私には名前があった。
私には果たすべき役目があった。
私には役目を果たすための力があった。
だけど――私にはそれしかなかった。
精霊と自然のバランスが崩れた土地を蘇らせ、消滅する。
再び精霊と自然のバランスが崩れれば、人の形を纏って降臨する。
この【世界】の存続のため、受肉し、大地に降り立ち、役目を終えて消えていくことを繰り返し続けていた。
役目を果たして消えるだけの私は、空っぽだった。
発生し消える、その繰り返しに特別な感情などなかった。
生きている実感も。
役目を終えて消滅する恐怖も。
それが私――【世界】に精霊女王という役目を、名を与えられた、エルフィーランジュの心すべてだった。
私がこの地に降臨して二日目。
蘇らせた水源に下半身だけ浸りながら、岸辺で微睡む私の身体を水の中から引き上げ、
「こんなところで何をしている! だ、大丈夫か⁉」
と、驚きと心配で満ちた表情で見下ろす、黒髪の男性と出会うまでは――
「いき……てる? ああ、よかった……でも何でこんなところに女性が一人で……」
男性は私の様子を見ながら、ブツブツと呟いている。
しかしその視線が身体に移動したかと思うとフイッと目を逸らし、
「と、とにかく、そんなずぶ濡れのままでは風邪をひく。これを――」
と、自分が着ていた上着を私にかけようとした。
だけど、私はそれを首を横に振って拒否する。
だって水で濡れた服など――
肌に張り付いていた布が、突然柔らかさを取り戻した。サラッとした布の肌触りが伝わってくる。
私の願いに応え、精霊たちが服を乾かしてくれたのだ。
突然、ずぶ濡れだった服が乾き、男性が驚きの声をあげる。
「い、一体何が起こったんだ⁉ もしかして精霊魔法? いや、しかし呪文など唱えていなかったし……」
ブツブツと呟きながら、先ほどまで濡れていた私の銀髪を一房手に取ると、湿り気がないかを指の腹で撫でて確認している。
この男性が何者かは分からない。
しかしここまでの行動や雰囲気を見る限り、私の役目に支障を与える人物には思えなかった。
だからこのまま放置することにした。
私には、【世界】に課された役目があるのだから。
立ち上がると、男性の指からスルリと私の髪が抜けた。
ブツブツ呟き、考え込んでいた男性の意識が、こちらに向けられる。
「待って! 裸足で一体どこへ!」
訊ねられたので振り返り、口を開く。
だけど声が出ない。
ここに来てから一度も声を出していない。まだ発声器官が上手く働いていないのだろう。
でも、問題はない。
私と繋がっている光と闇の大精霊に願いを届けるのに、声は必要ないのだから。
私は彼の質問に答えるのを諦め、歩いた。
昨日蘇らせた木々の間をすり抜けると、目の前が一気に開け、荒廃した土地が目に飛び込んでくる。
生命の存在を感じさせない、砂と岩の大地が広がっていた。風が吹くと砂埃が舞い上がり、遠くの景色にモヤがかかる。
元はここにも豊かな自然があり、精霊たちと共存していたはず。
何をすればここまで荒廃した土地になるのだろう。
分からない。
「元々は、緑豊かな素晴らしい土地だった。しかしあの男のせいで……」
いつの間にか隣にやってきた男性から、ギリッと歯ぎしりをする音が聞こえた。
そして彼は、土地を見回っているとき、無かったはずの森が突然現れていることに気づき、ここにやって来て私を見つけたのだと続けた。
私は両手を広げた。
手のひらが温かくなる。
光と闇の大精霊が現れたのだ。
私の願いは、大精霊を通じてでしか、上位・下位精霊に伝えられない。
膨大な数の精霊に私の願いを伝えることはできても、彼らの反応全てを受け取り、結果を観測することに、人間の肉体という器では限界があるためだ。
しかし、精霊を生み出すために必要なオドは、肉体を纏わなければ生み出せない。
だから、私の願いをどう叶えるか判断し、精霊たちに瞬時に指示を出せる別の存在――光と闇の大精霊がいる。
