音も無く、応接室の扉が開いた。
 十人ほどの護衛騎士たちの間が割れて現れたのは、ルドルフと、

「あ、アラン……殿下?」

 マルティが、ルドルフの後ろから姿を現した相手の名を呼ぶと、ワッと声を張り上げて駆け寄った。しかしすぐさま、護衛騎士によって取り押さえられ、無理やり床に膝をつかされる。
 
 後ろに回された両手を掴まれているため、何度も痛いとわざとらしく叫びながら、救いを求めるようにアランを見つめていた。

 だけどアランはマルティには目もくれず、彼女の横を通り過ぎると、私の隣にやってきた。
 引っ張られて乱れた髪を見た彼の表情が、心配一色に染まる。

「エヴァ、大丈夫だったか?」
「はい、大丈夫です、アラン殿下……これを」

 顔を顰めていたアランを安心させるように微笑むと、私は手に持っていた小箱を差し出した。小箱を受け取り、中身を確認したアランが僅かに奥歯を噛みしめる。

 その時、

「一体何があったんだ⁉」

 声を荒げて部屋に飛び込んできたのは、リズリー殿下だった。
 
「で、殿下っ‼ リズリー殿下あぁぁっ‼ 助けてっ、助けてくださいっ‼」

 護衛騎士たちに取り押さえられていたマルティが、今度はリズリー殿下に縋り付こうともがいた。しかし、屈強な騎士たちの腕からは逃れられず、離してと金切り声を上げている。

 床に膝をついた状態で捕らえられているマルティの姿を見たリズリー殿下の表情が、真っ青になった。

 それもそうだろう。
 自分の婚約者が、まるで罪人のように取り押さえられているのだから。

 ――いえ、今はもう罪人だったわね。

「マルティ⁉ 一体……一体どういうことだっ‼ 何故マルティが、取り押さえられているんだっ‼」

 リズリー殿下がマルティのそばに駆け寄った。そして同じように床に膝をつくと、彼女と視線を同じにする。

 真っ先に目に入ってきたのだろう。
 一瞬目を見開くと、赤く腫れているマルティの両頬に触れた。

「こんなに頬を赤く腫らして、一体何があったんだ⁉ 誰がこんな酷いことを……」
「お……お姉さまが、突然私を叩いて……うっ、うぅっ……」
「エヴァが⁉」

 信じられないように声を上げたリズリー殿下が、鋭い視線を私に向ける。

「エヴァ、一体、どういうことだ‼ 妹を理由もなく叩くなど! 彼女は僕の、こん――」

 勢いがあったリズリー殿下の口が、突然閉じた。

 多分、『僕の婚約者』と言おうとしたのだろう。
 だけどそれをアランたちの前で認めてしまうと、婚約者である私をバルバーリ王国に連れて帰るという大義名分が失われてしまうから、咄嗟に口を噤んでしまったんだわ。

 涙をボロボロ流して同情を誘おうとしていたマルティの表情が、一瞬だけ真顔になったのを、私は見逃さなかった。

 リズリー殿下の不自然な発言から、何かを感じ取ったのかもしれない。

「と、とにかくっ! 何があったっ!」

 殿下は軽く頭を振ると、先ほどの発言などなかったかのように、私に向かって厳しい口調で問う。彼の突き刺すような視線をまっすぐ受け止めながら、私は淡々と事実だけを答えた。

「マルティが、フォレスティ王国で禁じられている霊具を無断で持ち込んでいたのです」
「マルティが、れ、霊具を⁉ ありえない‼」
「……それどころか、私を薬で眠らせ、ギアスで精霊を捕らえようと計画しておりました。正直に罪を告白しようと言ったところ、逆上して手をあげられたため、身を守るために反撃してしまったのです」

 さすがに、やり返す気満々でしたとまでは言わないけれど。

 私の言葉の正しさを証明するように、アランが無言で、霊具の入った小箱をリズリー殿下の前で開いた。

 箱の中に並ぶ銀色の筒を見た緑色の瞳がこぼれんばかりに見開き、上ずった声でマルティに問う。先ほどまであった婚約者に対する哀れみは、強い困惑で塗りつぶされている。

「ど、どういうことだ、マルティ。霊具の持ち込みとギアスの使用は禁止だと、く、国を出る前に、伝えていたはずだが……」

 リズリー殿下の激しい動揺を見る限り、この子の計画は知らなかったみたいね。
 もし関わっていたなら、もっと上手くやっていただろうし。

 マルティが激しく首を横に振った。

「う、嘘……ですっ! こ、これはお姉さまが私を陥れようと用意したものですっ‼」
「では、マルティの荷物と身体の検査をお願いいたします。恐らく霊具だけではなく、私を眠らせようと用意した薬も出てくるでしょう」
「あっ……」

