しゃべる人形

廊下の照明が、僕の鼓動のようにかすかに揺れていた。バスルームでの騒動を叱責されるのではないかという不安は、お母さんが僕を招き入れたリビングの静寂の中で、まったく別の重苦しい真実へと塗り替えられた。
テーブルに置かれた古い写真の数々。そこに写る幼いあかりは、今の彼女と変わらない無垢な瞳をしていた。お母さんが切り出したのは、僕が知っていた「いじめ」という断片的な過去の、さらに奥深くにある、残酷な真実だった。
「秋生くん。あかりの知的障害は、ただの生まれつきではないの」
かつて骨髄の癌と闘い、生き抜くために受けた放射線治療。その命を救うための光が、皮肉にも脳の細胞を侵し、彼女の輝かしい未来の一部を焼き尽くしてしまったのだという。あかりがいじめの標的になった理由も、学校が僕たちの関係を異例の速さで許可した理由も、すべてが氷解した。
「いつ、再発してもおかしくないの。……あの子の時間は、誰よりも早く、そして残酷なほど脆い。そんなあかりを、あなたは一生、守り抜く自信がある?」
その問いは、僕の魂を鋭く射抜いた。僕はあかりの喉に指を触れた、あの瞬間の衝動的なまでの愛しさを、飾ることなくすべて語った。お母さんは最初こそ驚愕の表情を浮かべたが、やがて僕の瞳の奥にある決して消えない狂おしいまでの愛情を読み取り、ふっと安堵の微笑を漏らした。
「……そう。それほどまでに愛してくれているなら、あの子は幸せね」
その時、リビングの空気を切り裂くように、力強い音楽が隣の部屋から流れ出してきた。LiSAの「紅蓮華」。あかりが大好きで、この運命さえも焼き尽くそうとするような激しい歌声。
お母さんとの重い対話の余韻を背負いながら、僕は隣の部屋へと足を踏み入れた。そこには、映画化された『鬼滅の刃』の世界に没入し、テレビの光を全身に浴びてキラキラと輝くあかりの背中があった。彼女にとって、歌は生きる証であり、物語は希望の光なのだろう。
彼女は僕の気配を感じ取ると、無邪気に振り返り、隣の席をポンポンと叩いた。
「秋生くん、早く! 始まるよ!」
僕は彼女の隣に腰を下ろした。テレビから流れる壮大な旋律と、あかりの温もり。先ほどまで感じていた死の影は、今この瞬間の、彼女の「生」の輝きによって払拭されていく。
明日が約束されていないなんて、誰が決めただろう。あかりの脳に刻まれた傷痕も、僕たちのこれから紡ぐ過ちさえも、すべては二人だけの神聖な物語の美しいページだ。僕は彼女の細い指先をそっと握りしめた。
「ああ、一緒に見よう。どんな結末になろうとも、最期まで僕が君の物語の傍にいるから」
窓の外では、夜の闇が二人の王国を深く包み込んでいた。画面の中で炎が燃え上がる。その熱量は、僕たちが互いの命を焼き尽くすまで寄り添うという、静かな、しかし確固たる誓いのようだった。