その代わり、私のオドは精霊たちを生み出すこと、力を与えることだけに特化し、言葉にオドを纏わせることはできなくなった。
大精霊たちに、私の願いを伝える。
(どうかこの土地を、自然を、蘇らせて。自然と精霊のバランスを調和のとれたものに)
次の瞬間、金色の光の粒が空間を埋め尽くした。
砂ばかりだった大地の色が変わり、肥沃な土へと変わっていく。
湿り気を帯びた土から、今まで砂に埋もれ、じっと耐え続けていた種が、無数の芽を出す。
小さな芽はみるみるうちに大きくなり、気付けば辺り一面、緑豊かな森へと変わっていた。
いずれ、この土地を去った動物たちも戻ってくるだろう。
今まで直接照りつけていた太陽の光が、木々の葉に遮られ丁度良い。
吹き抜ける風が優しくて心地よい。
蘇った土地に問題はなさそうだ。
今日の役目を終え、元いた水源に戻ろうとしたとき、
「信じられない……私は……夢を見ているのか?」
男性が声を震わせ、何度もせわしなく瞬きを繰り返しながら、目の前の自然を見つめている。
人間には精霊の姿が視えない。
だから彼には、何故この土地が蘇ったのかが分からないのだ。
驚くのも無理はない。
「あ、あなたがこの土地を蘇らせたのか? さっきいた水源も、その周囲の自然も……」
大きく見開かれた青い瞳が、こちらに向けられる。
私は頷いた。
男性が目を瞠った。
「あなたは……一体何者なのだ?」
(わたしは――)
そう口を動かしたとき、声がでないことを思い出す。
しかし、
「『わたしは』と今言ったのか?」
私が僅かに口を動かした言葉を、彼は言い当てた。
口元がフッと緩む。
「あなたと同じように、声が出ない妹がいてな。唇の動きを読んで会話をしていたものだ。だからもし声が出ないなら、唇を動かしてくれたらいい。私がそれを読む」
まあ、その妹も今はいないが、と彼は小さく付け加えた。
男性が、私の言葉を読み取ろうとじっとこちらを見つめている。
だから私は名乗った。
唇の動きを読んだ彼の瞳が、大きく見開かれる。
「精霊女王エルフィーランジュ? エルフィーランジュが名か?」
『そう』
「ならば精霊女王というのは……」
『私は精霊を生み出す。そして生み出した精霊とともに、土地を蘇らせるのが役目』
「ということは……あなたは偉大なる精霊たちの母たる存在、ということか? この荒廃したフォレスティの土地を蘇らせるため、ここにいるというのか?」
フォレスティというものが何かは分からないが、彼の言葉に頷いた。
彼は何か考え込んでいる。
会話が終わったと思った私は、元いた水源に戻るため彼の横を通り過ぎた。
咄嗟に肩を掴まれる。
振り返ると、彼は慌てて私の肩から手を離し、身体に触れたことを小さな声で謝罪をした。
そして少し視線を落とし、訊ねる。
「さっきの水辺に行けば、またあなたに会えるだろうか?」
私は頷いた。
今度は、何故か少し上ずった声で彼が訊ねる。
「また……会いに行ってもいいだろうか?」
私は頷いた。
役目の邪魔にならないのなら、問題ない。
邪魔になるのなら、大精霊に排除して貰うだけだ。
私の返答を見た男性の表情が、パッと明るくなった。
そして地面に片膝をつくと、右手を胸に当て、私に向かって深く頭を下げた。
「フォレスティ王国の自然を蘇らせてくださったこと、感謝する。精霊女王エルフィーランジュ」
そう言って顔を上げた彼の表情は、嬉しそうにも泣きそうにも見えた。
何故かその表情に、心の奥がギュッと何かに掴まれたような気がした。
(あなたは……)
初めてだった。
自ら何かを知りたいと思い、行動したことが。
『あなたは……なに?』
彼は、今気付いたとばかりに、小さく声をあげて立ち上がった。
青い瞳が真っ直ぐ私を見つめる。
「自己紹介が遅くなってすまない。私の名は、ルヴァン・チェストネル・テ・フォレスティ。あなたが蘇らせた土地、フォレスティ王国の王だ」
王――つまり、私と同じような存在?
