翔平の手術成功の報は、多くのサッカ-ファン、サッカ-関係者を安堵させた。


『これから長い道のりになると思いますが、必ずまたピッチに立ち、みなさんの前でプレ-することをお約束します。』


翔平がSNSに投稿すると、激励のコメントが殺到した。


「翔平の手術が成功したと聞いて、ホッとしています。代表チ-ム監督として、彼の不在は正直、断腸の思いですが、しかし我々は立ち止まることは出来ません。W杯までもう半年余り、翔平とファンの皆様に、恥ずかしくない成績を収めることが出来るように、日々練習に努めます。」


記者団に囲まれた松前監督は改めて、決意を示し


「監督とも話して、今回のサムライブル-では、背番号9は欠番にすることにした。今のジャパンチ-ムで9を付けるにふさわしい選手は翔平、お前だけだ。」


「長谷さん・・・。」


「俺たちは背番号9のユニフォ-ムと一緒にW杯に行く。翔平、一緒に戦おうな。」


「はい、ありがとうございます。」


見舞いに訪れた長谷キャプテンの励ましに、翔平は強く頷いていた。


こうして、復帰への第一歩を踏み出すことになった翔平。だが、彼は即リハビリを開始することは出来なかった。右膝蓋骨骨折、つまり膝のお皿の骨折がまず完治しないと、リハビリに入れないのだ。翔平はジリジリしながら、その期間を過ごすしかなかった。


ようやく遠山医師からのGOサインが出たのは、入院から約1ヶ月後。


「焦るなと言う方が無理なのはわかるが、リハビリに近道はない。焦らず、じっくりやることだ。いいね。」


釘を刺すような遠山の言葉に、翔平は頷いた。


リハビリ開始初日の様子は、マスコミにも公開された。


「先生にも言われています、焦らず一歩一歩やって行きます。」


負傷以来初めて、世間の前に登場した翔平は、無精ひげの顔に笑顔を浮かべて、インタビュ-に応じた。その元気そうな姿に世間は安堵し、彼のSNSにはまた、激励のコメントが溢れた。


そして1ヶ月、2ヶ月・・・時は流れて行き、世間の耳目が翔平から次第に離れて行くのは、仕方ないことだった。


やがて松前監督から代表選手が正式発表される時期となり、W杯に向けてのサッカ-ファンの盛り上がりはいよいよ高まって行く。だが一方、その動静がほとんど報じられることがなくなった翔平は、苦難と苦悩の日々を送っていた。