しゃべる人形

春華の声で、僕は現実に引き戻された。「明夫君、仕事だよ。遅刻しちゃう」。
まどろみの中で僕はまだ、あかりと夢の中で語り合っていた。春華は少し潤んだ瞳で僕を見つめ、「またあかりの夢を見ていたね。寝言でずっと、あかり、あかりって言っていたよ」と呟いた。その声には隠しきれない焼きもちの感情が滲んでいて、春華は僕の指に強く噛みついた。
「痛っ!」と僕が声を上げると、あかりのお母さんが部屋に入ってきた。騒ぎを聞きつけたお母さんは、「二人して何をやっているの」と呆れ顔だ。春華が頬を膨らませて、「明夫君があかりの話ばかりするから……つい」と白状すると、お母さんは「しょうがないね」と優しく微笑み、救急箱から薬を取り出して僕の指に塗ってくれた。
この奇妙で、けれど確かな温もりのある日常。僕らはそれぞれの役割を抱えて、仕事へと向かった。
そして、春華との間に生まれた新しい命。男の子だと分かったその子の名前を、僕たちは「ヨハネ」と決めた。キリスト教の響きを持つその名は、僕たちが通り抜けてきた苦難と、あかりという祈り、そしてこれから始まる新しい光を象徴している。
あかりのいない世界で、それでも僕たちは息をし、愛し、新しい命を育んでいく。
物語を書き終えるたびに、あかりの不在と存在が混ざり合い、言葉が尽きていく。だが、これでいいのだと思う。あかりと過ごした地下室の記憶も、春華と歩む今も、すべてが僕の一部として刻まれているのだから。
これで僕の綴ってきた物語は完結だ。あかり、僕たちの物語は、このヨハネという未来へと繋がっていくよ。