『ならあなたは、何を生み出しているの?』
「……え?」
私の唇を読んだルヴァンが、目をぱちくりさせた。少しの間の後、彼が噴き出したかと思うと、お腹を抱えて笑い出したのだ。
何故彼が大笑いしているのかが、理解できなかった。
だけど何故か、笑う彼を無視して立ち去ることができなかった。
むしろ、
『どうして笑っているの?』
「いや、すまない。あなたの発言が面白くて……ふふっ」
そう言って笑い続ける彼のことを、何故かもっと知りたいと思った。
私には果たすべき役目があった。
私には役目を果たすための力があった。
だけど――私にはそれしかなかった。
精霊と自然のバランスが崩れた土地を蘇らせ、消滅する。
再び精霊と自然のバランスが崩れれば、人の形を纏って降臨する。
この【世界】の存続のため、受肉し、大地に降り立ち、役目を終えて消えていくことを繰り返し続けていた。
役目を果たして消えるだけの私は、空っぽだった。
発生し消える、その繰り返しに特別な感情などなかった。
生きている実感も。
役目を終えて消滅する恐怖も。
それが私――【世界】に精霊女王という役目を、名を与えられた、エルフィーランジュの心すべてだった。
私がこの地に降臨して二日目。
蘇らせた水源に下半身だけ浸りながら、岸辺で微睡む私の身体を水の中から引き上げ、
「こんなところで何をしている! だ、大丈夫か⁉」
と、驚きと心配で満ちた表情で見下ろす、黒髪の男性と出会うまでは――
「いき……てる? ああ、よかった……でも何でこんなところに女性が一人で……」
男性は私の様子を見ながら、ブツブツと呟いている。
しかしその視線が身体に移動したかと思うとフイッと目を逸らし、
「と、とにかく、そんなずぶ濡れのままでは風邪をひく。これを――」
と、自分が着ていた上着を私にかけようとした。
だけど、私はそれを首を横に振って拒否する。
だって水で濡れた服など――
肌に張り付いていた布が、突然柔らかさを取り戻した。サラッとした布の肌触りが伝わってくる。
私の願いに応え、精霊たちが服を乾かしてくれたのだ。
突然、ずぶ濡れだった服が乾き、男性が驚きの声をあげる。
「い、一体何が起こったんだ⁉ もしかして精霊魔法? いや、しかし呪文など唱えていなかったし……」
ブツブツと呟きながら、先ほどまで濡れていた私の銀髪を一房手に取ると、湿り気がないかを指の腹で撫でて確認している。
この男性が何者かは分からない。
しかしここまでの行動や雰囲気を見る限り、私の役目に支障を与える人物には思えなかった。
だからこのまま放置することにした。
私には、【世界】に課された役目があるのだから。
立ち上がると、男性の指からスルリと私の髪が抜けた。
ブツブツ呟き、考え込んでいた男性の意識が、こちらに向けられる。
「待って! 裸足で一体どこへ!」
訊ねられたので振り返り、口を開く。
だけど声が出ない。
ここに来てから一度も声を出していない。まだ発声器官が上手く働いていないのだろう。
でも、問題はない。
私と繋がっている光と闇の大精霊に願いを届けるのに、声は必要ないのだから。
私は彼の質問に答えるのを諦め、歩いた。
昨日蘇らせた木々の間をすり抜けると、目の前が一気に開け、荒廃した土地が目に飛び込んでくる。
生命の存在を感じさせない、砂と岩の大地が広がっていた。風が吹くと砂埃が舞い上がり、遠くの景色にモヤがかかる。
元はここにも豊かな自然があり、精霊たちと共存していたはず。
何をすればここまで荒廃した土地になるのだろう。
分からない。
「元々は、緑豊かな素晴らしい土地だった。しかしあの男のせいで……」
いつの間にか隣にやってきた男性から、ギリッと歯ぎしりをする音が聞こえた。
そして彼は、土地を見回っているとき、無かったはずの森が突然現れていることに気づき、ここにやって来て私を見つけたのだと続けた。
私は両手を広げた。
手のひらが温かくなる。
光と闇の大精霊が現れたのだ。
私の願いは、大精霊を通じてでしか、上位・下位精霊に伝えられない。
膨大な数の精霊に私の願いを伝えることはできても、彼らの反応全てを受け取り、結果を観測することに、人間の肉体という器では限界があるためだ。
しかし、精霊を生み出すために必要なオドは、肉体を纏わなければ生み出せない。
だから、私の願いをどう叶えるか判断し、精霊たちに瞬時に指示を出せる別の存在――光と闇の大精霊がいる。
