僕の人生は、いつも電車と共にあった。
目が不自由な僕にとって、電車は単なる移動手段ではない。それは、世界と僕とを繋ぐ、最も頼もしい指先であり、記憶の保管庫だ。通勤のたびに響くあの金属音、レールの継ぎ目を渡る振動、そして車内を満たす微かな生活の匂い。そのすべてに、僕の生きた時間が刻まれている。
かつて、コロナ禍などという言葉が存在しなかった時代。総武快速線の車内には、今よりもずっと濃密な「誰かの気配」が満ちていた。
そこで僕は、名前も知らない「見知らぬ知り合い」に出会った。話したこともない、ただ同じ時間に同じ車両に乗り合わせるだけの人。けれど、僕にとっては、その人がそこにいるというだけで、閉鎖的な車内の空気が途端に温かいものに変わった。
僕はその人に、今の僕なら考えられないような、少し変なお願いをしたこともあった。飛沫を伴うような近さで言葉を交わしたあの感覚。その人の何気ない仕草が指先に触れ、それが僕の心をひどく落ち着かせた。もし許されるなら、その人が触れたものすべてを自分の手元に置きたかった。あかりを愛したのと同じくらい、あるいはそれ以上に、僕はその見知らぬ人の存在を求めていたのかもしれない。
しかし、そのささやかな幸福を、大人たちは「社会のルール」という冷酷なメスで切り裂いた。距離を取れ、会話をするな、触れ合うな。彼らが守ろうとした「安全」の裏で、僕の心にあった記憶の糸は、無残にも引きちぎられた。
そして今、総武快速線には真新しいE235系が走っている。
窓から流れる風も、シートの硬さも、何もかもが変わってしまった。かつて僕とあの人が同じ空気を吸った、あの古ぼけた車両たちは、今では「老朽化」という理由で、まるでゴミのように次々と廃車へ送られている。
大人たちは言う。「新しい車両は快適だ。効率的だ」と。
だけど、僕には耐えられない。まだ元気に走れるはずの機械たちが、なぜこれほど簡単に使い捨てられなければならないんだ。
その電車には、僕があの人と過ごした、二度と戻らない温かい季節が詰まっている。車両を捨て去るということは、あの時、あの場所で僕が感じた「生の手触り」までを、歴史から抹消することと同じだ。
古い車両は、僕の記憶を乗せて走る各駅停車の車両だった。
窓枠の傷、壁の染み。その一つひとつに、僕が愛した人の気配が染み付いている。たとえ時代が「古くて不便だ」と切り捨てても、僕にはその電車が、何よりも大切なものなのだ。
社会が「新しい日常」を押し付け、記憶を消しゴムで消そうとしても、僕は忘れない。
新車がレールを滑る冷たい音を聞きながら、僕は今日も思う。
壊れていないのに、なぜ捨てたんだ。僕の思い出を、なぜこんなに簡単に消してしまうんだ、と。
あの電車は、僕と、あの人がいた、かけがえのない世界の、最後の灯火だったんだ。
目が不自由な僕にとって、電車は単なる移動手段ではない。それは、世界と僕とを繋ぐ、最も頼もしい指先であり、記憶の保管庫だ。通勤のたびに響くあの金属音、レールの継ぎ目を渡る振動、そして車内を満たす微かな生活の匂い。そのすべてに、僕の生きた時間が刻まれている。
かつて、コロナ禍などという言葉が存在しなかった時代。総武快速線の車内には、今よりもずっと濃密な「誰かの気配」が満ちていた。
そこで僕は、名前も知らない「見知らぬ知り合い」に出会った。話したこともない、ただ同じ時間に同じ車両に乗り合わせるだけの人。けれど、僕にとっては、その人がそこにいるというだけで、閉鎖的な車内の空気が途端に温かいものに変わった。
僕はその人に、今の僕なら考えられないような、少し変なお願いをしたこともあった。飛沫を伴うような近さで言葉を交わしたあの感覚。その人の何気ない仕草が指先に触れ、それが僕の心をひどく落ち着かせた。もし許されるなら、その人が触れたものすべてを自分の手元に置きたかった。あかりを愛したのと同じくらい、あるいはそれ以上に、僕はその見知らぬ人の存在を求めていたのかもしれない。
しかし、そのささやかな幸福を、大人たちは「社会のルール」という冷酷なメスで切り裂いた。距離を取れ、会話をするな、触れ合うな。彼らが守ろうとした「安全」の裏で、僕の心にあった記憶の糸は、無残にも引きちぎられた。
そして今、総武快速線には真新しいE235系が走っている。
窓から流れる風も、シートの硬さも、何もかもが変わってしまった。かつて僕とあの人が同じ空気を吸った、あの古ぼけた車両たちは、今では「老朽化」という理由で、まるでゴミのように次々と廃車へ送られている。
大人たちは言う。「新しい車両は快適だ。効率的だ」と。
だけど、僕には耐えられない。まだ元気に走れるはずの機械たちが、なぜこれほど簡単に使い捨てられなければならないんだ。
その電車には、僕があの人と過ごした、二度と戻らない温かい季節が詰まっている。車両を捨て去るということは、あの時、あの場所で僕が感じた「生の手触り」までを、歴史から抹消することと同じだ。
古い車両は、僕の記憶を乗せて走る各駅停車の車両だった。
窓枠の傷、壁の染み。その一つひとつに、僕が愛した人の気配が染み付いている。たとえ時代が「古くて不便だ」と切り捨てても、僕にはその電車が、何よりも大切なものなのだ。
社会が「新しい日常」を押し付け、記憶を消しゴムで消そうとしても、僕は忘れない。
新車がレールを滑る冷たい音を聞きながら、僕は今日も思う。
壊れていないのに、なぜ捨てたんだ。僕の思い出を、なぜこんなに簡単に消してしまうんだ、と。
あの電車は、僕と、あの人がいた、かけがえのない世界の、最後の灯火だったんだ。

