しゃべる人形

教室の扉の向こうから聞こえてくるのは、あかりの落ち着いた、しかし力強い声だった。
「お母さん、聞いて。今からね、私の大切な友達の遥かちゃんが、一緒に住むことになったから。うん、ずっとだよ。上松はほら、どうせ夜はいないし、私たち女同士のほうが絶対楽しいよ。ね、いいでしょ?」
受話器の向こうから、あかりのお母さんが困惑している様子が伝わってくる。無理もない。娘が突然、友人を連れてきて同居すると言い出したのだ。けれど、あかりは引かなかった。
「遥かちゃんのお母さんのことも……私、全部知ってるの。だから、一人にはしておけないの。あかりが守るから。お母さんも、きっと分かってくれるよね?」
その言葉には、かつて「わがまま」と呼ばれていたあかりとは違う、確固たる信念が宿っていた。それは、誰かを深く思いやり、その人の孤独を自分の痛みとして共有できる、本当の意味での「大人」の優しさだった。
しばらくの沈黙の後、あかりがふっと表情を和らげた。
「……ありがとう、お母さん。うん、明日すぐに行くから。待っててね」
通話を終えてあかりが教室から出てくると、廊下で待っていた僕と目が合った。あかりは少し照れくさそうに、でも誇らしげに微笑んだ。
「秋生……決まったよ。お母さん、いいよって言ってくれた」
遥かは、まだ信じられないといった様子で立ち尽くしていた。その瞳には、涙が溜まっている。絶望の淵に突き落とされ、誰にも頼れないと思っていた孤独が、あかりという強烈な太陽によって強引に引き剥がされた瞬間だった。
「遥かちゃん、行こう。もう一人じゃないよ」
あかりはそう言って、遥かの細い肩を抱き寄せた。
僕はその光景を見て、ノートパソコンを閉じた。物語は、僕が書く文字以上のスピードで、現実という舞台を書き換えていく。
上松の不在を逆手に取り、自分のテリトリーに遥かという大切な仲間を引き入れ、新しい家族の形を作ろうとするあかり。それは社会の枠組みから見れば少し歪な家族かもしれない。けれど、冷たいクリスマスを生き残った僕たちには、そんな体裁なんてどうでもよかった。
僕たちは映画館を出て、夜風にあたった。
空には、さっきまでよりも少しだけ優しく輝く星たちが、新しい家族の誕生を見守るように並んでいる。
「秋生も、たまには顔出してね。お母さんの手料理、おいしいんだから」
あかりの何気ない誘いに、僕は深く頷いた。
明日の朝が来れば、遥かは新しい家へ向かう。そこは、悲しみよりも温もりが勝る場所になるはずだ。
僕はポケットの中で、あかりの温もりが微かに残る指先をさすった。
今日という一日は、悲劇で終わるはずだった。けれど、あかりのその無垢な「家族になろう」という叫びが、僕たちの明日を、暗闇から鮮やかな色へと塗り替えてくれたのだ。
映画館のシャッターが閉まる音と共に、僕たちの新しい物語が、また一ページ、力強くめくられた。