しゃべる人形

病院の待合室は、数時間前までの聖夜の祝祭とは別世界のように冷え切っていた。
遥かは廊下の隅で、声を押し殺して泣いていた。正志も理子ちゃんも、ただ黙って彼女の背中をさすっている。出産を終えたばかりのあんなには、まだこのことは黙っていようと、僕たちは暗黙の了解で決めた。彼女が背負うには、あまりに重すぎる現実だった。
「ご家族の方……」
医師の声は、どこか遠くから聞こえるようだった。
「全力を尽くしましたが……残念ながら、22時31分、亡くなられました」
その言葉が告げられた瞬間、遥かの泣き崩れる声が病院中に響き渡った。奇跡は起きなかった。さっきまで教会で祈っていた「永遠の愛」や「命の繋がり」が、残酷な現実の前で粉々に砕け散っていくような気がした。生まれる命があれば、失われる命もある。理屈では分かっていても、目の前の不条理には耐え難いものがある。
だが、さらにその不条理は続いた。
警察の調査で、遥かのお母さんは過失ではなく、後方から強引な煽り運転をしてきた黒いベンツに追突され、弾き飛ばされたことが判明したのだ。
「……あの車だ」
病院の入り口に停まっていた、フロントが少しへこんだベンツの横に、薄汚れた男が立っているのが見えた。男はスマホをいじりながら、まるで他人事のようにぼやいている。
「ったく、運が悪かったな。いきなり飛び出してきやがって」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが切れた。後先なんて考えられなかった。僕は男の目の前まで駆け寄り、ベンツの運転席側のドアを、持てる力のすべてを込めて思い切り蹴り上げた。
バキィッ! という鈍い音が響き、ドアが大きくへこんだ。
「てめぇ、何すんだよ!」
男が怒鳴り、警察官たちが慌てて僕を取り押さえようとする。
「人の命を奪っておいて、何が『運が悪い』だ! 謝罪の一言もなしかよ!」
僕は叫び続けた。男はニヤニヤしながら「おい、今の見たか? 俺の車、修理代50万はかかるぞ。弁償しろよ、ガキが」と凄んでくる。病院の廊下に警察官の怒号が響き渡る。
「うるせぇ!」
病院の静寂を破り、僕とベンツの男、そして警察との間で激しい言い争いが始まった。あんなが眠る病室のすぐ近くで、僕は遥かのお母さんの尊厳を守るため、そしてこのあまりに理不尽な世界に抗うために、必死に食らいついていた。
泣き叫ぶ遥か、震える仲間たち。
クリスマスの夜の奇跡は、こうして怒りと悲しみという名の、あまりにも残酷な対価を僕たちに突きつけていた。僕は、怒りで震える拳を握りしめ、自分たちに降りかかったこの運命の残酷さと、今もなお続く理不尽な連中を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。