しゃべる人形

そのベンツの男が、かつて遥かを川に突き落としたあの犯人だった――。
その事実を知った瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。SNSで甘い言葉を並べては罪もない高校生を罠にはめ、あの雨の降る日に川へ落とした男。被害者は数十人にも及び、一人の方はすでに命を落としていた。遥かは奇跡的に助かったけれど、彼女の心にはずっと消えない傷として残っていたはずだ。
ニュースで流れていた公開捜査の映像。あの中の犯人の顔を、僕たちは今、目の前で直接見たことになる。
「あいつだったんだ……」
遥かのお母さんの命を奪ったのが、単なる事故や煽り運転の延長ではなく、遥かの過去を奪ったその男の「延長線上」にあったこと。それを知ったとき、僕の怒りは頂点に達し、そしてそのあまりの因果の深さに、言葉を失うほどの大きなショックを受けた。
遥かはもっと、壊れそうだった。
彼女は、お母さんが亡くなったというだけでも十分すぎるほど傷ついている。そこに、追い討ちをかけるように「かつて自分を殺しかけた男が、今度は自分のお母さんの命を奪った」という事実を突きつけられたのだ。
僕が病院に駆けつけたとき、遥かは病室の椅子で、枯れ果てた目で天井を見つめていた。その肩はあまりに細く、今にも砕けてしまいそうだった。
「……秋生くん。全部、あの人だったんだね」
遥かの声は、感情が抜け落ちたように平坦だった。その姿を見ているだけで、胸が千切れるようだった。SNSという見えない糸で人を騙し、現実の世界でも人の命を奪う。この男が犯した罪は、決して交通事故という言葉で片付けられるものではない。
警察の調べが進むにつれ、男の余罪が次々と明らかになった。SNSを使った執拗なストーカー行為、数々の詐欺、そして殺人。裁判では間違いなく極刑、あるいは無期懲役が求刑されるだろう。しかし、法律でどんな罰が下されようと、失われた命は戻ってこない。
僕たち若者が、どれだけ純粋に祈り、愛を歌い、新しい命を祝福しようとしても、この社会にはそれをあざ笑うかのように踏みにじる悪意が存在する。
あかりは、震える遥かの手をずっと握りしめていた。
言葉は何もいらない。ただ、遥かの絶望の深さを、僕たちは全身で共有するしかなかった。
クリスマスの夜、マリアの誕生という光の中で笑っていた僕たちは、今、この世の最も深い闇の底に立たされていた。遥かの心の傷が、これから先、どれほどの時間をかけて癒やされるのか。いや、一生癒えることはないかもしれない。
僕は、指についたあかりの温もりを感じながら、改めて誓った。この男が償いきれないほどの罪を犯したとしても、僕たちはあかりを、そして遥かを、これ以上絶対におかしくさせない。たとえ世界がどれだけ残酷でも、僕たちの手の中にある、この小さな命と絆だけは、何があっても守り抜くんだ。
それが、僕たちが生き残った意味なんだと、心の中で強く、強く叫んでいた。