## 高校文学:楽しみとは何か
ある日の放課後、僕たちの日常は、一台の奇妙な「電車」と共にあった。
秋生が父親の仕事場から見つけてきた、キャスター付きのサイドカーや古びたトラックの荷台。それを50ccのバイクに連結し、バス会社から譲り受けたクラクションを鳴らして街を駆け抜ける。浜風を切りながら「ビーッ、ビーッ!」と轟音を立てる僕たちを、道ゆく人々は呆れ顔で、けれどどこか温かな笑みを浮かべて見送る。「あそこの連中は普通じゃないな」という言葉は、僕たちにとっては何よりの賛辞だった。
新しい生活は、親たちの仕事場に残された古いバイクや、行き場を失った鉄くずたちから始まった。しかし、僕たちは決して惨めではなかった。
春香の家を売り、その金を未来のためにと預け合ったあの日から、僕たちの絆はより強固なものになっていた。春香と明里は同じ屋根の下で暮らし、隣には秋生や正夫がいて、正夫とあんなの間に生まれた小さな命、マリアが家族の輪に加わった。
大人たちは言う。楽しみとはお金を払って買うものだと。消費し、満たされ、また新しいものを求める。それが当たり前の正解だと。しかし、僕たちはその逆を行く。
お金がなくたって、知恵と工夫さえあれば、世界はこんなにも豊かに色づくのだ。廃材で作った電車で風を感じること。家族と肩を寄せ合って食事をすること。守るべき小さな命の温もりを感じること。これらはすべて、貨幣価値では測れない、剥き出しの「生の喜び」だった。
僕たちの生活は、教科書の片隅に載るような模範解答ではないかもしれない。けれど、何もないところから自分たちの居場所を作り上げ、工夫次第で無限に広がる楽しみを見つける――。その不器用で、けれど確かな生き方こそが、本当の意味での「楽しみ」なのだと、この街の夕暮れが教えてくれている。
ある日の放課後、僕たちの日常は、一台の奇妙な「電車」と共にあった。
秋生が父親の仕事場から見つけてきた、キャスター付きのサイドカーや古びたトラックの荷台。それを50ccのバイクに連結し、バス会社から譲り受けたクラクションを鳴らして街を駆け抜ける。浜風を切りながら「ビーッ、ビーッ!」と轟音を立てる僕たちを、道ゆく人々は呆れ顔で、けれどどこか温かな笑みを浮かべて見送る。「あそこの連中は普通じゃないな」という言葉は、僕たちにとっては何よりの賛辞だった。
新しい生活は、親たちの仕事場に残された古いバイクや、行き場を失った鉄くずたちから始まった。しかし、僕たちは決して惨めではなかった。
春香の家を売り、その金を未来のためにと預け合ったあの日から、僕たちの絆はより強固なものになっていた。春香と明里は同じ屋根の下で暮らし、隣には秋生や正夫がいて、正夫とあんなの間に生まれた小さな命、マリアが家族の輪に加わった。
大人たちは言う。楽しみとはお金を払って買うものだと。消費し、満たされ、また新しいものを求める。それが当たり前の正解だと。しかし、僕たちはその逆を行く。
お金がなくたって、知恵と工夫さえあれば、世界はこんなにも豊かに色づくのだ。廃材で作った電車で風を感じること。家族と肩を寄せ合って食事をすること。守るべき小さな命の温もりを感じること。これらはすべて、貨幣価値では測れない、剥き出しの「生の喜び」だった。
僕たちの生活は、教科書の片隅に載るような模範解答ではないかもしれない。けれど、何もないところから自分たちの居場所を作り上げ、工夫次第で無限に広がる楽しみを見つける――。その不器用で、けれど確かな生き方こそが、本当の意味での「楽しみ」なのだと、この街の夕暮れが教えてくれている。

