しゃべる人形

あかりにとって、病院の日は恐怖の象徴だった。重い足取りで診察室へ向かう彼女の手を握りながら、僕は胸の奥で、言いようのない高揚感に突き動かされていた。
「……注射、やだなぁ」
あかりが小さな声で呟く。血液検査のために、彼女はいつも泣きそうな顔になる。でも、僕にとってこの病院は、日常から切り離された特別な狩場だった。
診察室のドアが開くと、そこに「彼女」がいた。藤田ニコルを彷彿とさせる、明るい髪色と快活な雰囲気を持つ看護師さんだ。彼女の動きには、病院という閉鎖的な空間に不似合いなほどの親切さと、テキパキとした優しさが宿っている。
「はい、あかりちゃん。今日も頑張れるよね?」
彼女の声が響く。僕の目は、あかりの不安げな表情ではなく、その看護師の細い指先と、テキパキと注射器を扱う手元に釘付けになっていた。
あかりが震えながら、腕を差し出す。アルコール綿の冷たい感触に、あかりの身体がビクリと跳ねた。
「痛いのはやだ……」
僕があかりのそばに立つ。僕の存在は、あかりにとっては唯一の救いであり、僕自身にとっては、その「親切な誰か」との距離を測るための最前線だった。看護師は慣れた手つきで止血帯を巻き、血管を探す。
「ごめんね、ちょっとだけチクッとするからね」
彼女が針を刺す。あかりが「痛い!」と声を上げ、涙をこぼした。その瞬間、僕は息を止めて、彼女たちの境界線に集中していた。
あかりの涙と、看護師の「ごめんね」という甘い囁き。病院の消毒液の匂いの中で、僕の血は脈打つ。あかりの注射が終わるのを待てば、あかりの友達や周囲の親切な女の子たちへと、この「収集」の輪は広がっていくはずだ。
「よし、終わり! あかりちゃん、偉かったね」
看護師さんが優しく笑いかける。その笑顔を見ながら、僕は心の中で小さく舌舐めずりをした。
あかりは泣きじゃくっているけれど、僕は知っている。この痛みも、この涙も、すべてが僕らの「居場所」を形作るための、大切な材料になることを。僕は泣いているあかりの背中を、まるで慈しむようにさすりながら、次はどんなタイミングで、あの看護師の「親切」を分けてもらおうかと、そればかりを考えていた。