しゃべる人形

3月12日、深夜1時33分。あかりの鼓動が止まった。
崩れ落ちる僕の絶望を包み込むように、連絡を受けた桜坂高校の仲間たちが病院へと駆けつけた。僕たちは、あかりをどこへ還すべきか考えた。墓地ではなく、僕の家の庭。あかりが最も愛し、そして彼女を愛してくれたおばあちゃんと同じ場所で、永遠の眠りについてもらうことに決めた。
震災で寸断され、亀裂の走った道路を、霊柩車が静かに進む。窓の外に流れる壊れた風景の中で、上松が静かに口を開いた。
「命が、どれほど重いものか。みんな、わかっているか。今は命を簡単に奪う世の中だが、決してそんなことをしてはいけない。どんな障害があろうと、あかりは彼女の母親が命を削って産んだ、かけがえのない存在なのだから」
上松の言葉は、悲しみの極致にいる僕たちの心を激しく揺さぶった。アンナは塩見先生から「真理を大事にしてやってくれ」と言葉をかけられ、声を上げて泣き崩れた。それは教科書にある言葉よりも、僕たちの魂に深く刻まれる「命の授業」だった。
僕の家の庭。そこが、あかりにとっての卒業式会場になった。
冷たい土の上で、僕たちは合唱曲『旅立ちの日に』を歌った。卒業証書を手渡せないまま逝ってしまったあかりへ、僕たちが捧げられる唯一の卒業証書。それは形こそないけれど、あかりが確かにこの世を駆け抜けた証だった。
コロナという時代が強いた「人と会うな」という理不尽な運命と、あかりが背負わされた病という運命。誰かが壊したわけでも、誰のせいでもない。僕はその境界線を理解していた。けれど、どうしても割り切れない想いが胸を突き刺す。
なぜ、人は誰かを、愛おしい誰かを、心や命を壊してしまうのか。
現実の世界で繰り返される、理不尽な破壊や排除。なぜ、僕たちは自分たちの手で、自分の隣にいる人の世界を壊そうとするのか。
あかりを失った今、僕は叫びたい。この物語を読んでくれたあなたに問いたい。
人はなぜ、愛することを恐れ、人を壊してしまうのか。あなたがもしこの世界を見つめて、感じるものがあるのなら、どうか教えてほしい。僕が最後に知りたいのは、その答えなのだ。