しゃべる人形

あかりの言葉が教室に沈んだ後、僕は居ても立っても居られず、手元のノートを広げた。頭の中で渦巻く、野球の実況放送のような断片的な言葉と、消し去れない不安をそのまま綴り始めた。
「僕の嫌いなものは、消しゴムです」
書き出しから、僕の思考はあふれ出した。
「消しゴムは、みんな消すと消えてしまう。悪いことが消えればいいのに、いい記憶まで消えてしまうからだ。コロナがあったせいで、話したい人と話せなくなる。もしかしたら、あかりとも話せなくなるかもしれない。あかりが死んじゃったら、僕は一人になっちゃう。永遠に会えない。だから、消しゴムは嫌いだ」
読み終えた僕の声は、教室の静寂に吸い込まれた。すると、遙かたちが僕の元へ歩み寄り、心から共感するように頷いてくれた。
「……その気持ち、すごくよくわかるよ」
遙かは潤んだ瞳で僕を見つめ、少しだけ微笑んだ。「そんなに、あかりちゃんのことが大好きなんだね」と、僕の胸の内をそのまま言葉にしてくれた。正夫も僕の肩をポンと叩き、「まだまだこれからだ、頑張れよ」と温かい言葉をかけてくれる。
教室の中では、僕の作文は一つの「真実」として受け入れられた。けれど、僕は知っている。この教室の外に出れば、世界は全く違う顔をすることを知っているのだ。
もし、この同じ言葉を、駅のホームや電車の中で口にしたらどうなるだろう。
「……またあいつか。いつも何かに不満を言っているな」
そんな冷ややかな視線が突き刺さるのが見える。世の中の誰かが、きっとこう言うはずだ。「時代が変わったんだから、もうしょうがないだろ。いつまで過去にしがみついているんだ」と。
この教室の中にある、お互いの痛みを分かち合える温かい空気と、外の世界で待っている「時代が変われば過去は消えていい」という冷徹な論理。そのあまりに巨大なギャップが、僕の胸を締め付けた。
みんなに「分かってくれる」と言われた喜びの裏で、僕は震えていた。僕がここで抱いているこの「消しゴムへの憎しみ」は、この外の世界では、ただの「時代遅れのわがまま」として切り捨てられてしまうのか。
遙かたちの優しい眼差しと、窓の外から押し寄せる世間の無関心なノイズ。その境界線で、僕はあかりの手を強く握りしめた。たとえ世界が「いい記憶」ごと過去を消し去ろうとしても、僕だけは、あかりと共にいたこの瞬間の記憶を、決して消しゴムで消させはしないと心に誓った。