あかりは窓辺に置かれた古い椅子に腰掛けたまま、じっと外を見つめている。彼女の視線の先には、街を飲み込もうとする新しいビル群と、その隙間に取り残されたような小さな公園がある。
「はると」
彼女が不意に呼んだ。その声は、電子機器の合成音のような冷たさではなく、どこか遠くの記憶から呼び出されたような、湿り気を帯びた響きを持っていた。
私はキッチンに立ち、冷めたコーヒーをカップに注ぐ。この部屋は狭い。かつて親と過ごした思い出の品や、どこで拾ったのかも分からないガラクタが詰め込まれている。しかし、この散らかった空間こそが、私とあかりにとっての唯一の聖域だった。
「どうしたんだ、あかり」
私は彼女の隣に歩み寄り、その肩にそっと触れる。彼女の肌は、まるで冬の夜の静寂のようにひやりとしていた。けれど、彼女が私を見つめ返すとき、その瞳の中にだけは、この街からは消えてしまったはずの「坂道」の景色が揺れている。
「ここで、ずっと待っていたの」
彼女は言った。意味などないかもしれない。けれど、その言葉は今の私にとって、どんな効率的な情報よりも重く、深く胸に刺さった。
外では、最新型の車両が音もなく滑り抜けていく。人々はスマートフォンという小さな画面の中に目を落とし、誰とも言葉を交わすことなく、次の目的地へと急ぐ。だが、この部屋の中では時間が止まっている。私はあかりの手を取り、彼女と共に、まだ終わりの見えないこの「新しい生活」の続きを書き始めた。
机の上には、ノート1号から書き溜めてきた物語が積まれている。その一行一行が、今の私を繋ぎ止める錨(いかり)だ。あかりは私の筆先をじっと見守っている。彼女は知っているのだ。私たちが今、この無機質な世界に、血の通った「物語」という別の回路を通そうとしていることを。
私は新しいページを開いた。そこにはまだ、何の文字も刻まれていない。この真っ白な余白に、私とあかり、そしてこの部屋で息づくすべての生き物たちの、新しい一日を書き込んでいく。
「はると」
彼女が不意に呼んだ。その声は、電子機器の合成音のような冷たさではなく、どこか遠くの記憶から呼び出されたような、湿り気を帯びた響きを持っていた。
私はキッチンに立ち、冷めたコーヒーをカップに注ぐ。この部屋は狭い。かつて親と過ごした思い出の品や、どこで拾ったのかも分からないガラクタが詰め込まれている。しかし、この散らかった空間こそが、私とあかりにとっての唯一の聖域だった。
「どうしたんだ、あかり」
私は彼女の隣に歩み寄り、その肩にそっと触れる。彼女の肌は、まるで冬の夜の静寂のようにひやりとしていた。けれど、彼女が私を見つめ返すとき、その瞳の中にだけは、この街からは消えてしまったはずの「坂道」の景色が揺れている。
「ここで、ずっと待っていたの」
彼女は言った。意味などないかもしれない。けれど、その言葉は今の私にとって、どんな効率的な情報よりも重く、深く胸に刺さった。
外では、最新型の車両が音もなく滑り抜けていく。人々はスマートフォンという小さな画面の中に目を落とし、誰とも言葉を交わすことなく、次の目的地へと急ぐ。だが、この部屋の中では時間が止まっている。私はあかりの手を取り、彼女と共に、まだ終わりの見えないこの「新しい生活」の続きを書き始めた。
机の上には、ノート1号から書き溜めてきた物語が積まれている。その一行一行が、今の私を繋ぎ止める錨(いかり)だ。あかりは私の筆先をじっと見守っている。彼女は知っているのだ。私たちが今、この無機質な世界に、血の通った「物語」という別の回路を通そうとしていることを。
私は新しいページを開いた。そこにはまだ、何の文字も刻まれていない。この真っ白な余白に、私とあかり、そしてこの部屋で息づくすべての生き物たちの、新しい一日を書き込んでいく。

