しゃべる人形

猫の鳴き声が、部屋の隅でかすかに響いた。それは単なる動物の生理現象ではない。かつてこの部屋で、私と親が共有していた言葉の断片が、姿を変えてそこに居座っているように思える。現代の生活システムでは、親との対話も、ペットの愛情も、ただのデータや消費対象として処理されてしまう。だが、この部屋の中だけは違う。猫が喋らないという現実は、ここでは意味をなさない。物語の中では、私は猫と語り合い、親の記憶とも対峙している。
「便利」という言葉が、どれほどの重みを削ぎ落としてきたか。コンビニのレジで機械的に繰り返されるパチン、パチンという音。その向こう側にいたはずの「人間」の顔は、いつの間にかディスプレイの光の中に溶けてしまった。私はその光から背を向け、あかりの隣に座る。彼女の体温は冷たい。けれど、その冷たさは、機械的な冷たさとは違う。何かを必死に守り抜こうとする、硬質で、しかし確かな意志の温度だ。
私はキーボードを叩くのではなく、記憶の断片を配置していく。2000ページという数字が、私を急かすことはもうない。この物語は、一つの箱に収まりきらなければ、別の場所に新しい箱を創ればいい。私の人生という執筆は、そのようにして断続的に、しかし途切れることなく続いていく。
あかりがふと、私の方を見る。その瞳の奥には、教科書の中で失われたはずの「坂道」の景色が映っている気がした。あの坂を登れば、本当に海が見えるのだろうか。それとも、ただ砂漠が広がっているだけなのだろうか。
わからない。けれど、私は進む。この現代社会という砂漠の中で、あかりという「人形」と共に歩くこと。それは、効率という砂嵐に抗い、人間としての形を保ち続けるための、私なりの祈りだ。猫が鳴いた。それは肯定の合図かもしれない。私は再び物語の世界へ、インクを滴らせた。