その代わり、私のオドは精霊たちを生み出すこと、力を与えることだけに特化し、言葉にオドを纏わせることはできなくなった。
大精霊たちに、私の願いを伝える。
(どうかこの土地を、自然を、蘇らせて。自然と精霊のバランスを調和のとれたものに)
次の瞬間、金色の光の粒が空間を埋め尽くした。
砂ばかりだった大地の色が変わり、肥沃な土へと変わっていく。
湿り気を帯びた土から、今まで砂に埋もれ、じっと耐え続けていた種が、無数の芽を出す。
小さな芽はみるみるうちに大きくなり、気付けば辺り一面、緑豊かな森へと変わっていた。
いずれ、この土地を去った動物たちも戻ってくるだろう。
今まで直接照りつけていた太陽の光が、木々の葉に遮られ丁度良い。
吹き抜ける風が優しくて心地よい。
蘇った土地に問題はなさそうだ。
今日の役目を終え、元いた水源に戻ろうとしたとき、
「信じられない……私は……夢を見ているのか?」
男性が声を震わせ、何度もせわしなく瞬きを繰り返しながら、目の前の自然を見つめている。
人間には精霊の姿が視えない。
だから彼には、何故この土地が蘇ったのかが分からないのだ。
驚くのも無理はない。
「あ、あなたがこの土地を蘇らせたのか? さっきいた水源も、その周囲の自然も……」
大きく見開かれた青い瞳が、こちらに向けられる。
私は頷いた。
男性が目を瞠った。
「あなたは……一体何者なのだ?」
(わたしは――)
そう口を動かしたとき、声がでないことを思い出す。
しかし、
「『わたしは』と今言ったのか?」
私が僅かに口を動かした言葉を、彼は言い当てた。
口元がフッと緩む。
「あなたと同じように、声が出ない妹がいてな。唇の動きを読んで会話をしていたものだ。だからもし声が出ないなら、唇を動かしてくれたらいい。私がそれを読む」
まあ、その妹も今はいないが、と彼は小さく付け加えた。
男性が、私の言葉を読み取ろうとじっとこちらを見つめている。
だから私は名乗った。
唇の動きを読んだ彼の瞳が、大きく見開かれる。
「精霊女王エルフィーランジュ? エルフィーランジュが名か?」
『そう』
「ならば精霊女王というのは……」
『私は精霊を生み出す。そして生み出した精霊とともに、土地を蘇らせるのが役目』
「ということは……あなたは偉大なる精霊たちの母たる存在、ということか? この荒廃したフォレスティの土地を蘇らせるため、ここにいるというのか?」
フォレスティというものが何かは分からないが、彼の言葉に頷いた。
彼は何か考え込んでいる。
会話が終わったと思った私は、元いた水源に戻るため彼の横を通り過ぎた。
咄嗟に肩を掴まれる。
振り返ると、彼は慌てて私の肩から手を離し、身体に触れたことを小さな声で謝罪をした。
そして少し視線を落とし、訊ねる。
「さっきの水辺に行けば、またあなたに会えるだろうか?」
私は頷いた。
今度は、何故か少し上ずった声で彼が訊ねる。
「また……会いに行ってもいいだろうか?」
私は頷いた。
役目の邪魔にならないのなら、問題ない。
邪魔になるのなら、大精霊に排除して貰うだけだ。
私の返答を見た男性の表情が、パッと明るくなった。
そして地面に片膝をつくと、右手を胸に当て、私に向かって深く頭を下げた。
「フォレスティ王国の自然を蘇らせてくださったこと、感謝する。精霊女王エルフィーランジュ」
そう言って顔を上げた彼の表情は、嬉しそうにも泣きそうにも見えた。
何故かその表情に、心の奥がギュッと何かに掴まれたような気がした。
(あなたは……)
初めてだった。
自ら何かを知りたいと思い、行動したことが。
『あなたは……なに?』
彼は、今気付いたとばかりに、小さく声をあげて立ち上がった。
青い瞳が真っ直ぐ私を見つめる。
「自己紹介が遅くなってすまない。私の名は、ルヴァン・チェストネル・テ・フォレスティ。あなたが蘇らせた土地、フォレスティ王国の王だ」
王――つまり、私と同じような存在?
『ならあなたは、何を生み出しているの?』
「……え?」
私の唇を読んだルヴァンが、目をぱちくりさせた。少しの間の後、彼が噴き出したかと思うと、お腹を抱えて笑い出したのだ。
何故彼が大笑いしているのかが、理解できなかった。
だけど何故か、笑う彼を無視して立ち去ることができなかった。
むしろ、
『どうして笑っているの?』
「いや、すまない。あなたの発言が面白くて……ふふっ」
そう言って笑い続ける彼のことを、何故かもっと知りたいと思った。