しゃべる人形

秋夫が錆びついた看板の下で、私の方へ歩み寄ってきた。
「お、正男。久しぶりだな」
秋夫の言葉に、春香とあかりが続く。秋夫は少し照れくさそうに笑いながら、この場所へ来た理由を語り始めた。
「あかりがさ、どうしても人形が欲しいって言うから、みんなで来たんだよ。どんな人形がいいか話し合ってた時、お前が言ってたよな。『そら、音が出て喋る人形に決まってるだろ』って。AIなんかじゃなくて、あかりが話した言葉を、あかり自身の声でそのまま返してくれる。そんな特殊な人形があるんだって」
店主は、今の時代の商売人らしく、無機質な事務的な声で人形を勧めてきた。だが、手渡された人形には、確かに不思議な熱が宿っていた。
春香がふと、寂しげな瞳で人形を見つめた。
「……私も、お母さんが死んじゃって、ずっと寂しくて。この人形と一緒に寝たいな」
その言葉に、一瞬だけ空気が緩む。高校生にもなって、という軽口がみんなの口から漏れ、笑いが起きた。だが、それは決して春香を馬鹿にするような類のものではなかった。彼女が抱える喪失感の深さを、誰もが理解していたからだ。
買い物を終えると、店主は人形をでっかい箱に詰め、最後にこう付け加えた。
「この人形は本当に不思議な代物だ。何かあった時はお前たちを助けてくれるはずだよ。大事にしてやってくれ」
私たちはその箱を、畳が敷かれた高級車へと丁寧に積み込んだ。
「さて、次はどこへ行こうか」
誰からともなく言葉が出る。しかし、結局のところ、私たちには決まった目的地などない。現代の社会は、目的があるから電車に乗り、目的があるから仕事をする。効率という名のレールの上で、私たちは常に何処かへ急かされ、その途中で誰かと偶然に出会うことすら許されない。
だが、この車は違う。目標などないまま、ただ今という時間を共有し、流れる景色を眺めること。それこそが私たちの「現実」だ。
目的があるから進むのではない。ただそこに在り、誰かと共に走り続ける。春香とあかり、秋夫と私。この畳の上では、効率の悪いこの移動こそが、何よりも確かな生の実感として響いている。私たちはエンジンをかけ、あてどない道へと再び車を滑り出させた。行く先など、風が知っている。