しゃべる人形

あかりの家で迎える、初めての週末の夜。遥かにとっては、人生で最も長く、そして最も温かい夜だった。
遥かが寝室のベッドに横たわると、シーツからはお母さんが使っていたものとは違う、あかりの家特有の、陽だまりのような優しい匂いがした。窓の外では、季節を告げる風が静かに木々を揺らしている。
(ここには、もう、あのお母さんの泣き声も、ベンツの排気音も届かないんだ……)
最初は、そのあまりの静寂に、かえって心細さを感じていた。けれど、部屋の扉が小さくノックされ、あかりがひょっこりと顔を出したとき、その不安は一瞬で霧散した。
「遥かちゃん、眠れそう? ……もし寂しかったら、隣の部屋のドア、開けておくからね」
「うん……ありがとう、あかりちゃん」
あかりが去った後、遥かは天井を見上げた。心臓の奥が、ジンジンと熱くなるのを感じる。あかりの母親が掛けてくれた「おかえり」という言葉、みんなが遥かの幸せを願って言い合った彼氏の話、そして何より、自分を「家族」として疑わずに受け入れてくれたあかりの強さ。
『――孤独という名の重い鎧を、ようやく脱ぎ捨てることができたのかもしれない』
遥かは枕に顔を埋めた。
明日、目が覚めても、そこには誰かがいる。朝ごはんの匂いがして、誰かが笑いかけてくれる。かつて「当たり前」すぎて気づかなかった幸福の形が、今の遥かには、眩しすぎるほどの奇跡として感じられた。
遥かは、これまでの悲劇を、明日から始まる新しい物語の「序章」として受け入れることにした。
(あかりちゃん、お母さん、それから秋生くん……みんなありがとう。私、ここで生きていくんだ。もう二度と、一人じゃない場所で)
夜が更け、遥かの呼吸は穏やかになっていく。
夢の中には、もう誰も傷つける者のいない、静かな光に満ちた世界が広がっていた。家族という新しい枠組みの中に、遥かはゆっくりと、しかし確実に溶け込み、初めて心からの安らぎに満ちた眠りについた。
翌朝、キッチンから聞こえてくるのは、賑やかで温かな、新しい生活の足音だった。