 私に指摘されたマルティの顔から血の気が引いた。血色の良かった唇は、心配になるほど紫になって震えている。
 
 一部の騎士と侍女が、アランの指示を受けて部屋を出て行った。マルティの荷物を確認しに行ったのだ。同じタイミングで、私が飲もうとしていたお茶も、検査のために回収されていった。

 皆の視線がマルティに注がれると、彼女はイヤイヤと首を振った。

「ち、違うのっ! 私はお姉さまにはめられたのっ‼ お、お姉さまが私のポケットの中に、れ、霊具を入れたのよっ!」
「大人しくしろっ‼」

 バタバタとマルティが激しく暴れ出したため、護衛騎士が叫び、彼女の頭を床に押しつけた。それを見たリズリー殿下が、マルティの頭を押さえる護衛騎士の手に掴みかかる。

「手を離せ、マルティは無実だっ‼ れ、霊具を持ち込むなんて、そんな愚かなこと……」
「ならあんたに、マルティ嬢の身体検査をしてもらおう。その手で、彼女の身の潔白を証明すればいい」

 マルティを無条件に庇う殿下に不快感を露わにしながら、アランが提案した。突然の提案に、護衛騎士の手を掴んでいたリズリー殿下の動きが止まる。

「ぼ、ぼく……が?」
「別に、俺たちの前で服を脱がせなどとは言っていない。先ほど本人が、ポケットに何か入っていると発言していたからな」

 アランの言葉に、マルティの表情が固まった。

 リズリー殿下の手が、マルティのスカートに伸びる。一瞬、彼の手から逃れようと身を引いたマルティだったけれど、観念したのかそれ以上の抵抗は見せなかった。

 表からは見えないように隠されているポケットに殿下の手が入る。
 
 引き出された手には、先ほどと同じ木箱と一緒に、透明な液体の入った小瓶もあった。

 リズリー殿下は、どこか放心した様子で小箱の上蓋をとった。
 中にあったのは、先ほどと同じ銀色の筒たち。

 それを見て、今まで怒っていた殿下の両肩が力なく落ちた。

 だけどアランは、傷心したリズリー殿下の気持ちなどお構いなしに、手元から小瓶をさっさと奪い取ると、近くにいた騎士に薬の効果を確認するように指示を出す。

 事実確認が進む中で、マルティが必死で顔を上げながら私に訴えかけた。

「お姉さま、もうおやめくださいっ‼ リズリー殿下に選ばれた私が、それほど憎いのですか⁉ わ、私はただ、お姉さまが心配で、遙々フォレスティ王国までやってきたというのに……ううっ、霊具を持ち込んだと冤罪をかけるなんて……ひ、ひど、い……で、す……」

 マルティはううっと喉を震わせると、床につっぷした。 

 私を悪役に仕立て上げるために、お姉さまを心配する無害な自分を演じているのは分かっている。 
 か弱い自分を演じ、周囲の同情を引いて自分の思い通りにことを進めようとするのは、マルティが昔からよく使っていた技だもの。

 哀れな自分を演じながらも、この状況を脱する方法を探している義妹の図太さには感心してしまう。
 
 だけど、こんな茶番にいつまでも時間を費やすわけにはいかない。

 もう終わりにしましょう。

「……出てきていいわよ」
「かしこまりました、エヴァ様」

 皆の目線が、部屋に置かれた暖炉から出てきた人影に注がれる。

 出てきたのは、先ほど部屋を出て行ったマリアだった。今はいつもの兵士姿に戻っており、手には数枚の紙を持っている。

 マルティが勢いよく顔を上げた。
 私と彼女しかいなかった部屋の暖炉から出てきたマリアを見て、あ、ああっ、と言葉の切れ端を漏らしている。

 マリアの存在が何を意味しているのか、分かったのだろう。

 私の前で跪くマリアに向かって、問いかける。

「それで……あなたは暖炉内にある隠し部屋で、いつから私とマルティの会話を聞いていたの?」
「恐れながら、エヴァ様。『お姉さま、そのネックレス、私にくださらない? お姉さまには全く似合っていないんですもの』の部分からです」

 手に持っていた紙をマリアが読み上げた瞬間、

「や、やめてぇぇぇ――っ‼ ああぁぁあああ――――っ‼」

 マルティの本気の絶叫が部屋に響き渡った。