位置関係で大体の方角がわかる方法もその時に教えてくれたのよね。
そして13人目がかくしおにの実行者で必ず北に隠れ、北に隠れる12人目だけが実行者を見つけられる。
12人目は13人目に1番怨まれる人間が選ばれて、12人目だけは13人目が誰だかわかるらしいの。
他の11人が鬼に見つからない限り12人目は鬼には決して見つからない。
だから鬼から救えるのは12人目だけ。
そして11人が鬼に出会ったら12人目になる人が鬼を指差してこう叫ぶ。
『見つけたり!
今宵は朔なり、我朔月なり!
八将神の導き願わん!』
必ず鬼が見つけたと告げる前に指差して言わなければならない。
失敗すれば12人目も含めて全員の命はないから助けたいなら怖くても必ずやるんだよ、と優しく言われた。
よく考えたら、何だか私が12人目に選ばれるのがわかってたような口ぶりだったわね。
ママは昔から、ちょっと不思議な人だったわ。
実際11人に実行する時はあの気持ち悪い鬼を前に足が震えたしやめたくなったけど、失敗したら死ぬってママの言葉が奮い立たせた。
八将神は方位の神様達の事で、朔や朔月は満月の反対の新月の事らしい。
でも当時は5才の柔らか脳よ。
『いまいちわかんないし、すぐにわすれちゃいそう』
涙目でそう言うとママは優しく抱きしめてくれたの。
「大丈夫。
そんな時の為に私の力があるんだから。
それに詩香にはママ特製のお守りもあるからね。
お守りが近くに無くてもいざという時は必ず守ってくれるよ。
でもそんな事にならないよう祈ってるけどね」
意味ありげなママの言葉。
チュッ。
おでこに柔らかな感触がして、安心したのかそのまま眠ってしまった。
ーーーー
「ママの父方の神継は平安初期から続く陰陽師の祖って言われてた家系なの。
当主は力を継ぐってママに聞いた事があるし、ママはあのムカツク伯父さん達追い出して一時的に当主やってたし、見えない何かが見えてたと思うのよね。
あの飾りもママが作ってくれた物だし、絶対ママが守ってくれたんだわ」
そう締め括り、ヨハンにお願いされてママから教わった通りに組紐で飾りを作って、後日ヨハンに送った。
左利きだから逆編みになったけど、そんな事わかんないはず。
ヨハンは中身が乙女だから元々飾りには興味あったし、何よりあの廃墟の悪夢が怖かったんだと思うわ。
ただ、私はあの鬼以外は長い闘病中の病院ですら幽霊なんて見たこと1度もない0感なんだけど····。
ーーーー
数日後····。
「○○県○○市の高等学校跡地で男性の腐乱死体が発見されました。
遺体は死後数日経っており、激しく損傷していることから警察は事件事故の両方····」
更に数日後····。
「先日発見された遺体は都内在住の神継俊哉さん····」
母の異母兄の名前は俊哉。
あの悪夢の数ヶ月前に母の死について関わりを調べにヨハンと会って怒鳴り散らして追い返した、憎々しい目で私を見た白髪のくたびれた雰囲気の男。
多分母を誰よりも憎んでて、あの飾りがホワリとなるまで中学生くらいの男の子に見えてた13人目。
『事前にマーキングした····』
私とヨハンはあの伯父に追い返された日、彼にマーキングされたのかもしれないわ。
ーー完ーー
【後書き】
最後までご覧いただきありがとうございました。
この話は別の完結作品『【溺愛中】秘密だらけの俺の番は〜』に登場した脇役に焦点を当てたお話です。
※ファンタジージャンルでホラーではありません。
ヨハンはもういない。
そして今、私は最初にいた部屋の真下に位置する更衣室のある場所で息を殺して隠れている。
あの腐乱死体のような水ぶくれの青紫の鬼が、ビチャビチャと近付いてくる音がする。
あの姿と異臭を思い出すと、何度目であっても体を竦めずにはいられない。
ガタッ····ガタッ····ガタタ····キィ。
少し離れた用具入れを開く音。
「いーなーいー」
くぐもった、ダミ声が暗闇に響く。
ガタッ····ガタッ····ガタタ····シャッ。
シャワーカーテンをめくる音。
「いーなーいー」
くぐもった、ダミ声が暗闇に響く。
ガタッ····ガタッ····ガタタ····ガタッ····パタン。
更衣室から出たのかしら?
耳をすます。
········。
音がしなくなったわ。
大きく静かに深呼吸する。
頬を汗が伝う。
ドアを開こうとして震える指に気づいて、1度胸の前でギュッと握って目を瞑る。
(ママ、信じてる)
亡くなったママの優しい笑顔が瞼の裏に浮かんで勇気づけてくれた。
(絶対、大丈夫!)
ドアをゆっくりと開けて····。
「みぃ~つけ····」
「今宵は朔なり、我朔月なり!
我らを隠せし者、見つけたり!」
ママの言った通り、彼はすぐそこにいた!
頭上で天井からぶら下がって生臭い大きな口を開ける鬼に振り向きたくなる恐怖。
それをどうにか無視して私は彼を指差す。
その先には50代の白髪の男が驚愕してこちらをみていた。
「な····どうし····ヒッ、来るな!
くる····」
グシャリ。
「ぎぁやぁぁぁぁぁ!!」
鬼が一瞬で彼の近くに移動して、彼の右肩を食らいつき、肉を引きちぎりながら押し倒す。
断末魔の叫び声をあげる男の容赦のないグロテスクな光景に腰が抜けそう。
ヤバイ、過呼吸になりそうなんだけど!
と、不意に腰の飾りが場にそぐわない優しげな光を放った。
残虐な光景が白く霞む。
それと同時に意識が途切れた。
次に目を覚ました時にはいつもの自分のベッドの上。
嫌な汗で部屋着のシャツがぐっしょりと濡れていたわ。
ーーーー
「ハイ、シーカ!
夢でぶりっていうのかな」
パソコンのモニターからヨハンが爽やかな笑顔を浮かべる。
久々にヨハンとリモートで話しているの。
「早速だけど、あの時もあの後もどうなったのか詳しく教えてよ」
パチンとウインクする。
中身乙女のくせに相変わらずのイケメンなんだから!
私は乙女な親友にママとのあの一時を話し始めた。
ーーーー
「いい、詩香。
かくしおにはね、満月の夜に12人の魂をあの世の鬼に餌として捧げる為に、事前にマーキングした12人を1つの建物に隠すんだ。
人を使った蟲毒を作る呪いの儀式なんだよ」
「こどく?」
初めて聞いた言葉に首をかしげる。
「呪いの毒の事。
強力な毒を作る為にかくしおにをするんだ。
作り手は11人が鬼に食べられるまで隠れておいて、最後の1人が食べられるところを必ず近くで見る。
鬼が食べ終わったら、その鬼を封じ用の入れ物に閉じ込めるんだよ。
かくしおには加苦死御贄とも書くんだ」
ママがメモ帳に日本の漢字をさらさらと書いてくれる。
「1度作られるとなかなか浄化····えっと、無毒化できないんだ。
あ、でも全く出来ない訳じゃないから安心していいよ。
そんな顔しなくていいんだ。
でも一番ベストなのは鬼に捕まらないこと」
「どうやったらつかまらないの?」
「それはね····」
そしてママは怖がる私の頭をよしよしと撫でながら教えてくれたの。
満月の夜に集められた12人は必ずバラバラで各方角に隠れるようになる。
鬼は必ず1時間に1人のペースで最初にいた所を起点にして、12の方位の北北西から南を通って北に向かって生け贄を見つけていくようにできている。
儀式が終わるまでは空間は夜に支配されている。
これは儀式のルールとなっていて、その場の全員が無意識に従うようになるらしいわ。
月と星の位置関係で大体の方角がわかる方法もその時に教えてくれたのよね。
そして13人目がかくしおにの実行者で必ず北に隠れ、北に隠れる12人目だけが実行者を見つけられる。
12人目は13人目に1番怨まれる人間が選ばれて、12人目だけは13人目が誰だかわかるらしいの。
他の11人が鬼に見つからない限り12人目は鬼には決して見つからない。
だから鬼から救えるのは12人目だけ。
そして11人が鬼に出会ったら12人目になる人が鬼を指差してこう叫ぶ。
『見つけたり!
今宵は朔なり、我朔月なり!
八将神の導き願わん!』
必ず鬼が見つけたと告げる前に指差して言わなければならない。
失敗すれば12人目も含めて全員の命はないから助けたいなら怖くても必ずやるんだよ、と優しく言われた。
よく考えたら、何だか私が12人目に選ばれるのがわかってたような口ぶりだったわね。
ママは昔から、ちょっと不思議な人だったわ。
実際11人に実行する時はあの気持ち悪い鬼を前に足が震えたしやめたくなったけど、失敗したら死ぬってママの言葉が奮い立たせた。
八将神は方位の神様達の事で、朔や朔月は満月の反対の新月の事らしい。
でも当時は5才の柔らか脳よ。
『いまいちわかんないし、すぐにわすれちゃいそう』
涙目でそう言うとママは優しく抱きしめてくれたの。
「大丈夫。
そんな時の為に私の力があるんだから。
それに詩香にはママ特製のお守りもあるからね。
お守りが近くに無くてもいざという時は必ず守ってくれるよ。
でもそんな事にならないよう祈ってるけどね」
意味ありげなママの言葉。
チュッ。
おでこに柔らかな感触がして、安心したのかそのまま眠ってしまった。
ーーーー
「ママの父方の神継は平安初期から続く陰陽師の祖って言われてた家系なの。
当主は力を継ぐってママに聞いた事があるし、ママはあのムカツク伯父さん達追い出して一時的に当主やってたし、見えない何かが見えてたと思うのよね。
あの飾りもママが作ってくれた物だし、絶対ママが守ってくれたんだわ」
そう締め括り、ヨハンにお願いされてママから教わった通りに組紐で飾りを作って、後日ヨハンに送った。
左利きだから逆編みになったけど、そんな事わかんないはず。
ヨハンは中身が乙女だから元々飾りには興味あったし、何よりあの廃墟の悪夢が怖かったんだと思うわ。
ただ、私はあの鬼以外は長い闘病中の病院ですら幽霊なんて見たこと1度もない0感なんだけど····。
ーーーー
数日後····。
「○○県○○市の高等学校跡地で男性の腐乱死体が発見されました。
遺体は死後数日経っており、激しく損傷していることから警察は事件事故の両方····」
更に数日後····。
「先日発見された遺体は都内在住の神継俊哉さん····」
母の異母兄の名前は俊哉。
あの悪夢の数ヶ月前に母の死について関わりを調べにヨハンと会って怒鳴り散らして追い返した、憎々しい目で私を見た白髪のくたびれた雰囲気の男。
多分母を誰よりも憎んでて、あの飾りがホワリとなるまで中学生くらいの男の子に見えてた13人目。
『事前にマーキングした····』
私とヨハンはあの伯父に追い返された日、彼にマーキングされたのかもしれないわ。
ーー完ーー
【後書き】
最後までご覧いただきありがとうございました。
この話は別の完結作品『【溺愛中】秘密だらけの俺の番は〜』に登場した脇役に焦点を当てたお話です。
※ファンタジージャンルでホラーではありません。